座敷ネズミの吉祥寺だより

吉祥寺って、ラッキーでハッピーなお寺ってこと?
中瀬の吉祥寺のあれこれをおしゃべり。

遊びをせんとや

2013-01-05 | おしゃべり
最低視聴率の新記録を達成した?去年の大河ドラマ、
『平清盛』。

(参照:NHK「平清盛」視聴率ワースト更新!関東で7・3%

そのオープニングで、何度も何度も聞こえてくる唄。

それが『梁塵秘抄』の中に収められた歌謡の一節です。

「遊びをせんとや 生れけむ

 戯れせんとや 生まれけむ

 遊ぶ子どもの 声聞けば

 我が身さへこそ 揺るがるれ」






ドラマを見終えた後も ついつい口の端に上ってしまいそうな、
平易なメロディー。

本当の節回しは どんなものだったのでしょうね?






読売新聞の日曜版のトップページ、
「名言巡礼」に取り上げられていたのは 
11月25日でした。



そこには、「文化の原点 遊びにあり」と題して
梁塵秘抄の一節、「遊びをせんとや生まれけむ」
が 書かれています。



この記事の書き出しには

「遊びとは、文化から生れたのだろうか。

 人間が文化的な生活を送るようになった結果、
 遊びを作り出したという考え方が 長い間、支配的だった。」

とあります。



しかし、
オランダの歴史学者 ヨハン・ホイジンガ(1872~1945) 
(『ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)』の著者)が
「遊びが先にあり、その結果、文化が生れた」説を 
唱え始めたのだそうです。



私は、記事の中にある、
遊戯史学会会長・増川宏一さん(82)の言葉に
共感します。

それは、
「狩猟・採集生活をしていた人間が
 食料の備蓄を覚えて余暇を作り、遊びを始めた。

 それが 
 草の茎を引っ張り合う草相撲だったのか、
 やり投げだったのかは
 わからない。

 ただ、その遊びが 文化の始まりでしょう。」

というものです。

(ただ、食糧の備蓄と余暇の創出よりも
 「遊び」が先だった、と 私は思います。)






私は
子供が 一心不乱に 何かに興じているのを眺めていて
ふと この唄を思い出して
涙が出るほど 感動してしまう事がありました。



子供は 興味を引き出してさえやれば
(言い換えれば、邪魔をせずに放っておけば)、

際限なく どんどん興味を持ち、

面白いと思えばこそ、
自分でのめり込んでいって 思考を重ね、

技術を磨いていきます。



それは 修行が喜びである仏様の世界のようでもあります。



私達 おとなは 
子供が 自力で 
面白さ・奥深さ・難しさを感じ取っているのを
ただ 邪魔しないように 見守っているのが
仕事なのかもしれません。

ですが、
若い親には なかなかそれが難しいのも 事実です。






子供が 大きくなってしまった私は、
仕方がないので(笑)、

自分で「遊びの世界」を見つけて
夢中になって遊んでみる事にしましょう。

どれもこれも、奥が深すぎて 大変ですよ、きっと。



私の 今年のテーマは、「遊び」です(笑)。

と言うと、
住職の苦笑いが 目に見えるようです(爆笑)。






『梁塵秘抄』の選者は、後白河法皇だという事です。