昭和20(1945)年9月17日午後10時20分過ぎに枕崎台風により大規模土石流が起こり一瞬にして大野陸軍病院病院の本館を海の中まで押し流し入院中の患者と被爆者のほとんど全員と医師、看護婦(看護士)をあわせて156名の尊い命を奪いました。
この中に、京都大学原爆災害総合研究調査班として、派遣されていた、真下俊一教授他11名の方々が亡くなったのです。
その方々の追悼と恒久平和を祈念してこの碑が建立されました。
この碑のことは原爆関連の慰霊碑の資料を見て知っていましたので何時か訪ね頁にしなくてはと思っていたのです。
京大原爆災害調査班遭難記念碑
広島ぶらり散歩「原爆関連慰霊碑等」編
廣島ぶらり散歩
この中に、京都大学原爆災害総合研究調査班として、派遣されていた、真下俊一教授他11名の方々が亡くなったのです。
その方々の追悼と恒久平和を祈念してこの碑が建立されました。
この碑のことは原爆関連の慰霊碑の資料を見て知っていましたので何時か訪ね頁にしなくてはと思っていたのです。
京大原爆災害調査班遭難記念碑
広島ぶらり散歩「原爆関連慰霊碑等」編
廣島ぶらり散歩