
園内はセミの大合唱、あちこちに飛び立った後の空蝉が見られます。左近の桜の根元は、硬い砂利まじりの土で、しかも根を踏まれるのを防ぐために一部は鉄板が敷かれています。そんな場所でも空蝉がたくさん付いていて、式台を入ってすぐの諸役会所にある「尊皇攘夷」の大きな額を覗き込んでいるようでした。

至善堂で和算、論語の授業体験が行われていました。開設当時には斉昭公の子供、五男から十男まで(六郎麿は早逝)が勉学に勤しんだ同じ空間で、平成の子どもたちが学んでいました。170年以上前の教育遺産でのこの経験が、育った水戸を考える時にきっと大きな財産になることでしょう。

水戸の今年度観光パンフレットの桜の写真は、斬新な狙い方で印象に残りましたので、同じ構図で表門と左近の桜を撮ってみました。経年により浮きだした式台の板材の年輪が、激しい時代の流れを表現しているようで、このアングルを発見したカメラマンに大きな拍手をおくりたいと思います。

梢よりあだに落ちけり蝉のから 芭蕉
空蝉にしてやはらかく草つかむ 長谷川櫂