顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

ブラタモリ 水戸へ

2017年01月30日 | 日記

つねづね水戸へ来ないかなと思っていたNHKのブラタモリが、1月28日に放映されました。
お決まりの指令が、「なぜ水戸黄門は人気があるのか」ということで、駅前の黄門像から始まり、水戸城の堀と土塁、本丸跡の水戸一高にある薬医門などは、定府制で江戸にも藩士の半数が駐在したため財政逼迫の水戸藩は使えるものは何でも使おうと、佐竹氏時代のものを使ったということから始まりました。薬医門を見上げてあんぐりのご両人です。

二代藩主光圀のときに城下の拡大に伴い上水の確保のために、笠原水道を作り、石で出来た水道管(暗渠)を整備しましたが、湿地帯にあるため石の水道管には隙間をわざとあちこちに残し湿地帯の湧水も水道管の中に引き入れ利用していたという、この話は西原昇治さんの「みとブラ」という活動で詳しく説明されています。

この暗渠に使用した石(凝灰質泥岩=火山灰を含む海底の泥が長い年月をかけて固まったもの))を掘り出した常磐線沿いの洞窟あとでは、電車好きのタモリが特急ひたちに気を取られるひとこまもありました。
地形のヘリとか断層の好きなタモリでは水戸城の総構えの市内の痕跡が出てくると思っていましたが、少し紹介されただけでした。

藩校弘道館には通常は閉じられている正門から入場、光圀の編纂した大日本史が当時の全国の藩校の多くで教科書として採用され、また編纂のため全国に藩士を派遣したことが水戸黄門漫遊記の下地になっているという話もありました。

また、弘道館記拓本の前では、この藩校設立の趣旨文章の中にも義公(光圀)の影響があると説明されていました。

さて最後の偕楽園では、この公園が弘道館と一対の教育施設であることを「一張一弛」で説明し、陰と陽の対比を体験するには表門から入るということ、また、近くにもともとある「千波湖」を借景として庭園の池に見立てたと話していました。

放映時間が45分のため、総花的になるしかない中では、まとまっていたとは思います。以前話を聞いたことがある、お相手の関口慶久(水戸市文化財課)さんの受け答えがぴったりでした。

視聴率15%台の番組だけに、梅まつり直前のこの放映が水戸の観光に役立ってくれたことを願っています。


偕楽園の梅情報

2017年01月28日 | 水戸の観光
1月20日の偕楽園公園センターの開花情報では、153本、全体の5.7%の梅に開花が見られたとありました。(次回の開花発表は2月1日です)

ここ猩々梅林から好文亭を遠景に入れた定点撮影スポットの「八重寒紅」と「冬至梅」は、1月26日にはこの様な状態です。去年は異常に開花が早すぎて、後半の人出が少なく期間中の観光客数が50万人を割ってしまい、震災後で最悪の数字になってしまいました。何とか震災前の100万人超にする目標が振り出しに戻ってしまった感じです。

今年は曜日の関係で18日(土)からと、いつもの年より2日早い梅まつりですが、心配なのは鳥インフルエンザの被害が千波湖周辺の白鳥などの野鳥にも及んでいることです。直接人体への感染はありませんし、梅林とは離れていますが、一部立ち入りを制限されたりイベントの中止とかが予想され、風評による観光客への影響が心配されます。

せっかくお出でいただいた方々に、何とか最高の状態の梅花を鑑賞していただきたいと願っていますが、そんな中、NHKのブラタモリの今日(28日19:30)放送は水戸が舞台ということなので、援護射撃になってくれると楽しみです。

弘道館の瓦 ② 

2017年01月25日 | 水戸の観光

弘道館の瓦は、東日本大震災での大きな崩落はありませんでしたが、桟瓦のあばれなどが確認され、葺き替えと補修を国の工事で行いました。

約25,000枚の瓦をすべて取り外して打音検査し、再利用出来るかどうか確かめた結果、再利用できたのは弘道館開設当時(1841年)の瓦が約1,500枚(全体の6%)、昭和の修理(1963年)の瓦が約7,000枚(28%)で、この古い瓦は特に軒周囲に葺かれました。残りの約16,500枚(約66%)の瓦は同じような品質で新しく焼かれ、平成の瓦として今後歴史を刻んでゆくことになります。

さて、この再利用が不可能とされた176年前の開設当時の瓦の一部は、弘道館にあった薬園の伝統を受け継ぐ水戸市植物公園の薬草園の花壇で生き返っています。以下、現地説明文によると、「天保12年(1841)に弘道館が創設された当時の瓦には、製造元を示す屋号が押印されているものがあり、押印瓦といいます。特に多いのは丸印の中に「安」の文字のある押印瓦です。この丸安印の瓦は、現在の水戸市青柳町で5代続いた土瓦製造業が製造したもので、弘道館の瓦を焼くため毎夜徹夜で作業したという逸話が子孫の家に残っているそうです。」

弘道館医学館本草教授で「山海庶品」を著した佐藤中陵も眺めた瓦が、この平成の薬草園で薬草に囲まれているのを見るのは、感慨深い冬のひとときでした。

やっとやっと!稀勢の里

2017年01月22日 | 日記

茨城県出身力士稀勢の里、本名「萩原」の四股名で18歳3ヶ月の初入幕を果たした頃から応援していましたが、大事な一番や下位の取りこぼしが続き、その度の落胆が大きく、応援する我々には決り手肩透かしを浴びせ続けられました。

もう期待するのはやめよう、応援もやめようと腹を立てたのは何度もありました。しかし今場所は下馬評にも上らない状況でしたが、昨年の年間最多勝をとった勢いか、それとも横綱大関と休場者も続いた幸運か、加えて最大ライバルの白鵬も14日で3敗、初優勝が転がり込んで来ました。

しかも千秋楽は必死の白鵬の寄りをこらえて、すくい投げで勝利、場所後の19年ぶりの日本人横綱誕生をほぼ確実にしました。勝利インタビューの涙を見て、歯がゆい思いは応援者より本人が一番と実感、今後も時々の取りこぼしはご愛嬌でも、強い相手にはより強い横綱であって欲しいとの思いを強くしました。

樹木の花…1月

2017年01月21日 | 季節の花

ロウバイ(蠟梅)は、梅に似た蠟のような花という名前のロウバイ科の花で、梅(バラ科)とは種類がまったく違います。最近よく見かけるのは、このソシンロウバイ(素心蠟梅)、花弁も花芯も黄色一色で花も少し大きめ、春に先駆けて香りのいい花を咲かせます。

こちらが原種の蠟梅、ワロウバイ(和蠟梅)ともいうようですが、中国原産です。花芯が赤く花も約2センチ位と小ぶりですが、香りの高さでは引けを取りません。
中国では、梅、椿、水仙とともに「雪中の四花」として尊重されている花だそうです。

マンサク(満作、万作)はマンサク科の落葉樹、蕾が大きく膨らんできました。語源は明らかでないようですが、早春一番に咲くので、「まず咲く」から「まんずさく」へ東北地方で訛ったとの説もあり、この語源説に1票入れたいと思います。

ミツマタ(三椏)はもう開花間近です。ジンチョウゲ科の落葉低木、枝が三叉に分かれるので命名されました。和紙の原料として知られ一万円紙幣にも使われているそうです。この近辺の山でもよく見かけますが、茨城県は、どちらかというと和紙原料のコウゾ(楮)の生産が有名です。

カンツバキ(寒椿)は、宮尾登美子の小説や森昌子の歌に出てくるイメージが強すぎますが、花はまるで山茶花です。山茶花と椿の交雑種ともいわれ、花弁と雄蕊がくっついている椿の特徴と花弁が一枚ずつ散る山茶花の特徴を合わせ持っています。
山茶花との区別は難しいようですが、撮影した枝には品種名「勘次郎」の名札が付いていました。
茨城県植物園1月19日の撮影です。

臘梅を透けし日射しの行方なし  後藤比奈央
今生の色いつはらず寒椿  飯田龍太

告知あり介錯無用寒椿  西畑六道  (辞世の句300選:中経出版)