雲照律師述『仏教原論』(明治38年博文館刊)の第五章「佛教は原因結果の真理を演繹するものにして因果を離れて別の法無きことを辨ず」の中で、雲照律師は当時の人々の宗教観の無残な変貌ぶりを嘆かれ、本来のわが国にとっての佛教の位置について以下のように述べられている。(明治の文体なので現代語に置き換えて抄録する)
「今日の日本人が宗教に冷淡なのは固有の天性であるという人があるけれども、決してそうではない。日本人が今日のようになってしまったのは、これはひとえに、習い性となったのであり、明治の維新前後に教育を受けた人たちは皆、これは水戸学派(儒学思想を中心として国学史学神道を結合させたもの、皇室の尊厳を説き、排仏のイデオロギーを持つ)の教育の力の致すところであって、それは江戸幕府の始めに萌芽した悪弊であって、林派に教育を担当させ、諸藩学校と称するものこの学派でなければ公許されなかったため、純白な児童の頭に自ずから陶冶されたのである。
しかるに、今を遡る千三百余年前、推古天皇帝位にお就きになり、聖徳太子を皇太子とされ、太子はことに仏教を尊信弘通されて国民安心の大本となされた。儒教を倫理の範とし、神道を国家の本体として、仏教を百事の精神となされたのである。
十七条憲法によれば、「第二条 篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり、すなわち三宝は胎・卵・湿・化によって生まれてくるすべての衆生のより所であり、万国の究極の教えであり、いつの時代でも誰でも三宝の教えを尊ばない人はない、人には甚だ悪しき人は少ないので教え聞かせたならこれに従うようになる、それには三宝に帰依することなくどうしてその狂いを直すことが出来ようか。」と記されている。
このように太子は国民の安心の基礎を定められ、寺を建て僧侶を出家させ、自ら経典を講じて、仏像を彫りまた描かれて、礼拝供養して心を尽くされた。宮中の儀式も皆仏教をもってその精神とされ、人々が都に入れば、高塔、大殿、僧院、伽藍の美観がまず目に入り、君子も民衆も上下の区別無く仏を信仰し法を敬う精神はここに実現したのである。これにより文化が日々に開かれていく。
そして、これを範として歴代の天皇も仏教を尊信なされたが、ことに嵯峨天皇(帝位809-822)は、三教の根源に遡られ、仏教教理についてはその奥義を究められた。弘法大師を請ぜられて国師とされ、三密(身・口・意の仏の行いを行ずる真言宗の教え)を奥深く研鑽され、神道の根底に達して、両部神道の妙旨を伝えられた。これによって仏教は、異国の宗教ではなく、皇国の宗教となったのである。だからのちの後宇多法皇(帝位1274-1286)はその遺告に、
「考えてみるに、わが大日本国なる国号は人為的なものではなく自然法爾の称号であって、密教に相応しい法身大日如来の仏国土である。だから、私の後に続く受法の弟子、並びに皇統を伝える天皇は、盛衰を同じくしなさい。興替を同じくしなさい。もし、我が仏法が断絶・荒廃すると、皇統も同様に廃滅するであろう。またわが寺が復興すると、天皇のまつりごとも安泰であろう。決して私のこの考えに背き、後悔してはならない。」(大本山大覚寺発行武内孝善高野山大学教授訳『詳解後宇多法皇宸翰御手印遺告』より訳文参照)と認められているのである。
これより先きに、宇多法皇(帝位887-896)は、その尊位を返上され法衣を着されて、三密の秘奥を伝え、弘法大師から第五世の祖として、仏祖正統の法脈を継ぎ秘密十二流の大祖とならせられた。これにより、宰相以下百官ことごとく三宝を尊信すること益々盛んとなり、おそらく古今万国において、これに匹敵するほど仏法盛んなることはなかったであろう。
その後天皇はじめその臣下においても剃髪得度される方々が益々多く、最近では、後水尾天皇(帝位1611-1628)が、落飾出家なされ三密の法を伝えられている。また、徳川家康公は、法服を着し、伊豆般若寺にて、関東関西の密宗の僧侶を集めて、三密の奥義を討論させている。そのとき自ら学頭の職位に座し、その討議を行司せられたが、そのとき「私は三軍の指揮を執って何度も列戦死地に赴いてきたけれども、今日ほど脇の下に汗を流したことはない」と感想を述べられたという。
このように仏教がわが国に渡来してより、一千余年間、藤原鎌足公を始め、菅原道真公、楠木正成公、徳川家康公、加藤清正公、上杉謙信公、毛利公、島津公などの諸公にいたるまで篤く仏教を崇信せられたことを考えれば、そもそもわが国における仏教の旺盛なことは知られよう。しかし、それにもかかわらず江戸幕府の末路より今日の形勢に至り、全く相背馳する様相を呈しているのは、これ冒頭に述べたように、ただただ教育の方針いかんによるのであり、同じ日本人種をほとんど異人種の如くにしてしまったことは実に驚くべきことである。」このように雲照律師は日本における仏教の旺盛な時代の主だった事績を指摘して、わが国における仏教の本来の価値について述べられている。
それは、今の私たちが想像するよりも遙かに、日本の国にとって、つまり政治や経済の分野においても、また人々の精神文化を培う上でも大きな影響力あるものだったのである。明治時代に禅を世界に伝えた鈴木大拙師は、日本から仏教を除いてしまったら何が残るのだろうかと言われたが、まさに至言。雲照律師が述べられている幕末から施されていく国学を中心とする子弟教育は、その後戦時下での国家神道へと変化し日本人の精神に大きな陰をもたらした。さらに戦後の信教の自由という無宗教化、キリスト教文化の浸透、新宗教の乱立、オウム事件を経て現在の私たち日本人は宗教に関し全くの無知にさせられてしまった。ことに仏教に対して無関心無視を決め込むような現状に至らせた原因は、もちろん仏教僧の破戒の現状にも大きな原因が求められようが、雲照律師が言われるように、学校また家庭における長きにわたる宗教教育の貧困が大きく影響しているであろう。
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