タイトルも正式に決まらない頃、一昨年の10月に提出した最初の原稿では、『はじめに』において下記のような文章を書いた。想定したタイトルは『仏教とは何か-世界基準の仏教法話集』というものだった。日本でだけ通用するような教えではいけない。世界の仏教徒が理解し通用するものでなくてはならない。その考えに今も変わりはない。もちろん『ブッディストという生き方―仏教力に学ぶ』においても、正にそのような教えを書き込んであるつもりである。
『この世は無常であり苦である、という真理を改めて実感させられた東日本大震災。これから犠牲になられた多くの故人を偲び、超宗派で合同で法要をする場面が多くなるであろう。そのときお経は何を唱えるのであろうか。各宗派バラバラにそれぞれの常用経典を唱えるか、もしくは般若心経を唱えるかであろう。それを非難しているのではない。その場に居合わせるであろう心ある僧侶方の戸惑いを慮っているのである。
なぜ日本仏教徒が唱える統一したお経がないのか。なぜ僧侶は宗派ごとにみんなバラバラなのか。なぜ妻帯し家族をもって寺に暮らしているのか。様々な疑問が世界の仏教徒たちから寄せられている。このままでよいのだろうか。明治時代の末期には、こうした大問題が議論されながら、その後長らく放置されたままである。どの業界も地球規模の変革の波にさらわれ世界基準の経営手法を採用した。しかるに、仏教界だけが旧態依然でよいのだろうか。
日本でだけ通用する仏教ではいけないだろう。私にはそんな思いがある。国際化が叫ばれて久しいけれども、日本仏教の国際化とは、単に外国語で布教をしたり、海外の仏教徒と交流することではない。日本仏教が単にこの村社会の日本だけで通用する考え方ではなく、広く世界の仏教徒と共通の物の見方考え方で、いろいろな教えを説き、行じていくことではないだろうか。
「世界基準の仏教法話集」とはいかにも奇をてらったものに思われるかもしれない。しかし、世界基準の仏教とは「あたりまえの仏教」という意味である。それなのに日本では特別に思えるから不思議なのである。しかしともかくも私は、お寺ででも、どこに行っても世界の仏教徒にとってあたりまえと思える仏教の話をさせていただいている。
備後國分寺は昔は華厳宗総本山の奈良東大寺との関係が深く、その後真言律宗の奈良西大寺の末寺となり、今日では真言宗大覚寺派の末寺である。また、私自身が高野山で僧侶になり、また修行もさせていただいた後、インドの伝統教団でも短い期間ではあるが僧院生活を経験させていただいた。
江戸時代の真言宗の高僧慈雲尊者は、宗派を越えてお釈迦様の根本の教えに復帰することを唱導された。明治時代の浄土宗の律僧福田行誡師は、広く他宗の教えを兼学することを勧め、「宗旨をもって仏法を説くなかれ、仏法を以て宗旨を説け」と教えられた。また同じく明治の真言宗の傑僧釋雲照律師は、「仏教の宗骨たる大(乗)小(乗)に一貫」せるお釈迦様の善悪因果応報の真理をこそ大本の教え」として広く宣布なされた。
私は寺院の生まれでもなく、また仏教を専門学府で学んだ者でもない。しかしだからこそ、宗旨宗派にとらわれることのない、世界に共通する仏教の基本を踏まえた教えが説けるのだと自負している。どの場面でもお釈迦様の教えを説いてきた。団体参拝者に向けての法話でも、檀信徒の通夜、法事でも、寺内のお話し会でも、正に仏教の宗骨たる教え、世界基準の仏教と思える教えを説くことを一貫して実践してきた。
仏教とは学ぶべき教えであります。単に経を唱え、言葉を唱えれば済むものではない。それらが自分の人生にとっていかなる意味があり、いかに大切なものか、生きるとは何で、どうあらねばならないかを探求せずして教えを実践しているとは言えないだろう。
成仏とはそれほど簡単なことではない。死ねば誰もが果たせるものでは勿論ない。今生で成仏が果たせないのなら、せめても学んで学んで沢山のことを学び、そして、少しでもそれを行じ、実践して、一歩でもお釈迦様の悟りに近づくことが私たち仏教徒のせめてもの責務であろうと思っている。
ここに記した文面から、ここはなぜ世界基準かと思われる部分があるかもしれない。是非ご指摘をいただきたい。真摯に学ばせていただきたいと思う。』
目次と解説 大法輪閣ホームページより
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『この世は無常であり苦である、という真理を改めて実感させられた東日本大震災。これから犠牲になられた多くの故人を偲び、超宗派で合同で法要をする場面が多くなるであろう。そのときお経は何を唱えるのであろうか。各宗派バラバラにそれぞれの常用経典を唱えるか、もしくは般若心経を唱えるかであろう。それを非難しているのではない。その場に居合わせるであろう心ある僧侶方の戸惑いを慮っているのである。
なぜ日本仏教徒が唱える統一したお経がないのか。なぜ僧侶は宗派ごとにみんなバラバラなのか。なぜ妻帯し家族をもって寺に暮らしているのか。様々な疑問が世界の仏教徒たちから寄せられている。このままでよいのだろうか。明治時代の末期には、こうした大問題が議論されながら、その後長らく放置されたままである。どの業界も地球規模の変革の波にさらわれ世界基準の経営手法を採用した。しかるに、仏教界だけが旧態依然でよいのだろうか。
日本でだけ通用する仏教ではいけないだろう。私にはそんな思いがある。国際化が叫ばれて久しいけれども、日本仏教の国際化とは、単に外国語で布教をしたり、海外の仏教徒と交流することではない。日本仏教が単にこの村社会の日本だけで通用する考え方ではなく、広く世界の仏教徒と共通の物の見方考え方で、いろいろな教えを説き、行じていくことではないだろうか。
「世界基準の仏教法話集」とはいかにも奇をてらったものに思われるかもしれない。しかし、世界基準の仏教とは「あたりまえの仏教」という意味である。それなのに日本では特別に思えるから不思議なのである。しかしともかくも私は、お寺ででも、どこに行っても世界の仏教徒にとってあたりまえと思える仏教の話をさせていただいている。
備後國分寺は昔は華厳宗総本山の奈良東大寺との関係が深く、その後真言律宗の奈良西大寺の末寺となり、今日では真言宗大覚寺派の末寺である。また、私自身が高野山で僧侶になり、また修行もさせていただいた後、インドの伝統教団でも短い期間ではあるが僧院生活を経験させていただいた。
江戸時代の真言宗の高僧慈雲尊者は、宗派を越えてお釈迦様の根本の教えに復帰することを唱導された。明治時代の浄土宗の律僧福田行誡師は、広く他宗の教えを兼学することを勧め、「宗旨をもって仏法を説くなかれ、仏法を以て宗旨を説け」と教えられた。また同じく明治の真言宗の傑僧釋雲照律師は、「仏教の宗骨たる大(乗)小(乗)に一貫」せるお釈迦様の善悪因果応報の真理をこそ大本の教え」として広く宣布なされた。
私は寺院の生まれでもなく、また仏教を専門学府で学んだ者でもない。しかしだからこそ、宗旨宗派にとらわれることのない、世界に共通する仏教の基本を踏まえた教えが説けるのだと自負している。どの場面でもお釈迦様の教えを説いてきた。団体参拝者に向けての法話でも、檀信徒の通夜、法事でも、寺内のお話し会でも、正に仏教の宗骨たる教え、世界基準の仏教と思える教えを説くことを一貫して実践してきた。
仏教とは学ぶべき教えであります。単に経を唱え、言葉を唱えれば済むものではない。それらが自分の人生にとっていかなる意味があり、いかに大切なものか、生きるとは何で、どうあらねばならないかを探求せずして教えを実践しているとは言えないだろう。
成仏とはそれほど簡単なことではない。死ねば誰もが果たせるものでは勿論ない。今生で成仏が果たせないのなら、せめても学んで学んで沢山のことを学び、そして、少しでもそれを行じ、実践して、一歩でもお釈迦様の悟りに近づくことが私たち仏教徒のせめてもの責務であろうと思っている。
ここに記した文面から、ここはなぜ世界基準かと思われる部分があるかもしれない。是非ご指摘をいただきたい。真摯に学ばせていただきたいと思う。』
目次と解説 大法輪閣ホームページより
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