顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

夏の弘道館 2016

2016年07月31日 | 水戸の観光

園内はセミの大合唱、あちこちに飛び立った後の空蝉が見られます。左近の桜の根元は、硬い砂利まじりの土で、しかも根を踏まれるのを防ぐために一部は鉄板が敷かれています。そんな場所でも空蝉がたくさん付いていて、式台を入ってすぐの諸役会所にある「尊皇攘夷」の大きな額を覗き込んでいるようでした。

至善堂で和算、論語の授業体験が行われていました。開設当時には斉昭公の子供、五男から十男まで(六郎麿は早逝)が勉学に勤しんだ同じ空間で、平成の子どもたちが学んでいました。170年以上前の教育遺産でのこの経験が、育った水戸を考える時にきっと大きな財産になることでしょう。

水戸の今年度観光パンフレットの桜の写真は、斬新な狙い方で印象に残りましたので、同じ構図で表門と左近の桜を撮ってみました。経年により浮きだした式台の板材の年輪が、激しい時代の流れを表現しているようで、このアングルを発見したカメラマンに大きな拍手をおくりたいと思います。


梢よりあだに落ちけり蝉のから  芭蕉
空蝉にしてやはらかく草つかむ  長谷川櫂

今年も咲いた女郎花、そして男郎花?

2016年07月28日 | 季節の花

高速側道のいつもの場所に、今年もオミナエシ(女郎花)がフェンスの金網から、ヘクソカズラ(屁糞葛)と並んで顔を出しています。秋の七草のひとつ、最近山野で見かけなくなっていますが、強い香り、それも良くない匂いで知られています。別名敗醤(はいしょう)ともいうのは、醤油の腐ったような匂いからきています。たまたま悪名高き匂いの花が二つ並んでしまいました。

近くにオトコエシ(男郎花)?…オミナエシと対の花で、名前の由来はいろいろ、オミナエシは女飯であり、これは黄色の花を粟飯に見立てての名であり、それに対して白い花を白飯に例えてオトコメシとしたものという説もあります。(男尊女卑の時代ですね)
しかし図鑑でよく調べてみると、残念ながらヒヨドリソウ(鵯草)のようでした。別名はヒヨドリバナ(鵯花)、キク科、ヒヨドリが鳴く頃花を咲かすことが名前の由来です。

淋しさに堪へて広野の女郎花  正岡子規
女郎花少しはなれて男郎花  星野立子

水戸八景 大田の落雁

2016年07月25日 | 歴史散歩
水戸藩9代藩主徳川斉昭公(烈公)が藩内子弟の心身鍛錬と風月鑑賞を目的に設定した水戸八景の碑、大田の落雁は常陸太田のいわゆる鯨ヶ丘という台地の東側にあります。太田盛衰記には、日本武尊が東夷征伐のためにこの地を巡った際、丘陵の起伏があたかも鯨が洋上に浮遊している状に似ているので「久自」と名付けたとあります。
470年もこの地を治めていた佐竹氏の居城のあったこの台地中心地の道路から、狭い入り口の階段を降りるので分かりにくい場所ですが、この碑からは東側一帯に町並みと山並みが一望できる眺望です。当時も、稲穂の実った豊かな田畑に寒水石の採れる真弓山、そして阿武隈山系多賀山脈の続く素晴らしい眺めだったことでしょう。
碑は自然石で(花崗岩?)風化が進んでいる気がしますが、お馴染みの力強い水戸八分書体が、怠惰生活の仙人に恫喝気合を入れているようです。
「さしてゆく越路の雁の越えかねて大田の面にしばしやすらふ」という斉昭の歌は、渡ってゆく雁の群れが山並みを越す前に、この豊かな田に舞い降りてしばし羽を休めているというような意味でしょうか。

なお、水戸八景すべてについては、拙ブログ「水戸八景…斉昭公選定の水戸藩内景勝めぐり 2020.8.18」に載せさせていただきました。

夏を迎えて…涸沼

2016年07月24日 | 日記

コブハクチョウ一家のお散歩(お散泳?)、ひときわ嘴の色が濃いのが多分親鳥、子供も大きく、親離れの時期が遅れているような気がします。もとは渡り鳥でしたが、定着例が各地で見られ、この一家もラムサール条約登録の安心できる禁猟区に住み着いたのでしょうか。

ここ広浦は子供さんも安心して遊べる公園でキャンプ場、バンガローもあり夏休みには家族連れで賑わいます。ただ秋の鯊シーズンにはまだ早いため、釣果の方は期待できないので可哀想ですが…。

気持ちよさそうにウインドサーフィン…山背(北東風)が結構強く吹いていましたが、今日は風が弱いと言ってたサーファーは、このボード一式を軽自動車に積んで来ていました。

大杉神社の赤い鳥居の枠内に遠筑波、さてお宮はというと、公園入口に茨城百景の碑と並んで鎮座していました。

碑文によると、天保9年(1838年)この地方に天然痘が流行した時、茨城県南部の河内郡阿波村(稲敷市)に総本社がある「大杉神社」より疫病退散の神「あんば様」をお迎えし、涸沼のほとりに大杉神社を建立し天狗面を借りてきて祀ったところ、天然痘が治まったという言い伝えがあり、それ以来船玉(船魂:漁船の守護神)の神として、また疫病退散の霊験あらたかな神として祀られています。

この広浦から4Kmくらい下流の涸沼川にも気の早い釣り人が並んで竿を出しています。日陰のない真夏の釣りは過酷、30年くらい前に仙人も気持ちが悪くなったのを覚えています。この一帯も9月になると鯊の他にスズキも上がってきてシーズンを迎えますが、まだちょっと早いようです。

ノカンゾウとヤブカンゾウ

2016年07月23日 | 季節の花

散歩道のいつもの池でノカンゾウ(野萓草)の花が咲いていました。花は一重で、似ているヤブカンゾウは花弁が八重であることで違いが分かりますが、どちらも上を向いて咲きます。近似種のニッコウキスゲは横向きに咲き、黄色が強くなります。

この池には、ヘラブナ釣りの太公望やブラックバスのアングラーが見られますが、いまは水面のほとんどが浮き草のヒシ(菱)で覆われているため、竿を出すのは無理なようです。ヒシの名の由来は、葉の形から、または食用になる果実の形からともされています。地方の物産店では菱の実が売っていましたが、最近では見かけなくなりました。
震災時の3月には、トイレの水確保に長柄杓とありったけのバケツ類を積んで水汲みにきた忘れられない池です。

さて、涸沼サイクリングロードの北側は、草刈り前のこの時期、まるでジャングルのような野趣あふれたコースになります。葦、薄、葛に囲まれ、気をつけないと葦の葉が頬を撫で、まるで迷路のようで前しか見えません。

そのジャングルを抜けて視界が広がった先に、ヤブカンゾウ(薮萓草)。花期が終わりかけていますが、八重の花弁ではっきり分かります。ノカンゾウともどもユリ科ワスレグサ属、別名のワスレグサ(忘れ草)は、その美しい花を見ると憂さを忘れることからきているという説などがあります。

恋ふれとも逢ふ夜のなきは忘れ草夢路にさへやおひしげるらむ  古今集 よみ人しらず