顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

藤田東湖像

2016年09月29日 | 歴史散歩

「大洗町幕末と明治の博物館」の松林の中に、徳川斉昭の片腕となって改革を進めた藤田東湖の迫力のある銅像が立っています。水戸学の学者でまた有能な政治家でもあった東湖は、幕末の志士たちに大きな影響を与え、西郷隆盛も水戸藩江戸屋敷に東湖を訪ね何度も語り明かしました。残念ながら1855年の安政の大地震で、母親を助けようとして50歳で圧死してしまいました。もし生きていたら、その後の凄まじい藩内抗争は起きなかったとよく言われますが仙人も同感です。

この像は地元出身の飛田忠造(東山)が昭和16年に母校の磯浜小学校に寄付したもので、その後昭和30年11月に現在地に移転したと説明板にあります。この人物は尾崎士郎の吉良常そして高倉健主演映画の「唐獅子牡丹」のモデルともいわれ、「最後の町奴」といわれた当時の有名な侠客だったようです。
相当な力作の銅像なので、彫刻家の名前を探しましたが、見当たりませんでした。
右脇には東湖の「正気歌」の碑と飛田東山の「文武不岐」の碑が並んでいます。
なお「常陽藝文」には、東湖像は大洗出身の桜井萬次郎が、師事していた当時の彫塑界の大家、長谷川栄作の指導のもと制作にあたったと書かれています。

秋のキノコ

2016年09月27日 | サイクリング
金木犀が匂います…昔から金木犀が匂い始めるとキノコの季節と言われています。たまたまサイクリンで涸沼広浦キャンプ場、そこの松林で見つけたキノコを撮ってみました。

イグチ科のハナイグチ、この辺ではアワモチタケ、アブクタケといってコリコリの食感で美味です。キノコそばで有名な市内の蕎麦屋ではジゴボウという名で出ていました。
いつかいっぱい採って味噌汁で食べたら、下痢をしてしまい、すわ食中毒とあせりましたが、管孔系のキノコは食べ過ぎると消化不良を起こすと後で知りました。

食べられるアカハツです、多分赤いハツタケという名前。海岸沿いの松林によく出るハツタケの仲間、早い時期に出るのでハツタケ?きれいなキノコなので結構見つけると嬉しくなります。

キシメジです、多分。どちらかというと晩秋、海岸の松林に出ます。小さいときは砂の中に半分埋まっています。近所の方と数人でキノコ採りに出かけ、帰ってからきのこ汁をつまみによく酒を飲んだものでした。

ベニタケ。種類はいろいろあるようですが、鮮やかな朱色なので毒キノコとして認識していました。調べてみるとベニタケ属には比較的毒キノコは少なく、ただ辛味が強いので食べないようです。
今回のキノコは数も少なく自信もなく採取しませんでしたので、くれぐれも鑑定の材料にはしませんように…

茸(たけ)狩りのから手でもどる騒ぎかな  一茶
毒茸(どくきのこ)月薄目して見てゐたり  飯田龍太

蝉の死骸の季語は?

2016年09月25日 | 俳句
あちこちで蝉の死骸を見かけます。7年間土の中で準備して、やっと地上に出たら7日の生命とよく言われる蝉の一生…、季節の移ろいと儚さを強く感じさせます。
※最近の研究ではもう少し長く、1か月くらい生きるのではという説もあります。
蝉の抜け殻、「空蝉」は「蝉」全般と同じく夏の季語です。秋の季語としては「秋の蝉」、「秋蝉(しゅうせん)」がありますが、蝉の死骸は夏でも見られるせいか、秋の季語としては歳時記(私の使っている)には載っていません。

例句では「落蝉(おちせみ)」や「蝉骸(せみむくろ)」、中には「死蝉」(読み方は?)などの句があり、特に秋としての分類にはなく夏の季語になっていますが、秋に詠んだほうが思いが深くなるかなと個人的な感想です。
                 
ぬけがらに並びて死ぬる秋の蝉  内藤丈草 
うらがへる蝉に明日の天気かな  青山茂根 
死蟬をときをり落し蟬時雨  藤田湘子
鳴き尽くし蝉の骸の軽きこと  西村舟津
蝉骸腕くみ天を仰ぎたり  顎髭仙人

赤と黒のブルース

2016年09月23日 | 日記
真っ赤な曼珠沙華に真っ黒な黒揚羽がとまって夢中で蜜を吸う、不気味で妖麗なワンシーンです。俗物仙人が思い浮かぶのは、鶴田浩二の赤と黒のブルースか、少し無理してスタンダールの赤と黒か、思わず足を止めてしまいました。

作曲/吉田正 作詞/宮川哲夫 ♪ 赤と黒とのドレスの渦に  ナイトクラブの 夜は更ける  妖しく燃える 地獄の花に ♪ 暗い心が 暗い心が ああ またうずく ♪……
1830年フランスの作家スタンダールによって書かれた「赤と黒」の題名は、主人公のジュリアンが出世の手段に選んだ軍人(赤)と聖職者(黒)の服の色を表しているとか、また、出世を賭けようとするジュリアンの人生をルーレットの回転盤の色で表しているとか言われていますが、作者は題名の由来を特に明言しなかったようです。

小さな栗の実

2016年09月21日 | 俳句
散歩道のアスファルトに落ちた栗、少し演出を加え並べ替えて撮りました。芝栗という山野に自生する小さなヤマグリ、縄文時代から食用にされ、その木は柱などに使われたことが遺跡で証明されています。甘みは強く美味しいけれど何せ皮を剥くのにも一苦労です。しかも、拾って置いておくと虫が湧き出して来るように出てきます。

栗は、たんぱく質やビタミン類、ミネラルをバランスよく含む、非常に栄養価の高い食品なので、この栗を病床で苦しむ正岡子規に弟子の長塚節が毎年送っていたという逸話があり、その句も残っています。明治35年9月19日、子規の訃報が届いた時も、節は子規に送る栗を拾っていたとか、やがて子規と同じ結核で36歳と言う若さでこの世を去ります。

真心ノ虫喰ヒ栗ヲモラヒケリ  正岡子規
(この句には「節ヨリ送りコシ栗ハ実ノ入ラデ悪キ栗也」の添え書きが付いています)
ポケットの楽しき重さ栗拾ふ  山田弘子