人間の欲望なんてものは、限りがありませんから、「足るを知る」ということは大切ですね。
しかし、自分自身でそのことを自覚するということは非常に難しいことです。
昔の人は、うまいことを云いました。
『立って半畳、寝て一畳、天下取っても二合半。』
経済的な欲望や名誉欲などを考えると全く同意します。
しかし、システム開発やビジネスの可能性、生き方など、
自分の「夢」に向かって努力することに関しては、仮に他人が見て「身の程知らずの野心だ・」と思われたとしても、「無限」であるべきだとも思います。
人間というものは、自信とプライドがあるから「夢=野望」を抱くわけですし、「自分はできる。」と思うから一生懸命に努力する。
いうなれば、ドンキホーテのようなものですね。
問題は、『結果』ですね、
結果が出せれば、「自信」につながりますが、一生懸命に努力しても「結果が出せない」場合、
その時に、その人間がどのように感ずるかで、自分自身の人間としての価値と能力が解るはずなのですが、そこが一番難しいわけです。
時代背景のせいにするか、自分の現在置かれた立場や環境のせいにするか、それとも他人のせいにするか・・・、
そこで、自分の努力が足りない。工夫が足りない。考え方が間違っていると自ら考えて努力するタイプの人間だけが、再び立ち上がって努力します。
「自分は絶対に能力がある。」と確信して生きることは人間にとって絶対に必要なことだとも思うわけですが、
実は、そんな人間ほど能力が無くて、弱くて、身の丈を知らないことが多いと思います。
常に、キャリアや学歴などを捨てて、実力で勝負する時代なのだということを忘れているわけです。
私の身の回りには、いろいろなキャラクターの人間がいます。
高校入試に失敗した人間が努力して、職員を600人以上も擁する医療法人の副理事長としてやり繰りをしていたり、
高校を退学して中卒から大検で弁護士になって、弁護士会の会長として活躍し、さらに三人のご子息が公認会計士と弁護士という優秀な友人もいます。
中学を卒業して集団就職で都内に出て行った友人が、有名店のオーナーシェフとして活躍していたり、
大学入試に失敗して浪人していた友人が、予備校の人気講師となり、今では大学教授となっています。
身の回りに、学ぶべき人材がいると自分も頑張れます。そのことが自分にとって一番の資産だと思っています。
「足る」を知りながら努力する。自らの能力を過信せずに努力する。自分の能力が不足していると感ずることがあっても失望せずにさらに立ち上がって努力する。
結果の出せる人間は、みんな表面的には楽天的に見えるのですが、
実は、他人の何倍も、悔しい思いをしていたり、悩んだり、苦しんだりして現在があります。
大学を出て、親から充分な資産を継承した経営者が今でも安穏とトラックで配達をしている人間もいます。
人生なんてものは、本当にそれぞれの考え方で生き方も変わるものです。
どんな生き方をするにしても、自分の人生の終わり際に「わが人生に悔いなし。」といえるような
「ああ・・・、一生懸命努力して生きてきた。」といえるような生き方をしてみたいものです。
これから、九州、大阪、仙台とハードな日帰り出張が続きます。