たまご粥。
最初で最後?の「おじぃちゃん」が作ってくれたたまご粥。
急性肝炎になる2週間程前の事。
お医者さんに行っても、熱も嘔吐も引かなかったが、トイレには何故か行った。
なので、お腹は多少空いていたのである。「おじぃちゃん」が部屋に小さなお鍋を持って来た。
何だろう?と思ったら「お粥を作ってきた。」と鍋ごと持って来た。
食欲はなかったが、一口食べて、、、止めた。冷めていたし、お粥その物が苦手だった。
「いらない!」と言って退けた。たぶん、それが一番の作らない理由かも、、、。
本人は一生懸命作ったのに、私はいとも簡単にそう言ってのけたのだから。
のちに聞いたら、それが初めてのお料理だったらしい。
何しろ、お姑さんの話ではお箸の上げ膳、据え膳から全てやってあげた、との事。
それほど可愛がって育てたらしい。
私の事は娘のように…とはおっしゃられていましたが、、、。私にはそうは思えませんでした。
義弟には「お前が来てから、このうちがおかしくなった!」
とまで言われた。でも、義弟は親のすねっかじりそのもの。普段もうちに居ないし、
お金を使い、遊びほうけてばかり。その頃の私は何を言われても全然平気でしたね。
でも、今思えば、彼は彼なりに必死だったんでしょうねぇ。
それから程なくして入院する事になったんでございます。
今、その子が生まれていれば現在の子はいなかったですし、その子が生まれていないからこそ、
今の子は存在するんです。元々、子供はそんなに産めない体だと自分で思っていました。
お陰さまで、その子も今は元気に働いていますよ。
一年後。
神奈川県に引越した時にはもう既に上の子は1歳になっていました。
3年経ってもなかなか次の子が出来なかったので、一応病院で見てもらいました。
検査の結果、多少、子宮が小さいと言われましたが特に何処がどうと言う原因は見当たりませんでした。
そしていつの間にか不妊外来に回されていた事に気づき、少し戸惑いも覚えました。
説明も何もなかったものですから、、、。
そのまま、月に一回ほどのホルモン注射?らしき物を打たれましたが、数ヵ月後、自然妊娠。
お医者様もビックリ!自分でもビックリでした。
この時も、私、胃腸薬を飲んでました。「おじぃちゃん」から言われるまで全然気づかなかったんです。
胃もたれだとばっかり。昔から無頓着なんです。そこが世間知らずのお嬢様、と言われるゆえんです。
いつも「おじぃちゃん」の事ばっかり言っていますが、私もそれなりに「おバカ!」なんです。
私は自他共に「バカ嫁!」と言っております。自覚しているからこそ、皆さん、私のわがままを
許して下さる部分もあるようです。今更ながら、亡くなった両親には心配ばかりかけて
申し訳なかったなと思いました。すごく反対されてこのありさまですから、、、。
一番、子供の事を心配、理解しているのは親に限ります。
「あの時に親の言う事を聞いておけば良かった。」は凄く遅い事だったんです。
懺悔のつもりで記事にしました。
かしこ
水と油-「オトコとオンナ」
夕べ、床暖房のスイッチを切れ忘れた。
昨年末から夜だけスイッチを切って寝るようにしたら、なんと灯油代が半額にまで節約。
夜の付けっ放しは体にも良くないらしい。肌はカサカサ、喉は渇く。起床時はだるい。
付けっ放しの理由はこの家を建てた時の棟梁が「つけっ放しの方が良い。」と言われたからである。
今は小まめに消したりつけたりと節約に励んでいる。
何故かこんな問題だけでも我が家では大喧嘩に発展する。
昨年辺りから「おじぃちゃん」もジーンズの下にいわゆる、ももひき?ズボン下?
という下着をはきだした。ついでに上も長袖のシャツに変わった。
寒くて今までのように半そでの肌着にジーンズだけでは辛くてしょうがない、と弱音。
車に乗っても、やたらとスイッチを回し始める。
2年くらい前から仕事兼用自家用車を手放したので帰省時は私の車を使っている。
マイカーだけはタバコ禁煙。これだけは譲れないので、普段にも増してイライラが募る。
喧嘩が2日に早まったのはこのせいでもある。30分も我慢が出来ずにスパスパ。
家の中では目が痛くなる程。玄関を開けると、こんなに青森の空気は美味しいのかと思える程の美味しさだ。
余談だが、ちなみに水も美味しいみたい。地域によっても違うが、、、。
だって、神奈川県にいた頃は、まんま飲めなかったもの。
余計に顔が険しくなり、「寒い、寒い!」の連発。
「夜は湯たんぽを使って寝てね。」と渡したら翌日から「使わない!」と言う。
実は湯たんぽで昔、やけどをした事があるらしい。熱いのも知らずにそのまま、寝てしまい大やけど。
「おバカだ。」と思った。食器を洗わせても水をジャー。顔、歯磨きでも水をジャー。
「どうしてそんなに水を出しっぱなしにするの?せめて水の量だけでも加減してよぅ。」
と、言った途端、もう怪訝な顔。あまり言うとまた「引きこもり」になるので、、、。
ある人に言われた。
あなたとご主人は「水と油」「土と火」です。絶対に混じり合うことはありません、と。
信じた訳ではない。その当時は微塵も思わなかったから、、、。
今、思うと当たっているので空恐ろしくなっている状況でもある。
卵とサラダ油は攪拌すると美味しいマヨネーズになる。だが冷え過ぎると分離する。
そういった感じなのかなぁ。「おじぃちゃん」はお金がなくてもあったふりをして、実家に帰ると、
親戚の子供達に惜しげもなくお金を振舞う。現状は火の車。私はせっせと小金をためて節約。
両方が使い放題だとしゃれにもならない位、どん底に陥る。かつては「おじぃちゃん」も
「お前のお陰で家を建てられた。」と私に言ってた言葉は何処へ、、、。
もう一つ言おうか、、、。
「頼む。家を建てるには夫婦でないと建てられない。」と離婚話を持ち出した私に言った言葉。
忘れるなかれ!そんなおバカな話、誰が信じる。仕方がないのでそのままにしておいた。
それから何年、経っただろうか?30代でおうちを建てたい、という「おじぃちゃん」の夢はかなった。
でも、その家には帰らずに実家に帰ってばかり、、、。
「あなたのおうちは何処?」答えは、居心地の良い「実家」であった。
「うちに寄り付かないのは、居心地が悪いからじゃないの?」とお姑の電話口での言葉。
やっぱり、そうだよなぁ。「おじぃちゃん」は違うって否定してたけど、、、。
結構、ショックだったかなぁ。
体の心配をして「あまり酒を飲むと良くないよ。」「タバコも程々にしなさいよ。」
私だってタバコのうまさは知っている。吸う人の気持ちも吸わない人の気持ちも両方知っている。
だから言える。「程々にしなさいよ。倒れてからじゃ遅いんだよ。」って。
わかっちゃいるけど止められない、ってか、、、。
今日は食パンを作っているから合い間のパソコン。
ゆで卵を作りすぎちゃって、急に卵サンドを食べたくなった。
他の方のブログを覗いたら肉まんもあった。食べたい。だから私もプチ「引きこもり」。
かしこ
オトコの「家事」。
一ヶ月間だけ同い年になる月がある。
元々、私の方が1ヶ年上。いわゆる姉さん女房である。
仕事柄「おじぃちゃん」は上から物を言う立場なので、自宅に帰ると立場が逆転する。
なので、そのギャップに戸惑うらしい。
最近は切れかかってきているので今は何とも言えませんが、、、。
私は高校生の頃から同い年の人よりずっと落ち着いて見られた。
ところがどっこい。あちらさんは、バイクで山ん中や田んぼの中を駆け巡るやらのやんちゃ坊主。
警察にも散々お世話になったらしい。車も親に買って貰い、ローン払いも滞る始末。
まっ。誰かさんに似たような部分もあり、ここでも苦笑いである。
今はうって変わってお仕事オンリー?
子供が生まれた時は「自分の子供じゃないような気がする。」と漏らした程。
じゃぁ、誰の子供なの?って言いたくはなりましたが、、、。
いつものように自宅に帰ってきた時。その日は台風が近づいていた。
「これから子供を連れて、川へ釣りに行ってくる。」と言い出した。当然、止めましたよ。
この時の事は、言った本人もおかしいと思ったらしく、後に笑い話になったほどだ。
運動会では「雨になって中止になるようだから、ちょっとその辺まで行ってくる。」と言い出した。
いつものように、子供と寂しい昼食を取る事になった。
さすがの私もきれまして、「子供が小さいうちは、どこそこへ行くよりもたまに側に居て
宿題をみてやるとか出来ないの?」とタンカをきりました。
「お父さん」ではなく「兄弟」のような感覚で接していましたので、子供は親を怖がらない。
お陰で私は子供が中学校に上がるまで、「学校の先生」に度々呼び出されて泣いて暮らす日々となった。
今から丁度10年前。
私は朝の9時から午後の4時まで、パート社員のお仕事をしていました。
どういう訳か試験に受かってしまい、後悔しました。本当は「イヤ!」だったのです。
お相手の「おめでとうございます。」の電話の声にハッと我にかえり、渋々、
「ありがとうございます。」と答える羽目に。
理由は子供との喧嘩の弾みで受けただけなんです。
お正月に帰ってきた「おじぃちゃん」に送り迎えをしてもらい、忙しいので、
「今日は俺が家事をやる。」と言い出した。「じゃぁ、お掃除と夕飯をお願いするわ。」
電話でお迎えを頼む時に、「お掃除、出来た?」「もう、ばっちり!」
帰ったら、お掃除をした気配なし。お台所はグチャグチャ。
高そうなお肉料理で手一杯の様子。子供は食べましたが、私はご遠慮致しました。
「家事をやる位なら、外で仕事していた方がずっと楽だ。」と、とうとう弱音を吐いた。
朝から洗濯、料理、掃除、買物、子供の世話、他の所用を足したりと、、、。
お仕事を兼ねての家事というものは馬鹿にならないほど、重労働です。
その辺をわかってもらいたくて、一度だけ経験させました。
何もしなくなったのは、私が横からあれこれ言うのが何やら気にいらない様子。
自分で作った料理には「汁まで飲めよ!」って言う。
それって普段私が言っている言葉じゃないの。立場が逆転するとみんなおんなじ事、言うのよね。
ちなみにその時にこっていた料理が豆もやしの炒め物。その時もやっぱり食べられませんでした。
理由?油ギトギトは食べられなかったから。でも、それだけではなかったかも、、、。
かしこ

さて、今日のお題はオトコの「更年期」。
知っての通り、我が家ではお盆、お正月、たまに5月の連休になると帰省する。
別段、我が家だけが毎度々、口喧嘩が絶えないというのは珍しい事ではない。
長い事、別々に暮らしていると、自然とこうなるようだ。
お姑さんにもかつては、「離れて暮らしていると、良くないよ!」と言われた事があった。
その頃は、意味がわからずに何の事を言っているのか、サッパリだった。
話は変わるが、最近よくお相撲さんが故郷へ幾度となくお帰りになられる、というTV。
あれを見る度に、「おじぃちゃん」を思い出してしまい、一人テレビの前で苦笑いである。
一昔前になるだろうか?その日も、いつものようにちょっとした事で口喧嘩が始まった。
子供の手前もあり恥ずかしいので、早めに解決しなければとこの日もお部屋にお邪魔した。
機嫌が悪くなると、子供部屋に引きこもってご飯は食べないし、口も聞かない。
いわゆる、プチ「ひきこもり」である。
これが始まると家の中の空気が重くなり、私まで具合が悪くなる。
仕方がないので、なだめすかしたり、ご機嫌をとったりと大変な苦労を強いられる。
いつもと違うのは少し突っついただけで怒リ始めるのでおかしいな?と思っていました。
「ねっ。どうしてこんなつまらない事でそうすぐに怒るの?」と聞いてみました。
そしたら「俺はオトコの更年期にかかっているんだ!」と言い出した。
心配して「病院、行ってみたの?」とすぐに聞いてみた。
「イイヤ!」とすぐに口ごもった。
横を向いて何やらブツブツ言い出した。聞こえないので、
「ねぇ、聞こえないから大きな声で言って!私の耳が聞こえずらいの知ってるでしょ!」
と言ったら大声で怒鳴り返される始末。その時は何を言われたか覚えていないが…。
これ以上、何か言うとかえってこじらせるのでそのまま、ほっておいた。
たぶん、その時は気分が悪いまま、お帰りになったと思う。
気になって、姉から電話をもらった時にその時の症状を聞いてみた。
「私の同級生にも居たけど、自分の思いがちゃんと言えないと、小声でブツブツ言い出すみたいよ。」
と言われた。なるほど、、、でも更年期かどうかまではわからない。
お正月。いつものように帰ってきました。
「ねぇ、更年期とやらの症状はどうなったの?」と聞いてみた。
「あっ。アレ?仕事しているうちにそんなもん、忘れちまったぁ、、、。」
この野郎!人に散々心配かけやがって。こっちが更年期まっただなかの最中に、、、。
お金がない時に結構、イライラタイプの人である。だがこの時のイライラは別の所にあった。
最近知ったばかりの話である。仕事柄、パソコンもやっている。
当初、始めたばかりのパソコンにいらだち、何やら家族にその不満をぶつけていた模様。
本人いわく。それがきっかけで、「オトコの更年期」もどきだったようです。
まっ、私もパソコンがきっかけで更年期の症状が悪化した訳ですから、
お互い似た物夫婦という事にあいなるんでしょうねぇ。
最近では2日目に入るともうイライラ。口喧嘩も、、、。以前は4日目位だったのが、、、。
段々、パワーアップした事になる。子供にも「いつもゴメンネ。」と平謝り。
お互い帰るべき所に帰ると落ち着きを取り戻し、平常心に戻る。
こんな夫婦があってもおかしくはないと思うのですが…。
かしこ
