顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

Yさんちのバラ…ふたたび2023

2023年05月27日 | 季節の花
茨城県の県花は「バラ」です。
奈良時代に編纂された常陸国風土記に書かれている、黒坂命が茨(うばら)で城を築き賊を退治した話から茨城という名ができたといわれており、県旗や県章にもバラがデザイン化されています。

水戸市の植物公園のエントランスにもいまバラの花が満開…それを見て4年前の今頃、見事なバラを紹介したことがある近所のYさんの家のバラを思い出して訪ねました。今年は季節が早く、見頃は過ぎていましたが、また別な品種のご紹介です。



レオナルド・ダ・ヴィンチ  天才芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチに捧げられたこのバラは、1994年にフランスのメイアン社によって作出されました。  


夢乙女  1989年徳増一久さんの作ったピンクと白咲き分けのつる性ミニバラ。


ゴールデンボーダー フランスのメイアン社で1987年に作出され、修景バラと呼ばれる、庭作りに適した品種です。


アンジェラ   ドイツのコルデス社が1984年に作出、半八重のカップ咲きで多くのファンをもつバラです。




ドリフトローズ レッド ピンク  フランスのバラの名門メイアン社が、20年近くもの長い年月をかけて作出したグランドカバーローズです。


サラバンド 1957年フランス作出、数々の賞に輝く花付きの良い四季咲きです。


安曇野 1989年小野寺透作出のつる性一季咲き。


ロビンソン  1956年ドイツ作出の四季咲き。


バレリーナ  1937年イギリス作出、長い間愛され続けてきた人気品種です。

薔薇の品種は3万~5万種、なかには10万種という説もあるようです。しかも毎年新しい品種が生み出されているので、とても図鑑が追い付かないでしょうし、ましてやたまに写真を撮る仙人にはとっても覚えようがありません。

弘願寺…くすぐり地蔵のある花の寺

2023年05月24日 | 歴史散歩
茨城県の北西部の寺院八ヶ寺が宗旨を超えて設けた、十二支の守り本尊と花めぐりの「花の寺」の8番目は、那珂市下大賀にある臨済宗円覚寺派の帝青山弘願寺です。

中世に当地を治めた佐竹氏8代貞義(1287-1352)が静神社の神宮寺として弘願寺、西方寺、静宮寺を設けたと伝わっています。その後水戸徳川家の治世になり、2代藩主徳川光圀の神仏分離を図った寺社改革により寛文8年(1668)現在の下大賀の地に移され、西方寺、静宮寺も弘願寺の塔頭の西方庵、静宮庵として移転されました。文政6年(1823)年には火災で焼失、天保年間(1830~44)には9代藩主斉昭の廃仏政策により廃寺となるも弘化3年(1846)再興…、と苦難の歴史が残っています。

山門の前には金剛力士像が佐竹氏の紋の付いた台座の上に立っています。「くすぐり地蔵」「聴だけ観音」の幟も立っていました。

門の左右で金剛杵を携えて邪悪なものの侵入を防ぐ…、すごい迫力の表情です。




門をくぐると左手に薬師堂、弁天堂の案内があり、橋を渡った先に薬師堂があります。


薬師堂の右奥にあるのが、この寺のパワーポイント、「くすぐり地蔵」です。
身体の痛い部分と、お地蔵様の同じ部分をくすぐるように撫でて祈願するそうです。かってはその部分の欠片を患部に当てたそうなので、削られた顔や腹部は原型をとどめていません。
脊柱管狭窄症の仙人も痛む場所をそっと撫でてお賽銭を入れてきましたが、御利益は…??




参道右手の観音堂には「聴だけ観音」の扁額があり、堂内には世間の私たち衆生の悩みや苦しみ、救いを求める声を聞きつけて馳せ参じてくださる観音様ですと書かれていました。


東日本大震災で被災して再建された立派な本堂…御本尊は戌亥年の守り本尊、阿弥陀如来です。


天水桶や香炉、鬼瓦など各所に五本骨扇に月丸の佐竹紋がしっかりと付いているお寺でした。

花の寺なのでいろんな樹木や草花の表札が立っていますが、ほとんど花期が終わっていました。

変わった白い花を調べてみると、イボタノキ(水蝋樹)でした。この樹皮に寄生するイボタロウムシの分泌する「いぼた蝋」は、古来よりローソクの原料や家具のつや出し、日本刀の手入れなどに用いられてきました。


ハコネウツギ (箱根空木)です。日本全国で自生していますが箱根ではあまり見かけないので、よく似ていて箱根に多く自生しているニシキウツギ(二色空木)と間違われたのではという説があります。


かって弘願寺が神宮寺だった常陸二ノ宮の静神社は、弘願寺の約1500m西の小高い山の上に建っています。弘願寺の山号「帝青山」はこの神社のある小高い山のことです。

茨城の県北にある寺院にはいまだに佐竹氏の紋が付いている所が多いのを改めて認識しました。佐竹氏の統治は約400年ですが、関ヶ原の戦い後に家康から出羽国に移封されてからも約400年経っています。その後の変遷も乗り越えて開基の時代の紋を守り続けているのは、水戸徳川家時代に行われた神仏分離、寺社改革などに対しての反発もあったのでしょうか。

紫蘭、紫露草…ムラサキなのに白い花

2023年05月19日 | 季節の花

シラン(紫蘭)なのに白い花、いつか庭で見つけて新種発見と意気込んだ時がありましたが、これはシロバナシラン(白花紫蘭)という名で品種として確立していました。


今年は庭のシランの群生の中にも白花が混じっていました。


ありふれた花ですがラン科シラン属、ラン科の豪華さが感じられる花です。


最近白花もよく目にするようになり、公園の植え込みの中にも白花が混じっていました。白花は色素の変化などの突然変異か、品種改良なのか詳しいことは分かりません。

こちらはムラサキツユクサ(紫露草)の白花です。

園芸サイトでは、「ムラサキツユクサの白花」や「西洋ツユクサ・オスプレイ」などの名で販売されています。


ムラサキツユクサは、ツユクサ科ムラサキツユクサ属の多年草、北米原産の帰化植物です。

たまたまアマガエルが動かずにいたのでパチリ。このムラサキ色の再現は難しいですね。パソコン付属の写真ソフトではなかなか修正しきれません。デジカメは赤紫、青緑などの再現が難しいという情報が出ていましたので、わが技術の問題ではないようです。


試しにデジカメとスマホで撮った写真を並べてみました。撮影時間、天候、個体差もあるでしょうが、庭の花の色はこの中間くらいのような気がしました。因みに紫の印刷色見本は下部中央の四角の色でした。


なかには紫と白の中間の薄い色のものも咲いています。まるで絵の具を薄めたような色です。

こちらは野草のツユクサ(露草)、小さい花ですが露草という名前の風情はこちらが勝ります。

ツユクサ科ツユクサ属の一年草、朝咲いて昼には萎む、まさに露のような一日花です。

調べてみると、雄しべの役割が面白いので図解してみました。雄しべ6本のうち上の4本は鮮やかな目立つ色で雄しべを食餌とする昆虫を呼び寄せる「飾り雄しべ」で、昆虫がそこに取り付いている間に、授粉用の花粉をもつ下の2本の雄しべの花粉が、昆虫にしっかりと付くようになっています。自然界の仕組みは知れば知るほど面白いことばかりです。


こちらも野草のトキワツユクサ(常磐露草)、花弁も三枚で白花の紫露草によく似ています。同じムラサキツユクサ属で、昭和の初め観賞用として南米より渡来し野性化したものだそうです。

俳句の季語としては、紫蘭の例句は意外と少なく、やはり月草、蛍草という風雅な異名も持つ露草が多く詠まれています。

雨の日は雨の紫蘭を玻璃越しに  高澤良一
紫蘭咲いていささかは岩もあはれなり  北原白秋

露草も露のちからの花ひらく  飯田龍太
露草の瑠璃いちめんの昼寝覚  木村蕪城    
子を打てる掌のさびしさや螢草  文挟夫佐恵
露草に乳房なづさふ朝の山羊  相馬遷子    
なずさふ:なれ親しむ、慕いなつく

万葉集では露草が月草という名で九首詠まれています。
   朝咲き夕は消ぬる月草の消ぬべき恋も我れはするかも
  作者不明  万葉集 第十巻

♪ 別れの一本杉…高野公男と船村徹

2023年05月13日 | 日記
   泣けた 泣けた  こらえきれずに 泣けたっけ
   あの娘(こ)と別れた 哀しさに 山のかけすも 鳴いていた  
   一本杉の 石の地蔵さんのよ  村はずれ


わが世代から前の方々にはお馴染みの「別れの一本杉」は、昭和30年(1955)春日八郎の唄で大ヒットしました。昭和歌謡不朽の名曲とされるこの曲は、数々のヒット曲で知られる船村徹が作曲し、作詞は高野公男、この早逝した男との深い友情が後々まで語られています。


かくいう仙人も大好きな曲の一つで、酒で羞恥心を薄めてよくマイクを握ったものでした。この高野公男は仙人の棲み処から30キロくらいの笠間市出身なので、その顕彰碑や墓所を訪ねてみました。


生誕地の笠間市大郷戸は県境の地で、北西約7キロ先から栃木県益子町になります。栃木県出身の船村徹とは、訛りの残る北関東の者同士の親しさもあり意気投合したのでしょうか。


集落の10数基の墓が並ぶ一番奥に高野公男の墓がありました。


一生を簡潔に述べた高野公男(本名 吉郎)の譜です。


さて、東洋音楽学校(現 東京音楽大学)の在学中に知り合った二人は、同じ北関東出身で気が合い高野の詞に船村が曲を付けた多くの曲は採用されず、苦しい生活が何年も続きます。
たまたま、三橋美智也の「君は海鳥渡り鳥」のB面に起用された春日八郎の曲を選んでいるときに、お蔵入りの作品の中から「泣けたっけ」という曲が目にとまり、「別れの一本杉」と題名をかえて出したところ昭和30年の大ヒットになりました。
しかし喜びはつかの間、高野は結核にかかり入院してしまいます。船村は作詞高野という条件付きで仕事を受けて治療費を稼ぎ病院にも通いましたが、翌年9月8日に26年の短い生涯を閉じてしまいます。枕元に残された3冊の作詞ノートを高野の母から託された船村は、その後も二人の作品として世に出し多くの曲がレコード化されました。
7年間の短い二人の交流ですが、船村は高野を生涯の友として、毎年の命日の墓参を欠かさず、また節目の年には追悼コンサートを行ってきました。そして平成28年9月、心臓病大手術後の船村は最後の供養として高野公男没後60年祭「友情無限」コンサートを水戸で開催しますが、その5か月後には友のもとに旅立っていきました。



船村徹の筆による「友よ」と呼び掛けている哀悼の詩です。暗い墓地の中、男の友情が切々と伝わり涙を誘います。



大郷戸の集落入り口には、大きなお地蔵さんと「別れの一本杉」の歌碑があります。


船村徹の直筆でしょうか「公男の歌魂よ、とこしえに ふる里の山海にねむる」 平成十五年秋 船村徹と彫られていました。


傍らにはどなたかが置いたのか、杉の木の根元に小さな地蔵さんも置かれていました。


冒頭の写真はこの「詩人高野公男之像」です。日本三大稲荷といわれる笠間稲荷神社の西側に建っていました。「友情無限」高野公男没後50年祭記念 平成18年9月8日 船村徹建立 と記されていました。


笠間陶芸の森公園の北西にある小高い丘にも、高野公男顕彰碑が建っています。

ここ笠間は石の町で知られ、採掘される花崗岩「稲田石」は、国会議事堂などにも使われたブランド石です。その大きな花崗岩の中に直筆で書かれた「別れの一本杉」の歌詞と船村徹手書きの楽譜がはめ込まれていました。


高野公男の譜と、ここにも船村徹の「友よ…」の哀悼の詩がありました。高野公男作詞、作曲船村徹の名曲「男の友情」…その冒頭の語りの部分にこの詩が入っています。


訪ね歩いた碑の周りは二人の友情を称えるように新緑が輝き、野茨(ノイバラ)も短い花期を惜しむように花を咲かせていました。世に出た歌に感じる独特の哀愁や郷愁と同じように、その作曲家の人柄が彷彿する友情のエピソードでした。

黄色い花の野草…初夏になっても多いなぁ!

2023年05月07日 | 季節の花
早春の花に黄色が多いのは、春先に受粉活動を始めるアブやハエの仲間が黄色い色に敏感だといわれていますが、初夏の散歩道でも多く目に付く黄色い花たちです。

キンポウゲ(金鳳花)が輝いていました。葉の形から「馬の足型」という別名があります、あまり似ていませんが。


同じキンポウゲ科のキツネノボタン(狐の牡丹)、野に咲き葉が牡丹に似ているのが命名由来ですが、金平糖のような緑の実が狐の余所行きのボタンかと思っていました。


ニガナ(苦菜)は名前の通り苦い味がするそうです。沖縄料理でンジャナとよばれるニガナは栽培もされているそうですが、ホソバワダンという別種です。


クサノオウの漢字名は、皮膚病に効く「瘡(くさ)の王」、薬草の中の王様「草の王」、黄色い汁を出すので「草の黄」という3つの説があります。


最近増えてきたブタナ(豚菜)はヨーロッパ原産で、フランス語の「豚のサラダ」から直訳されました。


ノゲシ(野芥子)は葉がケシに似ているからの命名ですが、ケシ科ではなくキク科です。


オニタビラコ(鬼田平子)の仲間のコオニタビラコが、春の七草のホトケノザ(仏の座)のことです。
もっともホトケノザという名前は、いたるところで咲いている紫色のシソ科の植物が完全に我がものにしたようですが。


ジシバリ(地縛り)は地面を覆いつくすように生い茂るので名前が付きました。


ミツバツチグリ(三葉土栗)は、西日本に生育するツチグリという太い根茎が食用になる野草に似ているので命名され、いたるところに顔を出していますが、本家のツチグリは絶滅危惧種になっています。


田んぼの水路の脇で見つけたトウダイグサ(燈台草)、苞葉の中の黄色い花を、灯心を立てて火をともす油皿に見立てました。
※フォロワーのKさんからコメントをいただいて、改めて見直しましたらどうも同じトウダイグサ属のノウルシ(野漆)のような気がします。前にブログで紹介したノウルシと同じフィールドで撮影したものでした。


そしてタンポポ(蒲公英)、この一帯はすべてセイヨウタンポポでしたが、嬉しいことに激減した日本古来のカントウタンポポが数を増やしてきているというニュースを最近眼にしました。

今日の花は我が歳時記には次の3種だけしか載っていませんでした。歳時記は改定されるたびに新しい季語の採用が行われ、芭蕉時代には千にも満たなかった季語が今では百倍を超えているそうですが、この花たちが今後も採り入れられるのは難しいかもしれません。

大宰府の畔道潰えきんぽうげ  山口青邨
たびらこの花に憩ひて古戦場  北田桃代
たんぽぽの絮言霊に似てあそぶ  神尾久美子
陽の欠片ブタナたんぽぽ金鳳花  顎鬚仙人

ところで冒頭のキツネノボタンのようにキツネのついた野草の名前は、拙ブログでもキツネアザミ、キツネノカミソリ、キツネノマゴを載せたことがありましたが、それぞれ違った命名由来があるようでした。(異説もあります)

キツネアザミ:アザミに似ているけど葉に棘が無くキツネに騙されたよう
キツネノカミソリ:葉が剃刀の形で、葉の色もキツネ色
キツネノマゴ:花が狐の孫のようにかわいい、花の出ている花序が狐の尾っぽのよう

放映中の朝ドラの主人公牧野博士の命名した植物は、新種や変種など2500種以上とされます。その傑作というべきイヌノフグリ(犬の陰嚢)、ハキダメギク(掃溜め菊)などは拙ブログでも取り上げたことがありました。この二つの名は、それぞれ形が似ているから、発見した場所から、付けたと伝わります。
キツネを付けた先人は不明ですが、その真意も本人に聞いてみないとわからないと思いました。