東広島市西条町御薗宇の観現寺に建立されている「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」です。
※説明板によると
『・・・・宝篋印塔は、元来「宝篋印陀羅尼経」という経典を納めるための供養塔で、後に墓石としても使われるようになりました。
この宝篋印塔は、勝屋右京の墓と伝えられ、
“芸藩通志”によれば、塔身の左側面に「勝屋右京墓」、右側面に「建保四丙子年七月八日」と刻まれていたとされますが、現在は風化が著しく、正面の梵字以外判読できません。』とあります。

(裕編集の)(観現寺の)宝篋印塔
※説明板によると
『・・・・宝篋印塔は、元来「宝篋印陀羅尼経」という経典を納めるための供養塔で、後に墓石としても使われるようになりました。
この宝篋印塔は、勝屋右京の墓と伝えられ、
“芸藩通志”によれば、塔身の左側面に「勝屋右京墓」、右側面に「建保四丙子年七月八日」と刻まれていたとされますが、現在は風化が著しく、正面の梵字以外判読できません。』とあります。

(裕編集の)(観現寺の)宝篋印塔
4月3日(安芸区のわが家付近)天候:はれ