住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

「ブッディストという生き方―仏教力に学ぶ」発刊のお知らせ

2012年05月30日 18時16分25秒 | 様々な出来事について
この度、大法輪閣より、『ブッディストという生き方―仏教力に学ぶ』を上梓することになりましたのでお知らせします。

『大法輪』という、昭和九年創刊の我が国では最も権威ある仏教雑誌ですが、こちらにはこれまでに幾度となく原稿を書いて参りましたが、かねて編集長より単行本の原稿をまとめるようにとのお勧めをいただいておりました。長年の懸案ではあったのですが、やっとこの度下記のような内容で、原稿を収録し、できれば、気楽に読んでいただける分かりやすい内容にしたいと思い、一度書いたものをすべて口語体に書き改めて編集いたしました。

第一章は、お寺や福祉施設などで実際に行った法話を収録し、第二章第三章では、様々な仏教語や仏事について、また最近の話題についても、現代的な解釈や受け取り方を述べた短編が綴られています。本文で納めきれなかった詳しい説明は註を施し、さらに詳しく知りたい方のために参考になる本を紹介してあります。

本書をたよりに仏教の基本を学んでいただき、さらに関心のある分野に進んでいただけるように沢山の本を紹介してあります。

帯には、「仏教徒という生き方が現代人を救う!」という大それたことが書いてありますが、気楽に読んでいただきながら、特別なことではなく、日頃私たちがしていることを違った受け取り方をするだけで幸せに向かって明るく生きていけるということが全体のテーマとなっております。

是非、一度書店で手にとってご覧頂きたいと存じます。またご関心のありそうな方にもお勧め下さいますればありがたく存じます。定価は1,680円(四六判並製224頁)、6月8日全国書店にて発売の予定です。何卒宜しくお願い申し上げます。


目次と「はじめに」を下記に記します。



『ブッディストという生き方―仏教力に学ぶ』

目次

はじめに

一、仏教で生きる

仏教とは何か-他寺院での涅槃会法話
仏教は心の教え-退職教職員組合の皆様への法話
仏教という教えの本質について-地元寺院結衆布教師法話
なぜお釈迦様はやさしい心でいられるのか-福祉施設での法話
お釈迦様は私たちにチェンジを求める-団体参拝者に向けての法話
「死ねば皆、仏様 誤解」を読みながら-老人会いきいきサロンでの法話

二、仏教の基本について考える

縁起ということ
空ということ
お釈迦様は亡くなろうとする人に何を語ったか
施論戒論生天論
仏法僧とは何か 仏の十徳 法の六徳 僧の九徳
五戒の教えについて
無常偈について
煩悩即菩提ということ
山川草木悉皆成仏とは
即身成仏について
救われるということ
最期は慈悲の心で ガンを患ったNさんへの手紙
供養の先のこと
布施ということ    
仏事は何をしているのか
いのちの尊さとは何か 葬式簡略化に思う
報恩ということ
天人五衰
仏像とは何か
塔婆とは何か 塔婆にまつわる四方山話
数珠の話
般若心経の現代語訳と解説
   
三、仏教余話
 
千の風になって の誤解
家庭内暴力の話
宗教の眼目 ある新興宗教の話題から
霊の話
倍音読経 天界の音楽を聴こう
断食に学ぶ
にじうおの話

 あとがき


『はじめに』

『生きるとは何なのでしょうか。私たちは何のために生きているのでしょうか。仏教を学びつつ、そう自問することで悩みもつらい思いも解消されることを私は知りました。

 三十年ほど前に、私は仏教と出会いました。生まれた家には仏壇もなく、もちろんお寺に知り合いがあるわけでもなく。小さな頃よく連れて行かれた浅草寺で、何度もお香の煙を身体にかけられたことはよく記憶していますが、仏教になど特別縁のない、ごく普通の家で育ちました。

 ですが中学三年の時、クラブ活動でも一緒だった友達がガンで亡くなりました。その日の朝私は雨音に目を覚まし、起き上がるとカーテンがひらめくのを目にしました。しかしその日は雨も降っておらず窓も閉まっていました。そして学校に行くと、その日の未明に友達が亡くなっていたことを知らされたのでした。

 お葬式では弔辞を読み、四十九日の法要に参列し、納骨にも立ち会いました。そして気がつくと、月命日には学校帰りに一人で友達の家に寄り仏壇に手を合わしていたのです。それが年に一度になり、行かなくなって、忘れかけていた頃、忘れもしない大学二年の秋のことですが、高校時代の友人数人とつれだって様々な話に興じていたとき、自分がものの見方考え方を持ち合わせていないこと、何の心のより所もないことに気づかされました。

 そして、その後ふと立ち寄った本屋で手にしたのが、『仏教の思想1知恵と慈悲〈ブッダ〉』(増谷文雄・梅原猛著・角川書店刊)でした。その本にはお釈迦様の生き様、教え、仏教の基本的なものの考え方が丁寧に説かれていました。私の心に火が灯り、次から次にと仏教書を読み、仏教の独学が始まったのです。

 そしてその後、縁あって高野山で出家得度し、四度加行という初歩の修行を済ませ、インドへ旅したり、四国遍路を歩いたり。また、三年余りの短い期間ではありましたがインド・コルカタの仏教教団で南方上座部の仏教僧として過ごし、もともとの仏教とはどのようなものであったかを学びました。そして、前世からのご縁でもあったのでしょうか、備後の国に来て國分寺の住職として勤めさせていただきましても、やはり、仏教について学び思索し続けています。

 阪神大震災の折には、そのときインド僧で黄衣を纏っていたのですが、ボランティアとして避難所に住み込み沢山の被災者の皆様からお話を聞かせてもらいました。夜、焚き火に手をかざし語るお年寄りたちの話は、この世は無常なのだ、苦なのだと、まさにお釈迦様の教えが訥々と言葉にされていったことを記憶しています。そして、何でこんな事になったのかと誰もが思索されていました。おそらく、そうならねばその時そんなことを思い語ることもなかったことでしょう。

 いま多くの方々が未だ仮設住宅に住まわれ、また故郷から離れて避難しておられる東北の人たち。大変な苦難の中にあります。亡くなられた方も行方不明者を併せると二万人に迫ろうとしています。三月十一日は、私たち日本人にとって未来永劫に忘れがたい日となりました。しかし、たとえそうして何があっても、この世の現実を鋭く見つめ、それを仏教の目からどのように見て、どう受けとめていくべきかと考えねばならないのでしょう。そこから、人として大切な何かを学びつつ生きるしかないのかもしれません。一日も早い被災地の復興を願いたいと思います。

 仏教とは、供養や慰霊、癒しのためと思われがちですが、その教えそのものが意味あるものとして私たちの心に訴えかけるものでなければならない、そうあってこそ、その力もあるのだと思います。仏教の様々な教え、また日本人が大切にしてきた仏事、行いの一つ一つが私たちにとってどんな意味があるのか、どう受け取ったらよいのかと考えています。

 本書が、仏教の基本について学び、今をいかに生きるべきかを考えるための一助となればありがたいと思います。 


                    

                               
                              平成二十四年三月  著者識』



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四国遍路行記-28

2012年05月22日 13時45分21秒 | 四国歩き遍路行記
翌朝、6時前に目を覚ます。遍路中というのに、ご住職にすすめられるまま、十時半過ぎまで宴をしていたのに頭は意外と爽やかだった。住職は6時過ぎに本堂へ入られ一座の行法を修され、終えられてから、外の地蔵堂や石仏を拝みに行かれた。その後、私もお経を上げさせていただいた。

御本尊は高野山別院なので弘法大師であり、その前に大日如来像が安置されている。修法壇にも大日如来が厨子に祀られていた。須弥壇の周りはスピーカーやマイク、コードがからみ、器材類が所狭しと散在している。高野山の御詠歌の詠監さんと言って、とても高い地位におられることもあって、いろいろな行事をされていることが覗われた。

朝食は、トーストに玉子と生野菜。同期の友人は付属保育園のお迎えのバスを運転に出たので私もお暇した。出がけにお昼のおむすびと御接待まで用意して下さっていた。誠に申し訳ない気持ちに包まれながら、隣の五十五番南光坊へ向かう。

南光坊は江戸時代までは、大三島の別宮としてお参りされていたのであろう。隣に今でも別宮大山祇神社が鬱蒼とした森の中に鎮座している。寺伝によれば、大宝三年(703)に伊予水軍の始祖越智玉澄が文武天皇の勅命によって、航海安全のために大山積明神を大三島に勧請した際に二十四坊の別当寺を建立したのが始まりという。その後和銅五年(712)に行儀菩薩来訪の折、この地にそのうちの八坊を移した。

天正年間には八坊が全焼するが、その後今治城を藤堂高虎が築城の折、祈願所に定め復興された。明治初年の神仏分離令に伴い、大山祇神社の本地仏である大通智勝如来を南光坊に遷し、境内を分割したという。この如来は余り聴いたことのない仏だが、「法華経化城諭品第七」に説かれる如来で、お釈迦様の師にあたるとある。ゆっくりとお勤めをした後、御本尊の真言に迷った。とりあえず「南無大通智勝仏」と唱えたが、後から調べたら、「おん まか びじゃな じゃなのう びいぶう そわか」という聞いたこともないご真言があるようだ。

大師堂前のベンチには、お年寄りたちがのんびりと朝の散歩帰りなのか座られている。のどかな雰囲気に時間の経つのを忘れたかのような空間を感じる。開放感のある境内に別れを告げ、次なる泰山寺に向け歩き出す。JR予讃線の線路を越えて南西に進む。国道を越えて進むと右側上に綺麗な瓦の建物が見えてきた。

泰山寺は、珍しく弘法大師開基の寺である。大師が巡錫の折、この辺りを流れる蒼社川が氾濫し、田地、家屋、多くの人を流したことから、堤防を築き、七座の土砂加持を修して祈願したところ地蔵菩薩を感得したので御像を造り、お堂を建てたという。元は金輪山の頂にあったと言うが、兵火で焼かれ今はその麓に石垣を積んで境内としている。どの建物も真新しく瓦が白く輝いていた。少し早い気もしたが、別院でいただいた、おむすびを頬張る。そこへまたお遍路さんの団体が来て、御接待を頂戴した。

しばし休憩の後、五十七番栄福寺へ歩き出す。南東に道を取ると程なく蒼社川に出た。通りの下に河床を見ながら進む。山手橋を渡り山側に入ると程なく山の上に神社が見えてきた。そこを回り込んだところに栄福寺はあった。栄福寺も大師を開基とする。嵯峨天皇勅願によって瀬戸内海の海難事故を防がんと祈願したときに、海中から阿弥陀如来が顕現して、その姿をとどめる御像を彫像して、この府頭山の頂きに寺を建てたのだという。

その後、貞観元年(859)石清水八幡宮を造営せんとして行教上人が、宇佐に向かう折、海が荒れこの地に漂着して、府頭山を見ると石清水八幡を造営する地・男山に似ている、さらにそこに祀られる阿弥陀如来は八幡神の本地仏ということで、境内に勝岡八幡宮を建てたのだという。

現在、少し手狭に感じさせる境内だが、それも明治初年の神仏分離によって、お寺が山の麓の現在地に移されたためである。軒を貸して母屋を取られるという言葉通りの推移を表しているようだが、このような例はここだけの話ではなく、全国各所に見られるのは残念なことである。

ところで、行教上人は備後新市の出身、この人の弟がかの有名な本覚大師益信僧正であり、平安初期に最初の法皇となられる宇多天皇の出家の戒師並びに伝法灌頂の伝授阿闍梨となられた。東寺長者、東大寺別当、石清水八幡検校を歴任。後々の真言宗の事相法流の広澤流流祖としても崇められる方である。

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クリストファー・アイブス教授の論文に学ぶ(改訂版)

2012年05月20日 06時51分29秒 | 仏教に関する様々なお話
(一度掲載した文章ですが、執筆された先生との連絡が滞っておりましたので一時配信を停止しておりました。今朝、アイブス先生から掲載の許可をいただきましたので、再掲載します。)


国際政治を仏教の教えから考える

(米国ストーンヒル大学・宗教学部長)
クリストファー・アイブス教授の論文に学ぶ

『瀬戸際の瞑想・
9/11後の世界における仏教と暴力』(二〇〇三年四月三日)

   仏教と暴力

 イラクとの戦争、コロンビアの準軍組織・死の部隊、一万一千人が二〇〇一年と一九七三年の同じ九月十一日に亡くなった大量殺人。このような度重なる暴力は今も私たちすべてに重くのしかかっている。

 暴力にまつわる複雑な問題から逃れるために人々は、仏教を含む宗教に救いを求める。しかしこと暴力に関しては、仏教の伝統に様々なメッセージが提供されている。経典、教理、儀式儀礼にさえアヒンサという他の生き物に害を与えない、非暴力の教えが主張されている。

『すべての者は暴力をおそれ、
 死をおそれる。
 己の身にひきくらべて、
 殺すべからず、
 殺さしむべからず。』(法句経129)

 在家者の守るべき五戒の第一には、生き物の命を奪うことを慎むように私たちに勧告し、僧院の戒律には四つの極重罪の一つとして命を奪うことが明記されている。大乗仏教の経典では、この禁戒を前進させて、たとえば、『十地経』は、どんな生き物をも憎むべきでなく、故意に生きている生き物を殺してはならないと宣言している。上座部の比丘(僧侶)が月に二回戒本を暗唱し自恣(じし)をする布薩(ふさつ)に見られるように、歴史的に仏教徒は制度的にも明確にこのことを規定し、この理想を実現するために儀式として伝承している。

 だが、こうして生き物を殺さないという普遍的な訓戒を外観できるのに、仏教は時にそれらに言葉を濁すこともある。いくつかの仏典では、歴史的なブッダがその過去世においてではあるが、大罪を犯させないため、法のために盗賊を殺したと記している。もちろん、それによって、殺人者たちや中傷する者たちが地獄に報いを受けるのを助けるためだったのではあるが。

 また、『大般涅槃経』には、ブッダばかりか弟子たちがこの第一の戒を無視して、法を守るために武器を手に取る設定を伝えている。また、サンガを守るために信者たちに暴力を用いることを勧める。哲学的論稿では、仏教者は暴力の正当化を明確に表現もしている。数百年後の仏教徒は、アヒンサの教理を再解釈し装飾を施した。仏教のあるセクトでは、戦争に従事したし、ある組織は公に支配者たちとその軍隊による戦闘を援助した。これらは現代の仏教徒たちが自ら指摘していることである。その暴力にまつわる問題について、彼らがどう対処するかはそれぞれの裁量に任せているようだ。


 しかし少なくとも仏教は、暴力を批判し、暴力について個人的に葛藤することや、暴力にどう対処するかということに対する豊富な方策があり、それを理論的に分析し、宗教的に実践したり政治的に対処する方法も持ち合わせている。

   因縁を探究する

 仏教徒が条件反射的に内観を養うよう努める限りにおいて、仏教徒たちは暴力の原因を探求せざるを得ないのだ。純粋な仏教徒の「9/11の同時多発テロ」に対する反応は、その原因を厳密に調べることである。たとえば、それは、その行為を善なることと強いて行わせた組織「悪の行為者たち」によって引き起こされたのであろうか。アメリカ至上主義を憎み、タンクトップを着た女性を敵視する狂信者、悪魔か何かの仕業だったのだろうか。私たちはブッシュ大統領が好むように、それらについての原因を詳細に分析するのを止めるべきなのだろうか。

 そこには、数百年に亘る西洋帝国主義やそれに付随するイスラム教徒への虐待や屈辱はいささかにも影響していなかったのか。アフガニスタンでソビエト軍と戦ったオサマ・ビンラディンとその配下たちを支援したアメリカの長引く影響はいかなるもので、またその後に反勢力となり敵対したのはどうしてなのか。またイスラム世界に厳然と圧力を与え、サウジアラビアの聖地のそば近くに展開するアメリカ軍の恣意的な行動は影響していないのか。

 また、イスラエルとパレスチナとの紛争においてのアメリカのスタンスは、また国際的な富の再分配を阻害するグローバリズムは、そこにどう関係しているのか。特に彼らを援助するとした長年のイスラムとの約束にもかかわらず。こうした事々の関わりをどのように分析すべきなのであろうか。

 そして、特に王権や資産家たちによって、ないし、彼ら自身にとっても原理主義は不評であり、退廃的で世俗に染まった西側の悪霊にも不満のある非民主的なアラブの体制によっても原理主義は後退しつつあるのではあるが、そのイスラム原理主義はこの度のテロとどのようにかかわりがあったのか。

 たぶん合衆国内の仏教徒たちは、このような直接的な、また間接的な原因など様々な要素について体系的に分析する必要に迫られたことだろう。しかし、アクバル・アハマドが抜け目なく指摘するように、テロが起きても、米国政府は、その因果関係を厳しく追及し実証することに余り関心がないように見える。ブッシュ政権は、支配的なメディア報道や市民レベルの会話程度にとどまり、それらを越えてもっと広範囲にその原因を追及し分析することから逃れた。そして、自由や民主主義、西側の価値観を憎む悪の行為者たちによるテロであったとの単純な論調を信じ込ませることにおおよそ成功してしまったのである。

   貪瞋痴を観察する

 仏教は、「9/11テロ」の幅広い歴史的、政治的、経済的な原因を分析する独自のツールを提供するものではないけれども、暴力の心理的な原因を探求する枠組みを提供している。仏教徒の基本的な分析によれば、苦しみの原因は貪(とん)(欲)痴(ち)(無知)瞋(しん)(怒り)の三毒ということになる。仏教は、私たち自身についても、立ちふさがる相手についても、その心の汚れを観察することを要求する。どういうことかというと、暴力の加害者も被害者も確かな原因と条件によって、その三毒という邪魔者が行動を引き起こすというのである。

 それらの三番目の汚れである「瞋(怒り)」、それはパーリ語の用語として時に怒りと訳されるのであるが、それは最も暴力と直接関係する。仏教徒のこの三毒についての論理は、アルカイダの外見にも現れ、その源泉にもある、怒りについて深く考えてみることを私たちに強いる。それはアメリカ人が無分別に復讐を選択するように、分析やトリックなど情報をゆがめて伝えることで自分たちの怒りを煽(あお)るような状況の中では、特にそうあるべきだ。

 それから、「貪(欲)」の毒がある。安い石油を追い求めるような、世界中に怒りを買うアメリカの欲はいかがだろう。神の啓示を匂わせるような物言いをしてはいるが、イスラム教徒たちを疲弊させ搾取する者たちの欲こそが問われねばならない。

 では私たちは、「痴(無知)」とどのように取り組むべきなのか。すっかりイデオロギー化して悪魔として西側を塗りたくるべきか。経済的な利益を追求するために見せかけで自由も民主主義も推進しているアメリカによって提供される理論付けや拒絶でよいのかどうか。醜いほど肥大化した外交政策や国際的なビジネスを否定することはいかがであろう。私たちは、メディアに影響されてその真相をつかむことから目をそらされて、全くの無知に置かれていることからどのようにしたら逃れることができるだろうか。

 『歴史の終わり』という書でフランシス・フクヤマが勝利主義者の美辞麗句を語り、サムュエル・ハンチントンが『文明の衝突』で、地球規模の緊張を誇張して文明を語っていることの盲点を私たちはどのように指摘できるであろう。ハンチントンは世界について述べているのだけれども、私たちがそもそもはたして沢山の文明の一つに属しているということさえ限定できることではない。文明を形成する諸要素はそれぞれの役割を演じるけれども、それらについてのハンチントンの論稿は、経済や政治的グローバリゼーションの波及効果のように、大事なキーとなる諸要素を覆い隠してしまっているようだ。

   二元論を廃す

 そして、もう一つの仏教徒の分析ツールは、ビンラディンとブッシュというように提示される、善と悪という扇動的に単純化して二分するという二元主義にすべてを概念化する、そのような姿勢に対する禅の批評である。

 厳格にイデオロギー的な度合を認識し、それらの本質的な特徴を二つに分けるのに、仏教徒である必要はない。善と悪というように、我々と彼らとに分けてしまうことは、私たちを脅す者たちに客観性や人間性をますます失わせることになる。戦時にあるかのように、敵を悪魔として描写することは、退廃的であり不合理で、獣とまでは言わないが正気とは言えないし、道義的立場とも言えない。禅によって声高に非難される二元主義的な認識論に終止符を打ち、自身から離れて、ある対象としてだけ現実を経験すべきなのだ。

 相手を悪魔、悪、悪の行為者ないし人間以下の動物のように見なすことは、他を絶滅させてもいいように見てしまうことに繋がり、特に危険なことである。彼らへの攻撃は、たとえ世界が浄化されたように思えても、凄まじい報復を促す危険な状態を導くであろう。歴史は、人間性を失わせるような表現が、たとえそれが本格的啓示的な十字軍ではないにしても、ときに絶滅主義者のプログラムの引き金になりうるということを証明している。

 ビンラディン、ブッシュ、そして彼らの取り憑かれたような支持者たちには、人の行為の曖昧さ、露骨な二元主義者の人物評がいかに危険であるかを認める気持ちもないのかも知れない。が、微妙な様々な点を考慮に入れた分析をするならば、私たちは彼らの二元主義を拒絶することが必要であろう。

 ブッシュ政権が対テロ戦争について色づけしたレトリックを用いて、福音的原理主義的なキリスト教徒の、啓示的ではないにしても救世主的なビジョンに、私は抵抗する。このような神の啓示であるかのような偏った手法は、アメリカがアフガニスタンで大規模に軍隊を展開させ、不死身で絶大な力を持つというように全能であることを再び断言することや、そのために戦闘を支持し、アルカイダの戦士を最後まで追い詰めることを誓約したり、また、ブッシュ政権の現国家安全保障戦略のように、タリバンかイラク政権かと脅しをかけて、どんな政府をも支配することを企てることには役立つだろう。

   坐禅から得られるもの

 しかし、言うまでもなく、暴力一般について、特に9/11における暴力について、多くの仏教徒は、単に理論的に解明したり、単に知的に的を絞った問題などとは捉えないであろう。殆どの人々と同じように、私にとっても9/11はズッシリと重い感覚を体のうちに感じさせる。それは呼吸の中心にあり、そのときの映像として、それを打ち消しつつ座る坐禅の行中にさえ存在する。

 坐禅は、それらの事件やすべての暴力にまつわる自分の怖れ、怒り、悲しみを認識する最初の入れ物となる。つまり坐ると、九月十一日の攻撃が瞬間的に露骨な教訓として立ち現れる。それらは、私たちの体、愛するものたち、業績、所有物など、自己を守るエゴの壁を、たとえ岩のように硬いものでもたやすく壊れることを、私に教えてくれる。それらの攻撃は特に、合衆国に住む特権階級たちのような安全を誰もが共有していると思っていたことが錯覚であったことをも教えてくれた。

 そして、その集団的な意味では、9/11は、米国だけは例外だと思う淡い思い、つまり、富や軍事力、地政学的な位置によって自分たちは不死身で、あるいは世界の他の人々が置かれているような不安定な状態を回避しているかの思い込みや妄想を壊滅させた。

 九月十一日の出来事は、人類の殆どが生きるに際して感じる暴力と脆弱さを改めて認識させ、9/11のような表面的にはまれに見る出来事の暴力ばかりか、国家のテロでないにしても国家の暴力とも言える、経済的な搾取や政治的な抑圧の構造的な暴力に見るような、人目につかず一般に分からないような進行しつつある暴力についても、認知する機会となった。

 9/11は、また、世界中の人々が合衆国に対して怒りを感じているという事実を、アメリカ人に認識させる目覚ましともなったし、アメリカ人が野放図に貪瞋痴を追い求めることで、世界中に歪みをもたらしている現実をも垣間見させてくれた。

 しかし、9/11は、つい十八ヶ月前に起きた何かではない。それは、長い一日であって、終わってはいない。それは私たちすべての者にとって未だ進行していて、十分に安全が図られて回顧的にそれを見つめるようなゆとりを感じられる者は誰もいないであろう。

 感情的なレベルで、たぶん誰もがやりがちなのが、その事件を受けて、そのままそこにとどまっていることである。坐禅は、我々の死に対するショックや怖れ、最近の経済的な脆弱さへの心配、富やあるべき安全に対する執着、引いては復讐に対する執念といったものごとにも、坐禅しつつ気づくことの体系を教示している。

 仏教の実践は、自身の固定的な見識、他者を凝り固まった先入観を持ってみたりすること、硬直したイデオロギーさえも掘り崩してくれる。それは、攻撃と反撃、ないし、苦しみと犠牲者について語り相互にその思いを高じていく悪循環に陥ることなく、直面する暴力に対して、認識を広くとり、概念上も柔軟に、そして、流動的な反応を奨励する。

 またそれは、惜しみなくものを与え、慈しみ愛すること、そして智慧という三つの解毒作用を養い、私たちの三毒を打ち負かすことができる。気づきということを養うことで、私たちは、地球規模で起きている現象のプロセスをもっと深く見たり、他者の怒りや圧力に直面しても落ち着いて対処するというような、智慧や慈悲を以て反応する大切さを理解するであろう。

 坐禅や他の瞑想法は、またテロリストや傲慢なアメリカ人にも怒りを覚えることなく、開放的な心で誠実に耳を傾ける心を養うことができる。私たちは聞いたものすべてを受け入れるべきではない、新たな十字軍についてブッシュ大統領が短絡的にまくし立てることにも。大悪魔として米国政府についてイスラム教徒が熱烈に語ることにも。もちろん、注意深く聞くことは反応を排除することではない。新十字軍についてのブッシュのコメントに沿って、最終的な終結のために戦争することを好感する者たちの善悪二元論的に加勢するのではなく、精神的な落ち着きを養うことによってテロに対する戦争より、私たちには国際警察などの監視によって彼らの行動を規制することのほうが望ましいと理解することが肝要だろう。

   仏教徒の理想

 9/11に対するよりすぐれた慈悲深い対処の仕方は、テロに対する軍事力の役割の代わりに、国際的に警察力を共同して組織し、オサマ・ビンラディンやオウガスト・ピノチェト、・・・などのテロに関わり支援する者たちを逮捕し起訴して隔離するような国際犯罪裁判所など法的な役割をこそ語るべきだろう。

 そして、無知ということに関し仏教徒が指摘すると思われることは、利己的な単独主義を拒絶して、合衆国が他国に対し民主的な自決権を認め、テロ的な暴力を告発する一貫した姿勢を求めることであろう。仏教徒の大局的な見地から言うと、合衆国は、世界的な支配を維持しようとする覇権主義的な超大国としてではなく、最終的には、多極主義や他と共にあるからこそ導き出される相乗的な力、すべての人々の基本的な要望を集約した国家的な協力機構のチャンピオンとしてあることが望ましいと言えよう。

 このような地球規模の共同体にあって、イスラムを怖れるような者があるなら、彼らは、つまり伝統的なイスラム教徒は、本来、貧困者を救済し、社会正義を推進するという公約があることに共通性を見いだすべきであろう。そして、彼らは、無知と貪欲と怒りを智慧と寛大と慈悲に置き換える世界を実現するために、貧困、暴力、環境の悪化に対処して、正義と平和とエコロジーな健康を獲得するために、その運動の協賛者としてイスラム教徒たちと行動を共にできるはずである。

 もちろん、これは仏教徒的な相互多極主義の世界であり、長期的なビジョンとしては素晴らしく結構なものだが、短期的なシナリオとしては注意を要するかもしれない。たとえば、9/11のような暴力が継続する場合に私たちはどうあるべきなのか。

『恨みは恨みによって
 やむことはない。
 恨みを捨てることによって
 恨みはやむ。
 これ、不変の真理なり』(法句経 5)

 罪なき生命に差し迫った脅威があったとしたら、それでも、仏教徒の視点からは、少なくとも経典や論書にあるように、暴力は受け入れられないものなのだろうか。我々は、どうしたら、自分自身を守り、攻撃と反撃という暴力の悪循環を、また両陣営に長期的に被害地域が増大していくことを避けられるのだろう。世界中で攻撃的な態度を見せるアメリカに対抗して、アルカイダやその他の部隊に人を雇い入れようとする行為を回避することができるだろうか。

 仏教徒は、罪なき生命が命を損なうような差し迫った脅威に直面したとき、最小限の力で、恨みなく、貪瞋痴もない最小限に苦しみを食い止めることを前提としながらも、唯一の最後の手段として暴力を容認する理論、正戦論を明確に説き明かすことは可能であろうか。ないし、正戦論は、止めどない下り坂なのであろうか、選択するのは簡単だが、偽の情報や恐怖を煽る者たちの中で、信頼でき正確な情報を入手するのが難しいときには採用しがたい方法論なのだろうか。

 9/11の余波として、中東にさらなる紛争が差し迫るとき、理想的にはこうした事々をこそ、他の宗教指導者たちと対話し、熟考することが求められているのであろう。(横山全雄訳)

(この翻訳原稿は掲載許可をいただいております。なお、本文中の小見出しと太字は翻訳者が付しました)



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