いまは住宅地となっている東区の戸坂の街。
被爆当時戸坂村であり爆心地から一番近い地区で3.9kmだったことから
広島原爆戦災誌によると原爆炸裂時の人的被害・即死者26名の方々だったようですが、
市内からの被災者であふれ約600名の方々が亡くなったそうです。
その方々の遺体を二段にならべて供出用の松根の残りと各部落から供出した割木で荼毘にふした。
これらの遺骨は1945(昭和20)年10月尾長山に仮埋葬をしそこへ標識として供養塔を建てたとあります。
戸坂供養塔
原爆関連慰霊碑等一覧
被爆当時戸坂村であり爆心地から一番近い地区で3.9kmだったことから
広島原爆戦災誌によると原爆炸裂時の人的被害・即死者26名の方々だったようですが、
市内からの被災者であふれ約600名の方々が亡くなったそうです。
その方々の遺体を二段にならべて供出用の松根の残りと各部落から供出した割木で荼毘にふした。
これらの遺骨は1945(昭和20)年10月尾長山に仮埋葬をしそこへ標識として供養塔を建てたとあります。
戸坂供養塔
原爆関連慰霊碑等一覧