住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

『自分をえらんで生まれてきたよ』をいただいて

2013年04月09日 14時41分31秒 | 仏教書探訪
いんやくりお君が語られた内容をお母さんが筆記された本が送られてきました。丁寧なお手紙には、以前ここで池川明さんという産婦人科医が書かれた『子どもは親を選んで生まれてくる』という本を紹介していた文章をご覧になって、是非息子さんの本を読んで欲しいと思われたとありました。

仏教の教えは決してこの世の出来事と別の世界のものではなく、私たち人間や生き物たちの生死、自然界の営みそのものの本質、真理を表すものであり、その成り立ちの上にいかにあるかを説くものです。ですから、それを裏付けるような小さな子供たちのつぶやきにその真相が現れているなら、そのことに注目するのはごく自然なことなのだと言えましょう。

まずは、この間に拙寺の大きな行事があり、こちらでのご紹介が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。ところで、このりお君の本については、アマゾンの商品紹介には次のように記されています。

「自分をえらんで生まれてきたよ」

「内容紹介
りおくんは、心臓と肺に疾患をもって生まれ、これまで入院は30回以上、のべ2年にのぼります。そんななかで、りおくんが語った不思議な話――
それは、生まれる前の世界、そしてこの世に誕生するということ。
命とは? 生きることとは? 神さまとは?……。
そんな小さな哲学者が語ったたくさんの言葉を、高橋和枝さんのイラストを交え、きれいな本にまとめました。
ページをめくるごとに、心が透明になっていくのをきっと感じることでしょう。
内容(「BOOK」データベースより)
病気をもって生まれた“りおくん”が語る生まれる前のこと、いのちのふしぎ…。ホッと心が癒される“小さな哲学者”の言葉。」

また、ヤフーショッピングの紹介には目次と著者情報も掲載されていました。

「本の内容
病気をもって生まれた“りおくん”が語る生まれる前のこと、いのちのふしぎ…。ホッと心が癒される“小さな哲学者”の言葉。
目次
生まれる前の世界
生まれてくる奇跡
病気とぼく
ママ、パパ、みんな
神さまからの伝言
人間のふしぎ
心の目で見る
生きるということ
お日さまの光、月の色
地球の鏡
ありがとうが いっぱい
ISBN
978-4-7631-3201-7
著者情報
いんやく りお
印鑰理生。2001年8月18日東京生まれ。不整脈のため、34週で緊急帝王切開により誕生。3歳でペースメーカー埋めこみ、10歳でカテーテルアブレーション術をおこなう。慢性肺疾患、喘息により、9歳まで在宅酸素療法。2011年3月沖縄に移住
※本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです」


一読して、まさにその言葉の一つ一つがみんな自分の体験から見えてきたものであるだけにとても尊く、清らかな印象を与えていると感じました。特に印象深いところを紹介し、少し私の思いや気づいたことを記してみたいと思います。

まず、16ページから、
「ぼくは、雲の上からいろいろ見て、
ここの家がいいって、
すぐに決めて、神さまにいいに行った。中略
指をぐるぐる回したら、
目が回るくらいの渦まきができて、
それがどんどん細長くなって、
米粒みたいになって、ピカッと光って、
それで、ママのおなかに入った。」

この表現を読んで、江戸時代の高僧・慈雲尊者の法語にある「因果無人」の一文を思い出しました。「その時、自心の業因縁に従って、次の生に生ずべき国が目にかかり、その中に一群が、またその中の一村見えてきて、さらにその中のある家ばかりが見えてくる。その家のその父母ばかりが目にかかり親しみの心か起こると中有を離れて胎内に入る・・・。」まさにりお君もそのような世界からこの世に現れてくる様子をそのままに語ってくれているものと解釈できます。

57ページから、
「ぼく、夢で神さまに
みんなが死なないようにしてくださいって、
お願いした。
神さまは、それは、だめだなって、いったよ。
疲れると、死ぬんだって。
でも、だいじょうぶ、また出てくるの。
いのちは、ぐるぐる回っているの。」

この部分は、まさに命の連鎖、生まれ変わる衆生世界、輪廻転生を語るものでしょう。疲れるというのは身体の寿命が来たということ。でも、大丈夫、その通りですね。古い身体を脱ぎ捨てて新しい身体をもらってまた出てくるのです。命はグルグル回っている。そのように考えると、どんなことがあっても、結構気楽に生きられますね。

70ページから、
「人がここに来るのは、
新しいことを学ぶためだ。
ここに来るのは、
たましいの寄り道のようなものだ。
ここで学んだら、死んで、
もとの世界に還っていく。
学ばないと、
次のところに進めないんだ。」

いい言葉です。人は学ぶために生きている。学ばないと次の所に進めない。正にその通りですね。この人生で学ぶべきこと沢山あるでしょう、それらをしっかり学ばないと次の自分に進めない。ちょっとしたことでへたり込んでいたら、何も学ばないうちにこの身体を脱ぎ捨てることになってしまう。そうではなくて、やっぱり知識なんかではなく、学ぶべきこと、心のこと、そんなことを学んで次に進んで欲しいというりお君の勧めです。

71ページから、
「死ぬのは、怖いことじゃない。
病気で死んでしまう子どもたちもいる。
それは悲しいけれど、
体はなくなっても、心は残る。
たましいは、必ずある。
悲しみも、いつか消えていく。
それに、死んだら、
また新しいことを学べる。
だから、死ぬのは、
たいせつなこと。」

死ぬことをむやみに怖く思うのは仕方ないことかもしれません。ですが、心は残るのですから、新しい生への旅立ちと捉えたらいいのです。新しい学びへの門出。そう考えれば、死ぬのは大切なことでもあるのですね。

92ページから、
「人は必ず、喜びをもっている。
たとえば、生きる喜び。悲しめる喜び。
じつは、悲しめるというのは、幸せなことなんだよ。
いろいろな気持ちは、ぜんぶ幸せなんだ。
悲しめる喜びというのは、
悲しんだ後、またハッピーになるでしょ。
そのハッピーは、前のハッピーより、
もっと大きいハッピーになる。
だから、悲しみって、大切なんだよ。」

悲しめる喜び。はじめてこのような表現に出会いました。ですが、本当にその通りだなと思えます。その後のハッピーは、その前よりも大きなものになる。それも言い得ています。闇が深ければ深いほど、ほんの小さな光がとても明るく見え、祈りの灯火は強く輝く。これは、いま世界にその名を轟かす交響曲第一番「HIROSHIMA」に寄せた全聾の作曲家佐村河内守さんの言葉です。悲しみが深ければ深いほど、そこから抜け出したときの心はより大きな幸せに出会うことが出来るでしょう。

94ページから、
「人は、みんなに
いいことをするために、生きている。
それを、自分の仕事、という。
みんなのために
働かないと、仕事とは呼ばない。
自分の仕事がなければ、
生きていけない。」

難しく考えることもなく、私たちには自分にしか出来ないことがあります。周りの人たちに出来ることをしてあげる。よいことをするからこそ生かされている。生きているのはそれが出来るから。出来ることをしたら、それはきっとみんなのためによくあり、仕事となるということでもあるでしょう。

112ページから
「すごい秘密に、気づいたよ。
時間があるから、ものはある。
時間があるから、光はある。
ものは、ぜんぶ、時間で、できている。」

これは真理ですね。りお君は二つの理由をこのあとにあげています。一つは、ものは時間が経つと形や場所が変わったりするから。二つ目の理由は、ものが時間の粒で出来ているからといいます。まさに無常の真理そのものを言い当てた気づきと言えましょう。無常だからこそ存在しているということを、このようにりお君は見たということです。光も粒だとまで言っています。仏教では光も粒、微粒子であって、その粒が眼に入って物を見ると考えます。すごいですね。

そして最後に、121ページから、
「人は、幸せを贈りあうために、生きている。
助けあって、幸せを贈りあうために、生きている。」

慈悲の教え。私たちが生きてこうしてあるのは周りのすべての存在のお蔭です。それらの幸せに自分自身も貢献しています。まさに助けあって、幸せを贈りあうために生きています。

りお君は生まれながらにこうした心のことをこの世の中でそのまま見えたことを語るために、そのことを分かって下さるお母さんのもとを選んで生まれてこられたのでしょう。尊いことだと思います。沢山の障害をもって生まれてきたがために、本来なれば大変なハンデとみなされるところではありますが、このように普通では気づけないことに気づき、さらにだからこそ普通では学べない沢山のことを学ぶ人生を選択されたのだと思われます。

ここでは紹介しきれないほど沢山の豊富な学ぶべきことを語られた本書を是非ご一読されることをお勧めします。そして、福島原発事故の被害影響を懸念されて遠く沖縄に避難されている時期にこのような良書をご出版になられた労苦に敬意を表し、さらにご献本下さいましたお母さんに深く御礼申し上げます。


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コメント (4)
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