顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

庭のネジバナ(捩花)…意外と気難しい花

2022年06月30日 | 季節の花

何年も前から、庭の芝生にネジバナ(捩花)が毎年10本以上顔を出します。
最初は草刈り機で刈ってしまうのは可哀そうだと花壇のいい環境に移植すると、いつの間に退化してしまいます。


何度かの経験を経て、今は芝生の端に移植していますが、今度は環境が気に入ってもらい、今年は数えたら88本にもなりました。


他所でも公園の芝生や、野芝の原っぱなどによく見られます。
5月の拙ブログ(キンラン(金蘭)、ギンラン(銀蘭)…2022.5.17)で、ラン科の植物は特定の菌類との共生によって生育するということを載せましたが、芝生類にネジバナを元気にする「何か」があるのかもしれません。


さて問題になるのが、右巻き左巻き…これは上越地方の中学生の研究発表があり、試料620本で、左巻き335本、右巻き259本、巻かないもの26本、そして平均巻数3.92回数という結果が出たそうです。


我が家では、捻じれない素直な個体も何本か見られました。庭の主は相当に捻じれた人間なのですが…。


どこでも見られる野草でもさすがはラン科、アップで見るとピンクの花弁と白い唇弁…小さいながらも豪華な花です。
俳句ではモジズリ(綟摺)、ネジリバナ、ねじり草、文字摺草とも詠まれています。


芝生の中に見落としてしまった孤高の一本、咲き終わるまで芝刈り機は見合わせるしかありません。

捩花のまことねぢれてゐたるかな  草間時彦
もじずりの花の恋歌なかりしや  大谷ふみ子
文字摺の階を下りゆく雫かな  阿波野青畝
文字摺草刈りのこしたる漢かな  駒井でる太

ホタルブクロ(蛍袋)…吸蜜昆虫様大歓迎

2022年06月25日 | 季節の花
壊れたパソコンに応援のアクションをありがとうございました。
結局、HDDの交換など修理代がビックリするほどの値段でしたので、新しく購入することにしました。
おかげでウインドウズ11と付随の昇格スペックで、びっくりするほどの速さを味わっていますが、2年半で壊れる脆さに信頼感がすっかり失せてしまいました。データもすべて消滅、バックアップを頻繁に行うことの大切さを改めて痛感しました。


今年はいつもよりホタルブクロ(蛍袋)を目にしたような気がします。こんな野草にも当たり年があるのでしょうか。


ホタルブクロは日本全国に自生しているキキョウ科の多年草で、釣鐘型の可愛い花は古くから親しまれてきました。


ちょうどホタルの時期に咲くことから名の由来は、筒状の花の中にホタルを入れて灯りを楽しんだという説や、提灯を古語で「火垂る(ほたる)」といったことからという説などがあります。


花の色はこの辺では薄紫から濃紫の花を見かけますが、一般的には関東では濃い紫、関西では白色が多いとされているそうです。


ところでこの花は、「雄性先熟」という自家受粉を避けるシステムを持っています。写真の5本の雄蕊はこの時期には成熟して奥にある蜜を吸いに来た昆虫に花粉が付着しますが、まだこの花の雌蕊は成熟せず、飛んで行った他花の成熟した雌蕊に受粉します。


花の中にも繊毛がたくさん付いています。これは下向きの花にもぐりこんだ昆虫が滑り落ちないようにその足場として発達してきました。
この時期には雌蕊は成熟して裂けています。(普通は3裂ですがこの花は4裂していました)


たまたま飛んできた蜂がピンボケですが、しっかと足場の毛に乗っているのが分るでしょうか。
このように「より優れた子孫」を残すため、他家受粉をさせるシステムと吸蜜昆虫への手厚いサービスを完備した花でした。

螢袋夢二の面長乙女めき  高澤良一
ながあめの晴間ほたるぶくろは袋干す  山口青邨
蛍袋は愁ひの花か上向かず  鈴木真砂女

しばらく休ませていただきます

2022年06月19日 | 日記
ブログを作成していたパソコンがダウンしてしまいました。
販売店(ヤマダ電機)での修復も不調でメーカー修理になってしまいました。購入後2年半のdynabookでしたが、どうも最初からブルースクリーンのエラーコードが頻繁に出て、一度サポートセンターに手伝ってもらい初期化をし、落ち着いていましたが、つい先日winndows の自動更新時にフリーズして完全に動かなくなってしまいました。

私の年代は、現役時にはパソコンの恩恵に浴さず遅い習得でしたので、何かと苦労の連続です。
メーカーの診断がどう出るかですが、もう少し拙いブログも続けたいとは思っていますので、データが消滅せずに無事のご帰還を切に願っている次第です。
復帰できました時は、またよろしくお願いいたします。

花も実もある「水戸の梅」…ジョイント仕立て栽培

2022年06月11日 | 水戸の観光
そろそろ梅の収穫の時期です。

偕楽園の梅まつりで知られる水戸市は、観賞する梅では有名ですが、収穫する食用の梅の市場流通が少ないため、観ても食べても楽しめる新しいウメの産地を目指して取り組みを始めました。


そのために神奈川県農業技術センターが開発したウメの樹体ジョイント仕立て法を導入して、栽培を奨励しています。さらに生産者、加工業、観光業、行政が連携して、栽培から販売までの一貫した流通体制が行われています。


この栽培で収穫されて基準を満たした梅は、「福」を「結ぶ」という意味を込めて「ふくゆい」というブランド名を付けられ、出荷されています。


この樹体ジョイント仕立て法(ジョイント栽培)は、苗木を約1.5メートル間隔で植え,地面から約70センチのところで主枝を折り曲げ隣の木の幹と結束バンドでつなぎ留め,何本もの木を直線状の集合木として栽培します。


左の主枝の先が右の幹に完全に接がれていて、横になった主枝の脇枝が上に向かって出ています。横になった右の主枝の先も隣の主枝に接がれ、この一列が直線状の集合木になります。


この栽培方法では、5年で成木並みの収穫があり、施肥、管理、作業の効率化が図れるとされ、軽トラが直線状の樹間に入れるので作業が楽だという話も聞きました。


栽培種は「白加賀」「南高梅」などの実梅の代表品種が使われています。


そこに受粉樹として「上州小梅」などが植えられますが、見せていただいた圃場ではなんと「花香実」を植えていました。梅の品種図鑑には、「後水尾天皇より『花も香りもよく果実も佳なりとの意にて命じ給いしもの』」と載っている名花です。


梅の花を撮っているときに、たまたまニホンミツバチが飛んできました。受粉作業のエースです。
梅の花があまり早く咲き過ぎると、ニホンミツバチなどの昆虫の活動が間に合わないため、不作になるといわれています。


なお、この樹体ジョイント仕立てによる栽培は、リンゴ、ブドウ、カキ、モモ、イチジク、モモなどいろんな果樹でも採用されているそうです。(神奈川県農業技術センターのホームページの資料です)


水戸の梅まつりの会場になる、偕楽園と弘道館公園にも梅の木が合わせて3400本くらいありますが、観賞用の庭園のため約40%が花を鑑賞する「花梅」で、これは実がほとんど生らない品種もあります。

それでも10数トン以上収穫できた年もありましたが、老木も多く年々大幅に減少しています。

2つの公園で収穫した梅は選別して一般の方に小袋で販売し、選別外の梅は市内の加工業者が引き取っていますが、今年は梅の開花後の降雪等により、昆虫の受粉活動時期があわず、昨年よりも収穫量が少ない見込みと偕楽園公園センターのホームページに載っていました。(写真は2019年の撮影です)


今年は6月9日、10日に梅を落とし、今日11日に販売する予定と載っていますが、お一人1Kg(200円)先着500名という、3年ぶりの一般販売なのに寂しい数字が発表されていました。

コロナ禍で販売が中止の去年は皮肉にも豊作でした。来年こそは水戸の梅を花以外でも盛り上げられる収穫を期待したいと思います。

伊勢神宮の内宮と外宮が茨城県東海村に…

2022年06月06日 | 歴史散歩

伊勢神宮は125社の神社から構成され、その正宮は、皇大神宮(こうたいじんぐう)」と豊受大神宮(とようけだいじんぐう)の二つで、それぞれ内宮(ないくう)、外宮(げくう)と呼ばれています。
※写真は伊勢神宮のホームページより借用いたしました。


この伊勢神宮の内宮と外宮の御分霊を奉遷した二つの神社が、茨城県東海村の直線で2キロの距離の地に鎮座しています。
因みに国内で初めて原子力の火が灯った東海村は、人口約37,000人、村としては全国2位、人口密度も4位で町制施行要件は満たしていますが、まだ「村」です。


内宮の皇大神宮を奉遷し、茨城のお伊勢さんとよばれる村松大神宮は、和銅年中(西暦700年頃)創立と伝わります。神社明細帳によると 「和銅元年(708)4月7日平磯前浦の巨巌怪光を発射しその光眞崎の浦に留る。住民畏れて占う。『伊勢の神なり』と。垂示に従って奉斎。祀職伊勢より来りて奉仕す。」 と記されています。


水戸藩2代藩主徳川光圀公が、元禄7年(1694)新たに神殿を造営、あらためて伊勢皇大神宮より御分霊を奉遷、神宝、神器を奉納し、参拝されました。9代藩主斉昭公も、安政4年(1857)に神殿を造営され、また桜田門外の変の志士も参拝し成就を祈願したと伝わります。


伊勢神宮の内宮と同じ「天照皇大神(あまてらすおおみかみ)」他2柱を御祭神としています。


斉昭公造営の本殿は明治32年(1899)火災により焼失し、2年後に建てられた現在の本殿の屋根には、伊勢神宮と同じに鰹木が10本、内削ぎの千木が載っています。


火伏せの愛宕神社や病気平癒の晴嵐神社などの境内社が並んでいます。


光圀公腰掛の石というものもありました。


葵の紋入りの神輿は徳川斉昭公より下賜されたもので、金箔を張り詰め唐破風の豪華な造りですが、担がれることはない飾り神輿だそうです。




こちらも茨城のお伊勢さん、同じく光圀公が神鏡を奉納し伊勢豊受皇大神宮を奉遷したと伝わる豊受皇大神宮にも同じ伝説が残っています。


東海村観光協会のホームページには、「和銅2年(709)年4月7日、平磯(現ひたちなか市)前浦にある巨巌が怪光を発射し、その光が白方の郷を射しました。村人に乗り移った神様が、「伊勢の神をお迎えせよ。」と言ったので、この土地に祀った」と出ています。
(村松大神宮と1年違いの同じ日なので、同じ話ではないでしょうか)


本殿の千木は、男神といわれる外削ぎで、伊勢神宮と同じです。  
祭神は伊勢神宮の外宮と同じ「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」で、天照大御神の食事をつかさどり衣食住、産業の守り神とされますが、女神と男神の両方の説があるそうです。


多数の境内社があり、二十六社、三十四柱の神様が祀られています。


この辺りはかつて、埴田(はなだ、半田、花田)といったことから、埴田宮・花田五所大神宮とも云い、村松大神宮が伊勢の内宮に相当するのに対し、こちらは外宮に当たると言われてきました。


豊受皇大神宮下の池の畔に一の鳥居があり、左手の台地の上に豊受皇大神宮があります。

伊勢神宮の分霊を標榜している神社は、全国に18000社ともいわれます。
この地に、内宮と外宮の分社が同じ伝承により建立された関連性は不明で、神職の方に聞いても分からないというお返事でした。最初はどちらも天照大神を祭神とする内宮を奉遷した神社だったのが、光圀公の時代に一方を外宮の分霊社に分けたのかもしれないという説もあるようですが…。