広島市中区大手町の島内科医院前に広島市によって「爆心地・原爆被災説明板」が設置されています。
※(広島の)爆心地には、原爆被災説明板しかありません。
当時:廣島市細工町(さいくまち)29-2 島病院

写真右奥の鳥居は廣島護國神社のもので、現在は場所を移されていますが健在です。
島薫院長の遺稿集(1983年編纂)では
「80人ばかりの人が亡くなった」とあります。
「病室はほとんど満員で50人は入れました。それに、食事の支度をする患者さんの家族が付き添っていました。看護婦はいずれも住み込み。10人はいたと記憶しています。」
病院は6人部屋から個室までの15室を備え、困窮患者をみる木造の施療7室もありました。
敷地面積は約1,320㎡でした。
(裕編集の)爆心地・原爆被災説明板

国土地理院の地図を使用しています。
※(広島の)爆心地には、原爆被災説明板しかありません。
当時:廣島市細工町(さいくまち)29-2 島病院

写真右奥の鳥居は廣島護國神社のもので、現在は場所を移されていますが健在です。
島薫院長の遺稿集(1983年編纂)では
「80人ばかりの人が亡くなった」とあります。
「病室はほとんど満員で50人は入れました。それに、食事の支度をする患者さんの家族が付き添っていました。看護婦はいずれも住み込み。10人はいたと記憶しています。」
病院は6人部屋から個室までの15室を備え、困窮患者をみる木造の施療7室もありました。
敷地面積は約1,320㎡でした。
(裕編集の)爆心地・原爆被災説明板

国土地理院の地図を使用しています。
7月29日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
29.6℃、69% 朝から暑い