12月21日から23日にかけて東京に出張し、新宿区西早稲田放生寺で行われた冬至祭に伺った。このお寺は、私にとって仏教との出会いをセッティングしてくれた忘れがたい場所に位置している。
そして、実際に高野山に出家するご案内と手ほどきをして下さり、またその後インドに度々行っていたときには日本滞在期間に居候をさせていただいていた。更にその後深川の冬木弁天堂に入る際にもお世話になった。今日私があるのはこのお寺の先代と今のご住職のお蔭であると言っても過言ではない。
ところで、放生寺の沿革や冬至祭については既に、この10月の「東京巡礼」で述べた。今回はこの度感じた東京の印象について述べてみよう。ずっと東京にいては気づかないかもしれないが、時々行くから気づくこともあるだろう。
地下鉄に乗ると外の景色を見るわけにもいかず、つい広告に目がいくので、地下鉄の中吊り広告などの料金は上を走る電車に比べ高いのだという。しかし広告主には申し訳ないが、私は広告よりは人に関心があり、電車内では、よく人物観察をする。
この度感じたのは、みんな身につけているものが、黒ばっかりだということ。この前に来たときにはこれほどではなかったと思うのだが。鞄も、スーツも、コートも。カジュアルな格好の人でも、黒のジャケットに黒のスラックス。女性でも、黒のセーターに黒のスカート。
もちろん黒ばかりの組み合わせということもないが、みんな黒が基調になっている。最近のファッションの流行なのかもしれないが、そこまでして黒を入れなくても良いようなものを。と感じてしまう。
見る人、見る人、みんな黒、くろ、クロ。気持ちが悪くなるほどだった。何でだろうと考えると、やはり、最近の人たちの悲惨な就業状況に思いが向かう。会社内での過酷な競争。こき使われるだけで報われることのない派遣。請負。
問題を起こしたくない、起こせない弱い立場。正社員であっても、一度何か問題を起こしたらそれで辞めさせられるかもしれない。そんなゆとりのなさを象徴しているかのような重苦しさを感じた。
個性を殺し、ただ会社の要求に応えるのみの歯車に徹しきったかのようなクロずくめの人々。もちろんそんな人ばかりではないはずではあるけれども、そんな風に思えてしまうほど、みんな強烈にクロにシフトされた人々の群れ。それに、表情も冴えない。
帰る日、用事があって銀座に出た。昔サラリーマン時代には、毎日のように闊歩した街だ。どの店もクリスマスの飾り付けに余念が無く、それなりに華やかさを感じさせてはいた。しかし、これがボーナス月の人手だろうかと思わせるほど、人通りは少なかった。ここがあの銀座かと、その色あせた感じは否めない。
まったく日本の国はどうなってしまったのか。中産階級が消費をリードし、誰もが中流と思えた時代のあの人々の笑顔は失われてしまったのであろうか。急速に衰退に向かっているかの印象に、寂しい思いを抱きつつ、新橋から羽田に向かった。
京急電車の中、私の前では、キャップをかぶった中年男性が、タイ人の女の子と楽しそうに話にうち興じていた。見ていると二人の顔立ちがよく似ていることに気づいた。顔の輪郭、目の感じ、唇が親子か兄妹のように思えた。おそらくそんな似たもの同士だからこそ、前世の因縁か、縁があって、年も生まれた国も違ってはいても、親しい関係になるのだろうかと思えた。
そして、こうして異国の人々との親密な交流が日本の国をいい方向へと変えていくのではないかとも思った。人口は減る。だからといって先日の新聞にあったように年金受取額が給与の半額を割るとして、今の水準が更に引き下げられてもそれに甘んじよと言わんばかりの数値の発表には意図的なものを感じるのだが。
しかしいずれにせよ、今の雇用形態、就業環境では、ますます結婚する人も、子供を作る人も、家を買える人も減少していくだろう。だから少子化は止められない。近い将来、他国からやってくる多くのこの国を支えてくれる人々との交流によって日本は変革されることになるのであろうか。しかしそれは、他の国と同じような階級社会をもたらすという弊害も抱き合わせて受け入れることになるのであろう。
様々な未来を私たちはいかようになろうとも受け入れて、それでも幸せに感じられるような生き方を模索するしかない。そんなことを考えつつ、帰りの機内で一人もの思いに耽っていたら、隣に坐った3歳の女の子が心配そうに私の顔をのぞき見ていた。
そうなのだ、こんな小さな子供たちが大きくなるころにも戦争だけはしない平和な世の中だけは維持してあげなければいけないのだと、気流に翻弄され激しく揺れる機体に身を預けつつ思った。
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日記@BlogRanking
そして、実際に高野山に出家するご案内と手ほどきをして下さり、またその後インドに度々行っていたときには日本滞在期間に居候をさせていただいていた。更にその後深川の冬木弁天堂に入る際にもお世話になった。今日私があるのはこのお寺の先代と今のご住職のお蔭であると言っても過言ではない。
ところで、放生寺の沿革や冬至祭については既に、この10月の「東京巡礼」で述べた。今回はこの度感じた東京の印象について述べてみよう。ずっと東京にいては気づかないかもしれないが、時々行くから気づくこともあるだろう。
地下鉄に乗ると外の景色を見るわけにもいかず、つい広告に目がいくので、地下鉄の中吊り広告などの料金は上を走る電車に比べ高いのだという。しかし広告主には申し訳ないが、私は広告よりは人に関心があり、電車内では、よく人物観察をする。
この度感じたのは、みんな身につけているものが、黒ばっかりだということ。この前に来たときにはこれほどではなかったと思うのだが。鞄も、スーツも、コートも。カジュアルな格好の人でも、黒のジャケットに黒のスラックス。女性でも、黒のセーターに黒のスカート。
もちろん黒ばかりの組み合わせということもないが、みんな黒が基調になっている。最近のファッションの流行なのかもしれないが、そこまでして黒を入れなくても良いようなものを。と感じてしまう。
見る人、見る人、みんな黒、くろ、クロ。気持ちが悪くなるほどだった。何でだろうと考えると、やはり、最近の人たちの悲惨な就業状況に思いが向かう。会社内での過酷な競争。こき使われるだけで報われることのない派遣。請負。
問題を起こしたくない、起こせない弱い立場。正社員であっても、一度何か問題を起こしたらそれで辞めさせられるかもしれない。そんなゆとりのなさを象徴しているかのような重苦しさを感じた。
個性を殺し、ただ会社の要求に応えるのみの歯車に徹しきったかのようなクロずくめの人々。もちろんそんな人ばかりではないはずではあるけれども、そんな風に思えてしまうほど、みんな強烈にクロにシフトされた人々の群れ。それに、表情も冴えない。
帰る日、用事があって銀座に出た。昔サラリーマン時代には、毎日のように闊歩した街だ。どの店もクリスマスの飾り付けに余念が無く、それなりに華やかさを感じさせてはいた。しかし、これがボーナス月の人手だろうかと思わせるほど、人通りは少なかった。ここがあの銀座かと、その色あせた感じは否めない。
まったく日本の国はどうなってしまったのか。中産階級が消費をリードし、誰もが中流と思えた時代のあの人々の笑顔は失われてしまったのであろうか。急速に衰退に向かっているかの印象に、寂しい思いを抱きつつ、新橋から羽田に向かった。
京急電車の中、私の前では、キャップをかぶった中年男性が、タイ人の女の子と楽しそうに話にうち興じていた。見ていると二人の顔立ちがよく似ていることに気づいた。顔の輪郭、目の感じ、唇が親子か兄妹のように思えた。おそらくそんな似たもの同士だからこそ、前世の因縁か、縁があって、年も生まれた国も違ってはいても、親しい関係になるのだろうかと思えた。
そして、こうして異国の人々との親密な交流が日本の国をいい方向へと変えていくのではないかとも思った。人口は減る。だからといって先日の新聞にあったように年金受取額が給与の半額を割るとして、今の水準が更に引き下げられてもそれに甘んじよと言わんばかりの数値の発表には意図的なものを感じるのだが。
しかしいずれにせよ、今の雇用形態、就業環境では、ますます結婚する人も、子供を作る人も、家を買える人も減少していくだろう。だから少子化は止められない。近い将来、他国からやってくる多くのこの国を支えてくれる人々との交流によって日本は変革されることになるのであろうか。しかしそれは、他の国と同じような階級社会をもたらすという弊害も抱き合わせて受け入れることになるのであろう。
様々な未来を私たちはいかようになろうとも受け入れて、それでも幸せに感じられるような生き方を模索するしかない。そんなことを考えつつ、帰りの機内で一人もの思いに耽っていたら、隣に坐った3歳の女の子が心配そうに私の顔をのぞき見ていた。
そうなのだ、こんな小さな子供たちが大きくなるころにも戦争だけはしない平和な世の中だけは維持してあげなければいけないのだと、気流に翻弄され激しく揺れる機体に身を預けつつ思った。
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