顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

秋の色を探して…

2017年10月29日 | 季節の花

ススキ(薄、芒、尾花、茅)はどこでも見られるイネ科の秋の七草です。どちらかと言うと雑草として嫌われもんですが、うろこ雲に秋の風情を感じさせてくれますし、茅葺き屋根にはなくてならないもので、ススキの原を観光資源にしているところもあります。
穂芒にとまるでも無き蜻蛉かな  高浜虚子



ノブドウ(野葡萄)です。同じ野葡萄でも葉が深く切れ込んでいるのは、キレハノブドウ(切葉野葡萄)といいますが、どちらも同じ種だとする説もあります。ヤマブドウに比べ実も緑色から紫色、ブルーと色んな色に変化します。食用にはしないようです。
野葡萄の同じ瑠璃色ひとつも無し   栗田れい子



ツワブキ(石蕗)はキク科ツワブキ属、蕗の仲間なので食用にもなり、花の少ない時期に鮮やかな黄色が、名前の由来であるツヤのある濃緑の葉に似合います。
庭石や草皆枯れて石蕗の花  正岡子規



カラスウリ(烏瓜)の赤い実がいつまでもぶら下がっていますが、名前のようにカラスが食べることはなく、中国から伝わった朱墨の原料である卵型の辰砂に似ているので、「唐朱瓜(からしゅうり)」が語源のようです。
色見せてよりの存在烏瓜  稲畑汀子


やはり、秋の色といえば、ムラサキシキブ(紫式部)、たしかに平安時代の十二単衣の色を見るようです。近辺の野山でよく見かける落葉低木、花言葉は、「上品」「聡明」「知性」…なるほどです。
女らは声深めゆき実むらさき  加藤知世子



庭先の柿はもぐ人もなく鈴なりになっているのを最近はよく見かけます。かっては貴重なオヤツでしたし、近所の柿を失敬して怒られたことを思い出しますが、飽食の世になりました。
この里や柿渋からず夫子住む  夏目漱石
    ※夫子(ふうし)は、賢者、あの人などのこと


アケビ(木通)の薄紫色、絵の具での再現が難しそうです。山道を歩いていると、実が落ちているのを見て初めて気が付きます。蔦を引っ張って実を引き寄せると、中身が無情にも落ちてしまいます。
ひそやかに通草山国色となる  後藤比奈夫



ホトトギス(杜鵑草)も日本の色、紅葉を一枚そばに散らせてみました。
紫の斑の賑しや杜鵑草  轡田進



秋は紫色が多いかもしれません。山で見かけるリンドウ(竜胆)の濃さに比べると、庭で咲くのは薄紫です。花は筒状で全開せず何故か奥ゆかしさを感じる花です。
山隠す大岩の根の濃龍胆  福田蓼汀



枯れ木に鮮やかなオレンジ色のキノコ、ウエブで調べるとヒイロダケ(緋色茸)、普通にみられる広葉樹生の木材腐朽菌で食用には適さないと出ていました。
食べられる茸と言はれても躊躇  稲畑汀子



セイタカアワダチソウ(背高泡立草)を載せるとブーイングが出そうですが、よく見るときれいな黄色の花です。食用とか薬用とか珍重される種に生まれれば、こんなに蔓延ることがなかったかも知れません。
沼を吹く風を黄色に泡立草  和知喜八


常陸國一之宮 鹿島神宮   (鹿嶋市)

2017年10月27日 | 歴史散歩

日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社の鹿島神宮は、天皇元年(紀元前660年)の創建と伝えられ、日本建国・武道の神様である武甕槌(たけみかづち)大神が御祭神です。
今回はボランティアガイドさんの案内、大変詳しくわかりやすく、しかも女性の声はとても聞き取り易いと再認識しました。

大鳥居は従来の笠間の御影石製のものが東日本大震災で倒壊した後に、神宮の森から切り出した杉の巨木4本で再建されました。高さ10.2m、幅14.6m、樹齢は左右の柱が約500年、笠木が約600年です。

この楼門は、寛永11年(1634)水戸藩初代藩主徳川頼房公の奉納で,日本三大楼門に数えられ国の重要文化財です。かかっている鹿島鳥居という扁額は東郷平八郎の書になります。

境内の広さは約70ha、そのうち約60%は鹿島神宮樹叢として茨城県の天然記念物に指定されてます。鬱蒼とした大木に囲まれた約300mの奥参道は、5月の御田植祭の後に行われる流鏑馬の舞台になるため、砂が敷かれていました。

本殿・石の間・幣殿・拝殿からなる社殿は元和5年(1619)2代将軍秀忠奉納のもので国の重要文化財に指定されています。この拝殿も北を向いています。

極彩色の組物をほどこされた本殿も北向きですが、これは北方の蝦夷を意識した配置ともいわれ、内陣の神坐はちゃんと東を向いているそうです。
後ろに立つのは、樹高43メートル・根回り12メートルで樹齢約1,000年といわれる杉のご神木です。

この仮殿は新しい社殿造営のため徳川2代将軍秀忠公が奉納しました。まずこの仮殿に神様をお遷ししてから、旧本殿を奥宮まで曳いていき、その跡地に新しい社殿を造営したのです。

奥宮は、慶長10年(1605)に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に現在の本殿の位置に本宮として奉納したものを、その14年後に新たな社殿を建てるにあたりこの位置に遷してきました。

凹みの見える石が、地震を起こす大鯰を抑える要石、光圀公が7日7晩石の周りを掘らせたが根元に届かなかったと伝えられています。水戸の藩校弘道館には、文武両道を標榜しているので、学問の神様である孔子廟と武道の神、鹿島神社が分祀されており、敷地内に斉昭公の歌が刻まれた要石の碑がありますが、ここの要石にちなんでいます。

神の使いとされる鹿が30数頭、奈良の春日大社の鹿もここから行ったと伝えられています。ご当地の鹿島アントラーズの"アントラー"は鹿の枝角のことで鹿島神宮の鹿にちなみ、枝角は茨城県の茨をイメージしているそうです。

車窓から撮った北浦に建つ一の鳥居、川底からの高さは18.5メートルで、水上の鳥居としては厳島神社(16m)の鳥居を超える日本最大級の大きさです。

秋成新田と鹿島神社  (水戸市)

2017年10月24日 | 歴史散歩
涸沼から那珂川へ下る涸沼川が、沼から川に変わる左岸一帯はこの辺の穀倉地帯で、秋成新田と呼ばれ、今でも広い水田が広がっています。ちょうど稲刈りも終わりました。

天保6年(1835)に、ここ大場村の大場太衛門が願い出て,藩主の徳川斉昭が奉行の吉成又右衛門たちに命じて開墾し、「秋成新田」という名は,斉昭がつけたと言われています。
吉成又右衛門(信貞)は藤田幽谷の門下、剣・槍・銃・射の武術にも優れ郡奉行となり斉昭公の改革に側近として尽力しました。弘化元年(1844年)に徳川斉昭が幕命で謹慎となった際には藩主の無実をうったえて処罰されました

その秋成地区に鹿島神社が建っており、その本殿の鞘堂(風雨から保護するため覆う建物)軒先に古い丸太が吊るしてあります。

側にある木札に書かれているのを見ると、
斉昭公は水戸八景「広浦の秋月」の帰路、郡奉行の吉成又右衛門の案内でここへ来て、鹿島神社を祀れとご神木の杉の苗をお手植えしたが、斉昭の後を追うように枯れてしまったと記されています。

「鹿島神社ご神木の由来    此の御神木は天保11年7月23日水戸烈公広浦乃御成先から吉成奉行のご案内にてこの秋成に立寄り氏子の丹精をねぎらへ後にこの地に鹿島の大神を移し祀れと自ら唐鍬を取りて杉苗1本を植えこれを神木とせよとし永く鎮護し仰げと命ぜられたり後烈公萬延元年薨去と共にその後を追へ枯死したるものなり村民相謀り公の思徳に報いんためにこの神木を奉納し長く保存するものなり」
これがこの神社の起源となり、寛永5年(1852)この地に神殿を建立しましたが、長い年月の傷みが激しく屋根などの補修を続けてきましたが、平成3年(1991)拝殿の改築と本殿に鞘堂を建てたことを記す碑が建っています。

本殿傍らのマテバシイの実が降っています。このあと立寄った近くの鉾神社境内に落ちていた普通のスダシイの実と比べると、ずっと大きめですが、詳しい方の話では味はスダジイより落ちるそうです。

散歩道から…2017秋 ②

2017年10月20日 | 季節の花

一年中見られるホトケノザ(仏の座)はシソ科の多年草、葉が茎を包み込むように円座になっているのを仏の蓮華座に見立てた命名。春の七草のホトケノザは、キク科のタビラコ(田平子)のことで黄色い花が咲きます。

タンポポ(蒲公英)の綿毛、放射状に付いた種子は微風でも遠くに飛び、その距離はなんと10kmとか言われています。しかも花が終わった後にさらに茎が長く伸びて、種子を飛ばしやすくする仕組み…、多分これは、花期の長いセイヨウタンポポです。

道端のノギク(野菊)にはいろんな種類があり、名前を断定するのは難しいのですが、これはカンントウヨメナ(関東嫁菜)だと思います。

ミゾソバ(溝蕎麦)は金平糖のような小さな花を咲かせるタデ科の一年草、溝のような水辺に成育し、葉がソバに似ているからの命名。また、葉の形が牛の顔に似ているのでウシノヒタイともいわれます。

四つ葉を探すクローバーはマメ科、特有の旗弁のある花の集合体です。この枯れ草をオランダからやって来たギヤマン(ガラス器)の箱にクッション材として詰められていたということから、シロツメクサ(白詰草)ともいわれます。

ハマウド(浜独活)、アシタバ(明日葉)の区別ができなかった道端のセリ科の大きな植物、白い花が咲きましたが花の色では分からず、茎を切ってみたらアシタバの特徴とされる鮮やかな黄色い液が滲み出ました。

田んぼの畦を縁どるチカラシバ(力芝)、秋の長雨の一瞬の夕陽に輝く様は綺麗ですが、力を入れなければ抜けないという名前の通り、厄介な植物ではあります。別名は道芝。混じって出てる小さい穂はエノコログサ(狗尾草)、通称ネコジャラシです。

雑草と言ふ草あらず仏の座  宇咲冬男
去るものは去りてすつくと絮(わた)たんぽぽ  鷹羽狩行
どの家も貧しき村の野菊かな  田中青濤
夜あけ米とぐみぞそばの咲いてゐるところ  種田山頭火
クローバの花さはにゆれ茶屋の趾  山口青邨
芹よりも明日葉匂ひ売られけり  石塚友二
※力芝は我が歳時記には載っていません
立ち易り 古き都と なりぬれば 道の芝草 長く生ひにけり 万葉集 田辺福麿

散歩道から…2017秋 ①

2017年10月17日 | 季節の花

お茶の花です。茶畑では、葉に栄養を行き渡らせるために花芽はすぐに摘み取ってしまうそうですが、香りもよく、さすがツバキ科、形も色合いも品があります。

アケビ(木通)の名は、実が熟して割れたさまが、人の「あくび」に似ているからとか、ぱっくり口をあけたように裂ける開け実から付いたとか言われていますが…。
蔓の部分には利尿作用があり、「木通」は小水が通じるからきているという説もあります。しっとりとした甘さとタネを吐き出す豪快さを少年時代に楽しみました。 

臭木の実です。葉に悪臭があるので名が付きましたが、花は甘い香りで、秋に赤い萼の真ん中にきれいな実がつきます。古くから「常山の実」といわれ媒染材を使わない青い色の染料として知られています。

ヤマイモ(山芋)は雌雄異株、雌花の実が右のハナタカメン、幼いころ鼻にくっつけて遊びました。雌雄関係なく葉の根元に出る球芽が左のムカゴ(零余子)、食用になりヤマイモの味がします。

イヌホオズキ(犬酸漿)の実です。ナス科の雑草、名の由来は否(いな)ホオズキで、ホオズキに似ているがホオズキでは無いという意味から。全草に毒があり、特に果実には麻酔毒のサポニンを含みます。

離れた場所で撮ったのがこの写真、こちらはアメリカイヌホオズキ??その区別は難しいとされています。

ヤクシソウ(薬師草)には、薬の神様薬師如来の名がついているので、万病の効能があったのかもしれませんが、乾燥した花をゴマ油に漬けて、腫れ物の患部に塗布するとしか出ていません。

刈込に茶の花にほふ十三夜  水原秋櫻子
しら雲のなごりて樺に通草垂る  飯田蛇笏
臭木の実手籠に摘める染物師  阿部月山子
さびしさに零余子飯炊く山家妻  山口青邨
※犬酸漿、薬師草は歳時記に載っていません
寂しさの中の賑やか薬師草  雅舟