後生がいい生き方・Kさんの思い出
(昨日の護摩の後話した内容に加筆しました)
Kさんが亡くなった。この方は、私たちがこの地にきてからずっと気遣って下さる方の一人だった。こちらに来た年の三月に行われた涅槃会の稚児行列の際に仁王門前で子供を抱いてくれて、その様子をたまたま撮った写真があり、古いアルバムから見つけて通夜の晩に棺の前に添えさせていただいた。みんなの前でニコニコ笑われているが、ご本人にとってもその時のことがいつまでも心に刻まれていたようで、事あるごとに家族にも話されていたと通夜の晩に伺った。
今年に入って、遠方に住むご子息様が下を向いて道を歩いてくるところに車で出くわした。たいそう気持ちが沈んでいる様子にどうしたことかと思ったことを後から思い出したのだが、その頃にはお母さんの様子がよくなかったのであろう、昨年の十月ころから一度病院で検査後、かたくなに入院を拒否して自宅で療養を続けられていたという。強い抗がん剤も高齢ということもあり、ほかの治療も放棄されて、ただ痛み止めだけを飲んで、家にいたいとのご本人の意思をご家族も尊重されての自宅療養だったようだ。
昨年の11月に実はお寺の日帰り研修旅行を予定しており、お盆にお会いした際にも元気そのものだったので、十年前にも同様の研修に参加されていたのでご案内したところ行きますとのことだった。近くに住む娘様の車に乗って外出するのが楽しみで、元気にお過ごしのこととばかり思っていたが、いつまでたっても申し込みにやってこられないので、電話したところ入院してたんです、とのことですぐに回復するものとばかり思っていたが、結局その時の会話が最後になってしまった。その後、自宅におられ時折近くの町医者で検診を受けるだけで、本当に苦しまれたのは一晩だったとのことで、ご家族がその晩も病院に行こうかと言っても、うんと言わず本人の願い通りに翌日家でお亡くなりになった。
平成十三年から毎月仏教懇話会と称して一時間話をする会を開いているが、開設当初から欠かさずに毎月近隣の懇意な人たちを誘い合わせてお越しになってくれていた。面白くもない話を十年ばかり毎月一時間我慢して聞き続けてくださった。会館の二階で始めた懇話会も、その後客殿に場所を変えて行っていたが、その時々の話題について私が話をし、皆さんに疑問やら感想をお尋ねするのだが、決まってみんなを笑わせるようなことをぼそっと言われて場を和ませてくださった。
歴史小説が好きでよく読まれていたということも枕経の時に初めて聞いたのだが、福山城博物館主催の歴史講座にも定期的に通われて、そちらのほうは先生が面白く楽しい話を聞かせてくれたようで、福山まで通うのを楽しみにされていたようだった。平成十八年の秋頃から「日本の古寺めぐりシリーズ」というバスツアーが組まれ、私が講師としてバスの中でお話をする旅行にも何度も参加くださったが、たまたまその歴史講座に参加されている顔見知りも同乗されたことがあり、親しく楽しそうに話されていたことを思い出す。
また、年末や法会前には檀家の皆様に呼び掛けて大掃除をしているが、そんなときには必ずどこかで黙々と草を抜いてくださっていた。みんなと楽しそうに話をしながらということもあったが、しゃがんで隠れるようにされていることも多く、そんなときにはお茶の時間に仲良しの中でにこやかに話をされていたように記憶している。
飾ったところがなく、本当に自分の気持ちをそのまま表現される方だった。嘘偽りなく、素直に自分を生きられた方だった。何の濁りもない心で周りの人たちと接し、周りの人たちを思いやり和ませ笑わせ寛がせる才能というか、技をお持ちだった。みんなから愛されてきたことと思う。いま思えば本当に後生のいい生き方をされてきたのではないかと思う。もちろん私などはKさんのごく一部のことしか知らない人間に過ぎないのかもしれないが、知っていることだけでもまさにそう思え、見倣いたいものだと思う。思い出を感謝とともにここに書き残しておきます。お世話になりました、ありがとうございました。
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Kさんが亡くなった。この方は、私たちがこの地にきてからずっと気遣って下さる方の一人だった。こちらに来た年の三月に行われた涅槃会の稚児行列の際に仁王門前で子供を抱いてくれて、その様子をたまたま撮った写真があり、古いアルバムから見つけて通夜の晩に棺の前に添えさせていただいた。みんなの前でニコニコ笑われているが、ご本人にとってもその時のことがいつまでも心に刻まれていたようで、事あるごとに家族にも話されていたと通夜の晩に伺った。
今年に入って、遠方に住むご子息様が下を向いて道を歩いてくるところに車で出くわした。たいそう気持ちが沈んでいる様子にどうしたことかと思ったことを後から思い出したのだが、その頃にはお母さんの様子がよくなかったのであろう、昨年の十月ころから一度病院で検査後、かたくなに入院を拒否して自宅で療養を続けられていたという。強い抗がん剤も高齢ということもあり、ほかの治療も放棄されて、ただ痛み止めだけを飲んで、家にいたいとのご本人の意思をご家族も尊重されての自宅療養だったようだ。
昨年の11月に実はお寺の日帰り研修旅行を予定しており、お盆にお会いした際にも元気そのものだったので、十年前にも同様の研修に参加されていたのでご案内したところ行きますとのことだった。近くに住む娘様の車に乗って外出するのが楽しみで、元気にお過ごしのこととばかり思っていたが、いつまでたっても申し込みにやってこられないので、電話したところ入院してたんです、とのことですぐに回復するものとばかり思っていたが、結局その時の会話が最後になってしまった。その後、自宅におられ時折近くの町医者で検診を受けるだけで、本当に苦しまれたのは一晩だったとのことで、ご家族がその晩も病院に行こうかと言っても、うんと言わず本人の願い通りに翌日家でお亡くなりになった。
平成十三年から毎月仏教懇話会と称して一時間話をする会を開いているが、開設当初から欠かさずに毎月近隣の懇意な人たちを誘い合わせてお越しになってくれていた。面白くもない話を十年ばかり毎月一時間我慢して聞き続けてくださった。会館の二階で始めた懇話会も、その後客殿に場所を変えて行っていたが、その時々の話題について私が話をし、皆さんに疑問やら感想をお尋ねするのだが、決まってみんなを笑わせるようなことをぼそっと言われて場を和ませてくださった。
歴史小説が好きでよく読まれていたということも枕経の時に初めて聞いたのだが、福山城博物館主催の歴史講座にも定期的に通われて、そちらのほうは先生が面白く楽しい話を聞かせてくれたようで、福山まで通うのを楽しみにされていたようだった。平成十八年の秋頃から「日本の古寺めぐりシリーズ」というバスツアーが組まれ、私が講師としてバスの中でお話をする旅行にも何度も参加くださったが、たまたまその歴史講座に参加されている顔見知りも同乗されたことがあり、親しく楽しそうに話されていたことを思い出す。
また、年末や法会前には檀家の皆様に呼び掛けて大掃除をしているが、そんなときには必ずどこかで黙々と草を抜いてくださっていた。みんなと楽しそうに話をしながらということもあったが、しゃがんで隠れるようにされていることも多く、そんなときにはお茶の時間に仲良しの中でにこやかに話をされていたように記憶している。
飾ったところがなく、本当に自分の気持ちをそのまま表現される方だった。嘘偽りなく、素直に自分を生きられた方だった。何の濁りもない心で周りの人たちと接し、周りの人たちを思いやり和ませ笑わせ寛がせる才能というか、技をお持ちだった。みんなから愛されてきたことと思う。いま思えば本当に後生のいい生き方をされてきたのではないかと思う。もちろん私などはKさんのごく一部のことしか知らない人間に過ぎないのかもしれないが、知っていることだけでもまさにそう思え、見倣いたいものだと思う。思い出を感謝とともにここに書き残しておきます。お世話になりました、ありがとうございました。
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