1981(昭和56)年12月6日建立のYMCA原爆瓦記念柱碑・・・
原爆瓦についての碑文を今回追記しました
1945年8月6日午前8時15分、原子爆弾の炸裂により、爆心地の温度は摂氏3000度から7000度の超高温になりました(鉄のとける温度は1500度、太陽の表面の温度は約5700度です)熱線は爆心地の住民を焼き殺し、住居を炎上させ、屋根瓦をとかしました。この瓦には、表面がとけてできたガラス質の粒があり、原爆の熱線のあとをはっきり示しています。爆心地直下で生活した人々も、この瓦と同様に焼かれ、とかされ、殺されました。泡状に表面が焼けただれた瓦は、この人類史上未曽有の惨禍を語りかけています。
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原爆瓦についての碑文を今回追記しました
1945年8月6日午前8時15分、原子爆弾の炸裂により、爆心地の温度は摂氏3000度から7000度の超高温になりました(鉄のとける温度は1500度、太陽の表面の温度は約5700度です)熱線は爆心地の住民を焼き殺し、住居を炎上させ、屋根瓦をとかしました。この瓦には、表面がとけてできたガラス質の粒があり、原爆の熱線のあとをはっきり示しています。爆心地直下で生活した人々も、この瓦と同様に焼かれ、とかされ、殺されました。泡状に表面が焼けただれた瓦は、この人類史上未曽有の惨禍を語りかけています。
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