翌朝、6時頃だっただろうか。他の遍路旅の宿泊者たちとともに権現造りの岩本寺本堂のお勤めに参詣する。はるか奥に須弥壇が見えた。たくさんの様々な絵が格天井にはめ込まれている。花や鳥、子供の顔もある。みんな信者さんの作品だろうか。見ているだけで心が和む。
藤井山五智院岩本寺、聖武天皇の勅願で行基菩薩の開創という。もとは福円満寺といったが、弘法大師が立ち寄って修法され藤井寺となり、五体の本尊様を刻んで、新たに五か寺を造られた。しかし、ここも明治になって一時廃寺となった。復興した際に今日のような寺号となり、五体まとめて本尊様としてお祀りしたという。阿弥陀如来、観世音菩薩、不動明王、薬師如来、地蔵菩薩の五体。日本広しといえども、五体もの本尊様がお祀りされているお寺はここだけだ。
食堂で朝食をいただき歩き出す。曇り空。国道に出て、歩道を歩く。途中切り出した材木を横倒しにした木材の搬送所がいくつかあった。そのあたりでカブに乗った奥さんから、「はい」という感じで白い紙に包んだお布施を頂戴する。礼を言い、頭を上げるともう走り出していた。窪川は標高三百メートルあり、畜産と養豚の町として知られている。
ひたすら国道を歩く。アスファルトの道は足が重い。今日はどこでお昼が食べれるのかと考え出したら、通り沿いにたくさんの車が止まった食堂が眼に入った。これは食べなさいということかと思い、中に入る。丼ものを注文し、一人カウンターで味わいつつ食べ、レジに向かった。どうも途中から見ていたのだろう、一人の男性がお金を払い終わると話しかけてきた。
「どうね、車に乗らんかね」とでも言われたのであったか。それが、今でも連絡を取り合う高知市内に住むS氏との出会いであった。事業所向けの清掃会社を当時されていたので、たくさんの清掃用具を載せたワゴン車の助手席に同乗した。「あなたはただ食事しとったから声をかけたんよ」と言われた言葉を今も憶えている。
普通の遍路さんは、食事をしながら何か物思いにとらわれているのだとか。思い悩むことがあるのか、いろいろなものを背負って苦しいのか。そんな風がまったく私にはなかったから、声が掛けやすかったのだ、とのことであった。途中、中村市の街中で仕事の打ち合わせとかで車の中で待たされた。すると腰掛けの脇に見たような本があった。インドの聖人・クリシュナムルティの本だった。
「自我の終焉―絶対自由への道」篠崎書林刊。かつて私も食い入るように読みふけった本に、こんなところで出会うとは。今でもその本を所持しているが、いくつも鉛筆の線が入っている。クリシュナムルティは、二十世紀初頭、神智学協会の次世代の宗教的指導者と指名されて英才教育をされた人で、三十才頃の日記には、「私は自分自身から離れてしまいました。私はあらゆるものの中にいるのです。と言うよりもあらゆるものが私の中にあるのです。無生物も生物も、山や虫や呼吸しているすべてのものが私の中にあるのです・・・」とある。
Sさんが車に戻ると早速その話を始めた。Sさんも驚き、彼の話や真理について語り、意気投合した。気がつくと遍路中であることも忘れ、Sさんの土佐清水市にある実家にお邪魔していた。鰹漁師のお父さんはごっつい手をした眼のきれいな方で、突然の遍路坊さんの登場にも顔色一つ変えずに温かく迎えてくれた。
獲れたての鰹のたたきをご馳走になり、くつろいだ。夜もまた語り合ったと記憶している。翌朝は朝食の後、仏壇に手を合わせ、一宿一飯のお礼に心経一巻。唱え終わると、目を閉じて聞いていたSさんは、「お経をこれまであまり心して聞いたことはなかったが、お経の波動には真理が生きてるが」と言っていた。
三十八番金剛福寺まで送って下さる予定が、途中ホテルの喫茶店に案内され、もう少し話をしようで、ということになり、そこでまた二時間。よくそこまで話すことがあったと今では思えるけれども、Sさんの亡くなったお兄さんの話やお互いの歩みなど話し始めたら尽きない話を二人でやりあったのであった。
Sさんは人の放つ光(オーラ)が見える方で、その時の私からは透明に近い白い光が見えると言われていた。ようやく、金剛福寺門前まで送ってくれて、お別れした。Sさんとは、その後も高知の寺に坐禅に行った折にお会いしたり、翌年の遍路の際には高知市内のご自宅に泊めていただき、ご家族と川遊びもさせていただいた。今は産業カウンセラーとして活躍中である。
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藤井山五智院岩本寺、聖武天皇の勅願で行基菩薩の開創という。もとは福円満寺といったが、弘法大師が立ち寄って修法され藤井寺となり、五体の本尊様を刻んで、新たに五か寺を造られた。しかし、ここも明治になって一時廃寺となった。復興した際に今日のような寺号となり、五体まとめて本尊様としてお祀りしたという。阿弥陀如来、観世音菩薩、不動明王、薬師如来、地蔵菩薩の五体。日本広しといえども、五体もの本尊様がお祀りされているお寺はここだけだ。
食堂で朝食をいただき歩き出す。曇り空。国道に出て、歩道を歩く。途中切り出した材木を横倒しにした木材の搬送所がいくつかあった。そのあたりでカブに乗った奥さんから、「はい」という感じで白い紙に包んだお布施を頂戴する。礼を言い、頭を上げるともう走り出していた。窪川は標高三百メートルあり、畜産と養豚の町として知られている。
ひたすら国道を歩く。アスファルトの道は足が重い。今日はどこでお昼が食べれるのかと考え出したら、通り沿いにたくさんの車が止まった食堂が眼に入った。これは食べなさいということかと思い、中に入る。丼ものを注文し、一人カウンターで味わいつつ食べ、レジに向かった。どうも途中から見ていたのだろう、一人の男性がお金を払い終わると話しかけてきた。
「どうね、車に乗らんかね」とでも言われたのであったか。それが、今でも連絡を取り合う高知市内に住むS氏との出会いであった。事業所向けの清掃会社を当時されていたので、たくさんの清掃用具を載せたワゴン車の助手席に同乗した。「あなたはただ食事しとったから声をかけたんよ」と言われた言葉を今も憶えている。
普通の遍路さんは、食事をしながら何か物思いにとらわれているのだとか。思い悩むことがあるのか、いろいろなものを背負って苦しいのか。そんな風がまったく私にはなかったから、声が掛けやすかったのだ、とのことであった。途中、中村市の街中で仕事の打ち合わせとかで車の中で待たされた。すると腰掛けの脇に見たような本があった。インドの聖人・クリシュナムルティの本だった。
「自我の終焉―絶対自由への道」篠崎書林刊。かつて私も食い入るように読みふけった本に、こんなところで出会うとは。今でもその本を所持しているが、いくつも鉛筆の線が入っている。クリシュナムルティは、二十世紀初頭、神智学協会の次世代の宗教的指導者と指名されて英才教育をされた人で、三十才頃の日記には、「私は自分自身から離れてしまいました。私はあらゆるものの中にいるのです。と言うよりもあらゆるものが私の中にあるのです。無生物も生物も、山や虫や呼吸しているすべてのものが私の中にあるのです・・・」とある。
Sさんが車に戻ると早速その話を始めた。Sさんも驚き、彼の話や真理について語り、意気投合した。気がつくと遍路中であることも忘れ、Sさんの土佐清水市にある実家にお邪魔していた。鰹漁師のお父さんはごっつい手をした眼のきれいな方で、突然の遍路坊さんの登場にも顔色一つ変えずに温かく迎えてくれた。
獲れたての鰹のたたきをご馳走になり、くつろいだ。夜もまた語り合ったと記憶している。翌朝は朝食の後、仏壇に手を合わせ、一宿一飯のお礼に心経一巻。唱え終わると、目を閉じて聞いていたSさんは、「お経をこれまであまり心して聞いたことはなかったが、お経の波動には真理が生きてるが」と言っていた。
三十八番金剛福寺まで送って下さる予定が、途中ホテルの喫茶店に案内され、もう少し話をしようで、ということになり、そこでまた二時間。よくそこまで話すことがあったと今では思えるけれども、Sさんの亡くなったお兄さんの話やお互いの歩みなど話し始めたら尽きない話を二人でやりあったのであった。
Sさんは人の放つ光(オーラ)が見える方で、その時の私からは透明に近い白い光が見えると言われていた。ようやく、金剛福寺門前まで送ってくれて、お別れした。Sさんとは、その後も高知の寺に坐禅に行った折にお会いしたり、翌年の遍路の際には高知市内のご自宅に泊めていただき、ご家族と川遊びもさせていただいた。今は産業カウンセラーとして活躍中である。
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