台風の影響による雨が上がった 強風の朝、
新聞の一面を見て アッと思いました。
やなせたかしさんが 94歳で亡くなりました。
今年の初夏の頃には コンサートに出演なさっていたので
まだまだ大丈夫? と思っていました。
「やなせたかしとアンパンマンコンサート」 2013年5月5日、三越劇場
そして ちょうど やなせたかしさんについて
記事にしようと思っていたところだったのです。
→→→ウィキペディア「やなせたかし」
やなせたかしコンサート開催!in三越劇場
肝臓や膀胱の癌との闘病。
ご病気さえなければ
もっと面白い事を 世の中に仕掛けてくださったのではないか、
などと考えてしまいますが。
ご冥福をお祈りします。
新聞にもありましたが、
やなせたかしさんの仕事の陰には、
「徴兵され 中国で 薄いおかゆだけの日々に苦しみ、
特攻隊員に志願した弟も亡くした戦争体験」
があったそうです。
「一方的な<正義>への疑問から、
<最も単純な正義は 生活が安定して 飢えないこと>
と考えた」
そうです。
そうして生まれたのが、自分の顔を犠牲にして
お腹がすいた人を助ける、アンパンマン。
確かに、人は お腹がすいていると 怒りっぽくなりますね。
世界の平和のためには
飢えない事が 一番大事なのではないかな? と思います。
私は 若い頃に 「詩とメルヘン」という雑誌が大好きでした。
絵も 詩も 紙質も、素晴らしい、上質なものでした。
『詩とメルヘン』に触れてから、
やなせたかしさんを 尊敬するようになっていました。
****************************************************************************
最近読んだのは、『オイドル絵ッセイ 人生、90歳からおもしろい!』という文庫本です。
平成24年9月1日に発行されています。(新潮文庫、550円)
挿絵もたくさん収録。
ファンには嬉しい文庫本です!
「ぼくは 老いてますます盛ん という頑健老人ではない。
座業生活五十年、持病の腰痛 プラス加齢による 各種の病気。
たてばヨロヨロ 座ればバタン。
心だけが思春期で チグハグなのが奇怪である。
奇々怪々!」(p41)
なるほどなぁ。
そんな感じの人だったよなぁ。
「人生というのは 後半の方がおもしろい。
年取ってから解ることが多い。
童話も 年とってから読むとおもしろいよ。
そうだったのかと解る。
グリムでも アンデルセンでも 日本昔話でも みんな奥が深い。
若い時 夢中になって読んだ小説が
青くさくて幼稚み見えてくることもある。」(p54)
だから、自殺なんかしては駄目だ、とおっしゃっています。
人生は 後半の方がおもしろいのだから、もったいない事だ、と。
「ぼくは 基本的には 含羞の人である。
極端な恥ずかしがり屋で、人前にでるのを好まない。
ところが、加齢するにつれて だんだん軽薄になり、
紅顔の少年は 厚顔無恥の爺さんになったのだから、
人生は恐ろしい。
予測できない、
ま、そこがおもしろいといえばおもしろいところなんですけども。」(p62)
老人学という学問がありますが、
この人に学べば、間違いナシ! と思いませんか?
こんなふうに、この本は 軽妙なエッセイとイラストに
ユーモアと 語呂合わせと ダジャレと 照れ隠し、
そんなものを まぶして できています。
けれど、この本の199ページからの「回天」、ここだけは違いました。
横山秀夫原作、市川海老蔵主演の映画「出口のない海」を
ご覧になった時のお話です。
映画のテーマは、もちろん、特殊潜航艇「回天」。
感想を依頼されて ご覧になった。
原作は読んでないし、依頼されなければ この映画を見る事は
決してなかったはずだ、と 書いてあります。
試写室へ行くのがおっくうだ、眼も耳も老化している、
そして、「戦争映画そのものが嫌いなのである」。
「自分が戦争を体験してからは 心の底から戦争が大嫌いになった。」
気が進まないまま見始めた「出口のない海」。
「だが 背骨に熱い戦慄が走って たちまち映画の中に引き込まれた。」
やなせさんは 戦争で 弟さんを失っていらっしゃいます。
「亡弟の千尋(ちひろ)が この映画を ぼくに見せていると思った。
こんなことを言うと 笑われるかもしれないが、
心霊が呼ぶということは あるような気がする。」
「ぼくは既に 人生の晩年に達したが、
最近しきりに亡弟千尋のことが偲ばれる。
あいつが生きていればと 残念でたまらない。
そこへ この映画である。
海軍の秘密兵器であった人間魚雷「回天」の秘話なのだ。
そして 弟は まさにこの回天に乗っていたのだ。」
「しかし 回天とは どんな兵器か、
この映画を見るまで ぼくは知らなかった。
また 知るための努力もしなかった。
戦争のことは すべて忘れてしまいたかった。」
「兄貴、俺が訓練をうけて乗っていたのはこれだぜ、よく見てくれ。
弟の声が聞こえた気がした。」
昨日の10月21日は 学徒出陣から70年だったそうです。
(戦争が 泥沼化していった頃だと思います。)
ならば、こうして今頃 私が 戦争に関してブログを綴る事にも
少しは 意味があるのでしょうか?
やなせたかしさんが 終生 忘れる事のできなかった心の痛みには
弟さんの死も 関係していました。
その心が 自らを犠牲にして 飢えた人を救ってくれる
アンパンマンに昇華していったのです。
そして 弟さんの死には 人間魚雷「回天」が関わっていました。
私達は 回天に関わった方を 少なくとも おひとり、知っています。
亡くなりましたが。
直接 お声を聞く事はできなくなりましたが、
だから忘れていい、とは言えません。
いえ、忘れてはいけないから、
こうして度々(パプアニューギニアの87歳の男性など)
「回天」アンテナに 引っかかってくるのだと思います。
戦争関連の報道の多くは 夏の暑い時期になされますが
秋にも 思いださせていただきました。
やなせたかしさんの絵ッセイには
たくさんの含蓄のある言葉がちりばめられています。
人間が生きていく上で 忘れてはならない事が たくさん書いてあります。
そして やなせたかしさんの優しさが
数々の苦しみや悲しみと共に 深く身に沁みてきたものだったのかと
私は 想像しています。
もう少し 回天に関する事を 考え続けてみたいと思います。
新聞の一面を見て アッと思いました。
やなせたかしさんが 94歳で亡くなりました。
今年の初夏の頃には コンサートに出演なさっていたので
まだまだ大丈夫? と思っていました。
「やなせたかしとアンパンマンコンサート」 2013年5月5日、三越劇場
そして ちょうど やなせたかしさんについて
記事にしようと思っていたところだったのです。
→→→ウィキペディア「やなせたかし」
やなせたかしコンサート開催!in三越劇場
肝臓や膀胱の癌との闘病。
ご病気さえなければ
もっと面白い事を 世の中に仕掛けてくださったのではないか、
などと考えてしまいますが。
ご冥福をお祈りします。
新聞にもありましたが、
やなせたかしさんの仕事の陰には、
「徴兵され 中国で 薄いおかゆだけの日々に苦しみ、
特攻隊員に志願した弟も亡くした戦争体験」
があったそうです。
「一方的な<正義>への疑問から、
<最も単純な正義は 生活が安定して 飢えないこと>
と考えた」
そうです。
そうして生まれたのが、自分の顔を犠牲にして
お腹がすいた人を助ける、アンパンマン。
確かに、人は お腹がすいていると 怒りっぽくなりますね。
世界の平和のためには
飢えない事が 一番大事なのではないかな? と思います。
私は 若い頃に 「詩とメルヘン」という雑誌が大好きでした。
絵も 詩も 紙質も、素晴らしい、上質なものでした。
『詩とメルヘン』に触れてから、
やなせたかしさんを 尊敬するようになっていました。
****************************************************************************
最近読んだのは、『オイドル絵ッセイ 人生、90歳からおもしろい!』という文庫本です。
平成24年9月1日に発行されています。(新潮文庫、550円)
挿絵もたくさん収録。
ファンには嬉しい文庫本です!
「ぼくは 老いてますます盛ん という頑健老人ではない。
座業生活五十年、持病の腰痛 プラス加齢による 各種の病気。
たてばヨロヨロ 座ればバタン。
心だけが思春期で チグハグなのが奇怪である。
奇々怪々!」(p41)
なるほどなぁ。
そんな感じの人だったよなぁ。
「人生というのは 後半の方がおもしろい。
年取ってから解ることが多い。
童話も 年とってから読むとおもしろいよ。
そうだったのかと解る。
グリムでも アンデルセンでも 日本昔話でも みんな奥が深い。
若い時 夢中になって読んだ小説が
青くさくて幼稚み見えてくることもある。」(p54)
だから、自殺なんかしては駄目だ、とおっしゃっています。
人生は 後半の方がおもしろいのだから、もったいない事だ、と。
「ぼくは 基本的には 含羞の人である。
極端な恥ずかしがり屋で、人前にでるのを好まない。
ところが、加齢するにつれて だんだん軽薄になり、
紅顔の少年は 厚顔無恥の爺さんになったのだから、
人生は恐ろしい。
予測できない、
ま、そこがおもしろいといえばおもしろいところなんですけども。」(p62)
老人学という学問がありますが、
この人に学べば、間違いナシ! と思いませんか?
こんなふうに、この本は 軽妙なエッセイとイラストに
ユーモアと 語呂合わせと ダジャレと 照れ隠し、
そんなものを まぶして できています。
けれど、この本の199ページからの「回天」、ここだけは違いました。
横山秀夫原作、市川海老蔵主演の映画「出口のない海」を
ご覧になった時のお話です。
映画のテーマは、もちろん、特殊潜航艇「回天」。
感想を依頼されて ご覧になった。
原作は読んでないし、依頼されなければ この映画を見る事は
決してなかったはずだ、と 書いてあります。
試写室へ行くのがおっくうだ、眼も耳も老化している、
そして、「戦争映画そのものが嫌いなのである」。
「自分が戦争を体験してからは 心の底から戦争が大嫌いになった。」
気が進まないまま見始めた「出口のない海」。
「だが 背骨に熱い戦慄が走って たちまち映画の中に引き込まれた。」
やなせさんは 戦争で 弟さんを失っていらっしゃいます。
「亡弟の千尋(ちひろ)が この映画を ぼくに見せていると思った。
こんなことを言うと 笑われるかもしれないが、
心霊が呼ぶということは あるような気がする。」
「ぼくは既に 人生の晩年に達したが、
最近しきりに亡弟千尋のことが偲ばれる。
あいつが生きていればと 残念でたまらない。
そこへ この映画である。
海軍の秘密兵器であった人間魚雷「回天」の秘話なのだ。
そして 弟は まさにこの回天に乗っていたのだ。」
「しかし 回天とは どんな兵器か、
この映画を見るまで ぼくは知らなかった。
また 知るための努力もしなかった。
戦争のことは すべて忘れてしまいたかった。」
「兄貴、俺が訓練をうけて乗っていたのはこれだぜ、よく見てくれ。
弟の声が聞こえた気がした。」
昨日の10月21日は 学徒出陣から70年だったそうです。
(戦争が 泥沼化していった頃だと思います。)
ならば、こうして今頃 私が 戦争に関してブログを綴る事にも
少しは 意味があるのでしょうか?
やなせたかしさんが 終生 忘れる事のできなかった心の痛みには
弟さんの死も 関係していました。
その心が 自らを犠牲にして 飢えた人を救ってくれる
アンパンマンに昇華していったのです。
そして 弟さんの死には 人間魚雷「回天」が関わっていました。
私達は 回天に関わった方を 少なくとも おひとり、知っています。
亡くなりましたが。
直接 お声を聞く事はできなくなりましたが、
だから忘れていい、とは言えません。
いえ、忘れてはいけないから、
こうして度々(パプアニューギニアの87歳の男性など)
「回天」アンテナに 引っかかってくるのだと思います。
戦争関連の報道の多くは 夏の暑い時期になされますが
秋にも 思いださせていただきました。
やなせたかしさんの絵ッセイには
たくさんの含蓄のある言葉がちりばめられています。
人間が生きていく上で 忘れてはならない事が たくさん書いてあります。
そして やなせたかしさんの優しさが
数々の苦しみや悲しみと共に 深く身に沁みてきたものだったのかと
私は 想像しています。
もう少し 回天に関する事を 考え続けてみたいと思います。
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