住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

三信条に因んで

2013年05月29日 20時37分09秒 | 仏教に関する様々なお話
三信条という真言宗徒にとっての大切な教えがある。仏前勤行次第の前の第1ページにあるのだから、誰もが知っているはずなのだが、意外と知られていない。物知りのあるお坊様でさえ知らなかったというと少し驚かれるかも知れないが、ほんとの話である。御詠歌の講習の際には必ずお唱えになるので、皆さん憶えていらっしゃる。しかしどんな意味ですかとお尋ねするとみんなそんなこと考えたこともないということになって、御詠歌のはずが法話が一時間ということもありうる話なのである。

三信条とは、
一つ、大師の誓願によって二世の信心を決定すべし。
一つ、四恩十善の教えを奉じ人の人たる道を守るべし。
一つ、因果必然の道理を信じ自他のいのちを生かすべし。この三つの教えである。

この教えは真言宗徒にとってというよりも仏教徒にとっての教えと言っても過言ではない。通仏教にとっての大切な教えと言えよう。この三信条に続いて実は、五綱目というものがある。こちらには仏性やら三密やら即事而真などという難しい言葉が出てきていかにも密教の教えと言えるのだが、三信条はごく普通の基本的な教えと言える。

そして、この三信条も五綱目もおそらく、仏前勤行次第が作られるのと同じように、明治の廃仏毀釈の後、一般の信徒に対する教化を見直していく一貫として、当時の高僧方が吟味してこさえたものであろう。おそらく、後に通仏教によって仏法を世間に弘めんとして東京に単身出て世に広く江戸時代の慈雲尊者の教えられた十善の教えを人の人たる道と説かんとして奮闘された釈雲照律師の強い意向が働いたものであろう。

前置きはそのくらいにして、早速一つ一つ解説してみよう。一つめの、大師の誓願によりとは、もちろん弘法大師のことを言うわけだが、これを仏、ないし、お釈迦様と言い換えてもよいだろう。二世とは今世と来世。今世で仏教への信心を獲得し、来世にあってもその信心を間違いなく得られるように生きてまいりますということだ。大師の誓願とは、弘法大師にあっては、晩年の万灯万華会の願文の中に誓願された、「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなぱ我が(衆生済度の)願も尽きなん」というものだ。

これをお釈迦様に当てはめれば、おさとりを開かれてそのさとりの境涯にとどまられているとき、ふとこの真理はとても他の者たちに理解させることはかなわないと思われたのに、その後梵天によって、中にはその教えを理解し努力することで達する者もあるかも知れないと再三の懇請によって法を説かんとなされ、さればとて、縁ある者に教えを惜しげもなく何も隠し仕舞うことなく開陳なされたことであろうか。お釈迦様は私たちに、よりよく生きること、より価値の高い生き方をして早く自分と同じさとりを得んことを願われているのである。

二世、今世と来世があるということは、死んで終わりということではない、死んだら仏ということではないということだ。死んでも逝かねばならない次の衆生としての生命が続くのだということであろう。だからこそ、この世での生き方が大事になるのであって、後生が悪い、死んだ誰それの生まれ変わり、・・・などという言い方が昔からされてきた。死ぬことを往生と言うのも、往きて生まれることを言う。弥陀の浄土も生まれ変わるということに違いない。来世があると思って生きた方が、ないからなんでもしたい放題の人生よりも、万が一来世があったときに困らない人生を過ごせる。

二つ目の、まず、四恩とは、私たち人間が生きている限りこの四つのものにそもそものご恩があるのだということ。四恩とは、父母、衆生、国王、三宝の四つ。父母がなくては私たちはこの世に生まれ出てくることはなかったであろう。まずは衆生として、人間という何でも自ら考え思いによってなすことの出来る境涯に生まれ出て、この世に生存していることに感謝すべきなのである。その人間としての命を生きるためには沢山の周りの生き物たち、人々の支えがなくては生きてはいけない。口にするもの、着るもの、住まい、何から何まで沢山の生き物たちのお蔭で生きている。

それから、国王とはなんだろう。私たちは今とても平和に暮らしているから普段は感じることのないかもしれないが、安全に生きることのありがたさを知らねばならない。命財産の安全、それは、国というもの、その国を維持する国を司る存在があって始めて私たちは安心して暮らすことが出来ているということであろう。未だ難民として各国に散り散りに暮らすチベットの人たちのことを考えたらそのありがたさが分かろうと思う。

そして、三宝に恩とは何か。私たちは、ただ動物のように食べるもののために生きているのではないということであろう。人として、いかに生きるべきか、大切にすべきものは何か、そもそも生きるとは何かと考える道筋を三宝に委ね、間違いの無い生き方をしたい、そう思って仏教という教えに帰依するのである。自らの人生の最高の理想であり、最も価値ある生き方を実現されたお釈迦様をたよりに生きるのが仏教徒だと言えよう。

十善とは、生き物を殺さず、与えられていないものを盗らず、邪な行為をせず、嘘をつかず、戯言を言わず、汚い言葉を言わず、仲違いさせることを言わず、貪らず、怒らず、道理を弁えるということだが、これら十悪をしなければよいというのではなく、その正反対の心を養うことをいう。それは、命を育み、物を分け与え、清らかな人間関係を保ち、真実を語り、相手を尊重し、優しさや丁寧を心がけ、和合し、小欲知足を心がけ、慈悲の心を養い、因果道理を弁え理性をもって生きるということであろう。そうした生き方こそが人としてのあるべき生き方であるというのである。

三つ目は、因果必然の道理とある。これこそ正にお釈迦様の教えそのものであろう。この世はすべて原因と結果によって成り立っている。私たちがこうして生きていること、この世の中のことも。私たちの今の思いも、過去のすべての様々なことごとの集積としてあるだろう。そして、この体も。生まれてくる家も、育てられる環境も、この体格も、才能や好みもみな違うのにはすべて理由があってしかるべきだと考えるのである。

過去世に蓄積された行い(業)の蓄積によって生まれ、それに影響されて様々な因果の結果として私たちの今がある。その前があるから今がある、行いの結果が必ず廻ってくるというのが因果必然ということ。つまり、因果必然の道理に従って生まれ出て、因果必然の道理を生き、因果必然の道理によって死んでいく。そして大事なことは、自ら行ったことの結果は自分が受け取るということ。善き行いには善き結果が、悪い行いの結果には悪い結果がもたらされる。さらにすべてのものたちは周りの他のものたちとともに、相互に影響し合い、関係している。相互に依存して存在してもいる。つまり無関係なものなどないと考えるのである。自分がよくありたいなら、他とともによくあらねばならないということになって、だからこそ、この因果必然の道理を信じ自他の命を生かすべしとなるのである。

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四国遍路行記-31

2013年05月22日 09時18分51秒 | 四国歩き遍路行記
香園寺をあとにして、国道十一号を東に歩く。一キロほど歩くと、通りの左側に面して六十二番宝寿寺があった。もとは聖武天皇の勅願で伊予一の宮のご法楽所であったというが、栄枯盛衰、特に明治時代には一時廃寺となりその後の復興と言われ、現在の景観は気の毒なことである。もとは中山川の下流にあって、金剛宝寺と称していたが、弘法大師が参詣の折、光明皇后をモデルに十一面観音を刻んで本尊として寺号も宝寿寺と改めたという。

銅板葺きの本堂の鮮やかな青色が印象的な本堂で一巻理趣経を読み、大師堂で心経一巻。先を思い急ぎ足の読経。その姿が一心不乱に見えたのか、終えて振り返ると車でお越しのお遍路さん方からありがたいお接待を頂戴した。早々に宝寿寺を出て、国道を東に進む。

やはり一キロ少々歩くと、六十三番札所吉祥寺に到着した。城門のような山門を入り、正面奥に本堂、左手前に大師堂があった。ここは平安時代、弘法大師開山のお寺。弘法大師がこの付近を巡錫した際に光り輝く檜を観て、毘沙門天と吉祥天を刻んだのが始まりという。

その頃は現在より南方の坂元山にあり塔頭二十一坊を擁していたが、天正年間に兵火にあって全焼、以後現地に再興された。吉祥寺という寺号ではあるが、毘沙門天が本尊である。四国八十八箇所にあってもここだけであるが、全国の寺院を見回してもきわめて珍しい。毘沙門天は四天王の一尊で、多聞天とも言われ、北方を守護する。天部の仏を修法するときには、仏菩薩を修法するときに必ず修する入我我入観がない。

入我我入観とは、仏が我に入り我が仏に入ると観想する密教の観法(瞑想法)で、インドの神々である天部の仏は行者に入るべき存在ではないと考えたのであろうか。ところが、唯一この毘沙門天の修法だけには実は入我我入観がある。北方ヒマラヤを頂く聖地を守護する尊格として敬い別格扱いとしたのであろう。境内にある石像のくぐり吉祥天女の下を通って本堂に至り読経した。

吉祥寺を出て少し国道を行くと、旧道への矢印があった。火の見櫓や細い水路がある道だった。六十四番前神寺は、石鈇山と山号するように、もとは石鎚神社の別当寺だった。今の前神寺が石鎚山への登山口に相当するのであろう。この道も沢山の石鎚信仰者たちが登山するために通った道に違いない。そんな往時を思わせる古い佇まいの家並みを眺めつつ歩く。小一時間で前神寺に到着。現在では真言宗石鈇派の総本山でもあるので、山門の左側にコンクリート造りの宗務所が大きく眼に入る。石鎚修験道の本山であることを示す、石鎚山と書いた扁額を支える門は、太い二本の柱のみ。

石畳を踏み本堂への道を歩く。地蔵堂、御滝不動の前を通り石段を登る。奥の奥に開けた空間の奥に銅板葺きの豪壮な本堂があった。本尊阿弥陀如来。役小角が石鎚山頂で示現させた石鎚大権現の本地仏である。小角が自ら刻んだ阿弥陀如来だと伝えられている。前の空間は大祭に催される柴燈護摩のためのスペースであろう。後に上仙道人が山頂への道を開き、桓武天皇の病気平癒を祈願して効験ありとのことで、七堂伽藍が調えられ、また弘法大師が求聞持法を修して霊場に定めたのだという。歴代皇室も帰依され、仏像や経巻を奉納しているが、慶応四年の神仏分離令で修験道は廃止されたのに伴い廃寺となり、明治十一年に現在地に下りて再興された。

急ぎ足でここまでたどり着いたという気持ちもあって、ゆっくりと理趣経一巻唱え、下の唐破風の宝形造りの大師堂の見事な細工瓦を眺め心経をお唱えした。そろそろお昼に近づいていたが、今日のお宿は何としてもいざり松までと決めていたので、先を急いだ。前神寺の前あたりに湯之谷温泉という看板を見かけた。また来たときにはゆっくりしたいものだと思う。この辺りから石鎚山までは八里、昔の話ではあるが土地の人は朝四時に出て山頂で拝み、晩の八時には戻ってきたという。

国道に戻り歩道をひたすら歩く。町に入るとパチンコ屋やら派手な看板が多くなり、世俗の雰囲気に馴染まない。と言うよりも、人と顔を合わせることに疲れを感じるからかもしれない。山道は自然に囲まれて静かに楽に歩ける。それに比べ町に出てくると途端に下を向いて歩いている自分に気がついた。途中公園があって、小さなお堂の前で香園寺でいただいたお弁当を開ける。ここも昔はどなたかお守りするお坊さんのいるお寺だったのではないかと思わせた。ブランコがあり、鉄棒がある。誰も居なくなり、お堂だけが残り管理する人もなく、地元の自治会が公園としたのであろうか。行き交う車を眺め冷たくはなっても温かいお弁当を食べた。

夕刻、やっといざり松として有名な番外札所延命寺にたどり着いた。ここは、弘法大師四国巡錫の時、いざりの松の辺りに足の不自由な人が苦しんでいるのを見て、千枚通しの霊符を創札され、一枚を授け加持すると、たちまち全快したという。これより千枚通しの名が全国に広がり千枚通し本坊として有名になった。明治の頃までは直径五メートル、東西三十メートル南北二十メートルも枝を伸ばした巨木だったというが現在は枯れた幹が残されているのみである。ご住職に挨拶すると、大師堂横の通夜堂を案内された。八畳間にこたつ、ポット、湯沸かし、ラジオ、それに布団まで。山門を出て、食パンに玉子ドーフ、天ぷらを買ってきて一人食べた。

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京都大学教授カール・ベッカー先生に学ぶ『理想の終焉を見つめて』

2013年05月06日 19時29分51秒 | 仏教に関する様々なお話
先月の懇話会は、篤志家K氏のご配慮により、京都大学・こころの未来研究センター教授カールベッカー氏の昨年11月のNHK「こころの時間」でのお話を集録したDVDを拝見した。たいへん熱の籠もったお話で、ご自身の生い立ちから今に至る思いの数々を拝聴することにもなった。テーマは『理想の終焉を見つめて』である。書き取ったメモをたよりに以下に再現してみたい。

「日本は急激に、死を恐れない国から死を恐れ怖がる国になってしまった。それは今の社会は死を看取れなくなったからではないか。死は病院のベッドで周囲から隠されてひっそりおとずれるものになってしまった。かつて学生の頃、ハワイで日系人の死に立ち会ったことがある。その村長は、周りに集うすべての人にそれぞれ言うべきことを言い終わって、静かに息を引き取った。その光景を見たとき、正に目から鱗、どうしたらこのように死を迎えられるのかと思えた。それで、ベトナム戦争、冷戦期の核戦争の脅威にさらされる少年時代から考え続けていた死ということの研究対象として日本を選び留学した。

しかし、その日本も残念ながら、そのような日本人の死の看取り方はバブル期以降なくなった。以前は身内であったり知り合いのお祖父さんやお祖母さんが亡くなる様子を見て誰もが身近に感じていたものなのに、現代は老病死について改めて学ばねばならない時代なのだ。ゲームでいくら登場人物が死んでも、リセットすればすぐに生き返るというような死の捉え方ではなくて、老いていくとはどういうことか、病気になるとは、また死とはどのようなことか、みんな身近な人の様子を見て、自分のこととして感じ取り、何事かを心に深く刻む必要がある。だからこそそこから、いかに生きるべきかと考えることにつながる。

いかに長くというよりも、潔い死を日本人は選択してきたはずだ。それは沢山の記録がかつて『往生伝』に残されているので分かることだが、これだけ沢山の人々の死についての記録は他の国にはない。それは、念仏者たちの記録ではあるが、死が近づいた人が何を見たり、願ったり、どんな思いでいるかを記録したもので、死を恐れることなく、仏様の世界に行くことを願い、確信した人たちの記録である。

死はすべての終わりではない、心が無くなるわけではないと昔の人は知っていた。太古の日本人でも、死んだらあの裏山に行くというような観念があった。そして、お盆などには魂となって帰ってこれると。

西洋では、19世紀から20世紀にかけて活躍した精神科医のジグムント・フロイトが深層心理を解明したとされ精神分析の立場から、人の死について、いつまでも悲しみ、心悩ましているのは病気であると考えられた。死は忘れるべきものであって、ないものにするのがよいと教えられた。しかし、身近な人の死に接して、誰もが簡単にそう思い諦め、なかったことにすることなど出来ない。

そこで、近年のことではあるが、アメリカの宗教心理学者デニス・クラス氏は、日本に来て、日本人の家にある仏壇や人が亡くなったあとになされる仏事について研究するうちに、そのすばらしさに驚嘆したという。日本人の多くが、仏壇に何かあると報告したり尋ねたりしている。いいことも悪いことも、重たい話も楽しいことも亡くなったお祖父さんお祖母さんに報告して、心の落ち着きを得たり、生きているかのごとくに接することで心癒されるなどの効用がある。

またどうしたらいいのか迷っているようなことがあるときにも、仏壇に語りかけて、静かに心の中でその言葉を聞く、先祖の声を仏壇で聞くこともできる。また、たぶん亡くなったお父さんならこうするに違いないというような気持ちが得られて、それによって自然と自信をもって対処できたりというようなこともある。仏壇は、一つの文明であり、人類の貴重な資源なのだと言える。

また、人の死後なされる法事も、ずっと日本人が大切に今日まで続けてきているものであるが、それは人の死に直面した人々がその死を受け入れ、心の安定を取り戻すための日本人の智慧である。そしてそれを西洋で紹介すると、その日本でなされる法事の一周忌とか三回忌とか時期に合わせて、それを真似て、身近な人の死に際しての取り組みが行われているという。亡くなった方の家族親族友人が集まって、ロウソクを持って儀式がなされ、パーティをともにすることで、その方の死は自分一人のものではないと知り、他の人たちと定期的に共有することで心癒される機会になっている。

日本人の文化はとても素晴らしいと思う。日本人の仕事は、お金のためではなく、とにかく良いものを、完璧なまでに仕上げるというところにその特徴がある。自分中心ではなく、自分のためにではないその仕事に、すべてを捧げるという完成した技術と芸と美、それに精神力が感じられるものであり、それらが大事にされてきた社会に育まれた日本の文化はとても素晴らしい他の国々にはない完成されたものを感じる。そうした文化に培われた絆や繋がりの中で人の終焉もあったであろう。

今考えられる望ましい死の迎え方は、多くの人にヘルパーさんたちに支えられてというのは不可能であり、誰もが可能な死でなくてはならないだろう。尊厳死の宣言をまずしたいと自分は考えているし、もしも認知症などで何も判断できないような事態になったときのために代理人選定もしなくてはいけないだろう。お礼を言うべき方にはその気持ちを伝えなくてはいけないし、お詫びを言うべき方もある。そして、自分が納得できるような心をその時までに作っておきたい。いつ、その日を迎えるか分からないのだから、常にそれをあるがままに受け入れられるようでありたいと考えている。

人生は長さではないのであって、たとえば、10代で死んだとしても、その短い人生で何を学び取れたのか、分かち合えたのかを評価したいと思う。昔の日本人がみんな共有していたように、私たちはそれで最後ではないと知ることが大切であろう。そして残された人は、その亡くなった人から何を学び取れるかによって、それがその先を生きる力につながるのではないか。

日本には、茶道や華道など、瞬間の芸ともいえる素晴らしい文化がある。そこには一期一会という教えがある。その瞬間はその時だけの、たった一度の尊い瞬間であると教えられている。その一瞬を大切に生きることを教えている。その瞬間だけが輝いてあると。誰もが最期の時を迎える。だからこそ、いま生きているこの瞬間瞬間を大切に輝いて生きたいと思う。その瞬間のすばらしさを周りの人たちと、また次の世代へも伝えたいと思う。一瞬一瞬を輝いて生きていたら、素晴らしい一生となるだろう」

以上がベッカー教授のお話の要旨であるが、私たちは、今私たちのこの伝えてきた伝統にそこまでの自信が無いままに何となく今を生きてしまってはいないか。時流と言い、葬式もせず、法事を簡略にし、お墓を無くていいとする。時代の流れに飲まれてしまってはいないか。だからこそ、今日本でも、欧米同様に精神を病み自殺までする人が後を絶たない時代となっているのではあるまいか。

アメリカ人のベッカー教授だからこそ、ここに記したように日本の古き良き伝統をきちんと見きわめ、その核心をこうして言葉に出来たのであろう。私たち自身が、古くさいと思ってしまっている日本の良き伝統が、この時代に西洋で見直され、真似されようとされている。私たち日本人は自分たちのしてきたことにもっと自信と確信をもって、その効用を意識的に捉え直すことで、心病み悩み多き時代を乗り切ることも出来るのではないかと思える。それを私たちに促しているお話であったと受け取りたい。

この日本にアメリカから来て40年、ずっと暖かい眼差しで私たちを見つめ続けて下さっているベッカー先生に深く感謝申し上げます。


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