住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

歩こう会の皆さんへの法話 2

2005年09月24日 16時47分11秒 | 仏教に関する様々なお話
ところで皆さんは、かつて生徒たちに、強い心を持たなければいけないなんていうことを言われたことはないでしょうか。勉強をしなさい、横道に逸れないように強い心で立ち向かいなさいなどと言われたことはないでしょうか。ですが、その強い心とはどのような心かとお考えになったことがあるでしょうか。

また、私たちには誰でも、そりが合わない人というのがいるものです。他の人なら気にならないのに、その人が挨拶でもしなかったら、何だ、と思う。なんだか自分のことをのけ者にしているのではないか、無視しているのではないか、次々に妄想が膨らみます。それは怒りであり、欲かもしれません。とにかく考えたくなくても考えてしまう。それが人間です。

人間は考える葦であるなどと言いまして。考えることは良いことだと思っていますが、仏教では、それはただ汚れた心のまま勝手な妄想を作っているとしか見ません。それは弱い心であり、煩悩に占領されている状態なのです。

その状態を脱するためには、自らの心を細かく知り、妄想思念が沸いてきたらそれを遮断しなければならない、それを、仏教では念・サティと言います。今読んだ般若心経にも含まれている教えです。

そして、先ほど強い心とは何かと申しましたが、この自らの心をきちんと観察し様々な思いを断ち切ることができてこそはじめて強い心だということになるのではないでしょうか。では、この念の力、自らの心を把握する力を強くするにはどうしたらいいのでしょうか。

そこで、仏教では教えだけではダメですよ、実践が大切ですと、こう言うわけです。歩く瞑想というのがあります。私は、このただ歩いていることを意識しているだけのこの瞑想のやり方をもう随分前に20年ばかり前に知っていました。しかしその意味するところ、その大切さを知ったのは在日スリランカ長老に聞法してからですから、まだ10年ばかりのことです。

こう歩くときに右足が上がります、運びます、下ろしますと心で言ってから動かしていくわけです。身体の動きを心できちんと制御することを学びます。そして坐る瞑想では、心の動きや身体の感覚などもきちんと自らの心で把握し制御することを学ぶわけです。

呼吸するときに膨らむ腹の動きに、「膨らみます」「へこみます」と心の中で言いながら坐ります。何かの音に心がいったら「音」「音」と。何か思い出したら「記憶」「記憶」。身体が熱く感じたら、「暑さ」「暑さ」。各々心が移ったことを知り、言葉でそのことを確認し、また腹の動きに心を戻します。

それでは少し坐ってみましょう。足は、片足股の上に置き、背筋を伸ばし手は腹の前に置いて軽く目を閉じますが、全身の力を抜いて下さい。そして、深呼吸をした後、お腹の動きに心を集中して観察してみましょう。

(坐る瞑想実習5分)

いかがでしたでしょうか、目を閉じ座るとき、思ってもいなかったような様々なものが心に出て参ります。正に妄想思考記憶の類が押し寄せて参ります。それらをきちんと知る、知って断ちきることを学ぶのです。そうして瞑想を重ね、日常にもそのことを意識しつつ実践していますと、自分の心がきちんと分かり、とても冷静で落ち着いた心でいることができます。

またこうした瞑想の前には、私たちがおかれている今ここにあることの恵みに気づき、自分が良くあるためには身の回りの人たちが良くあらねばならず、またそのためには全ての生きとし生けるものも良くあらねばならない。自分も含めそれら全てが幸せであって欲しいという気持ちを表すために慈悲の瞑想をいたします。

(プリント参照・慈悲の瞑想実習10分)

少しは仏教の世界を身近に感じ取っていただけたでしょうか。おそらくこれまで皆さんが思っていた仏教とは違う仏教だなぁと思われたかもしれませんが、少しでも興味を感じていただけましたなら有り難く思います。何か新しいことにチャレンジをしてみようとお思いの方がありましたら、是非仏教を研究してみて欲しいと思います。仏教は素晴らしい教えです。それでは今日の私の話を終わります。
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歩こう会の皆さんへの法話

2005年09月23日 06時58分54秒 | 仏教に関する様々なお話
本日は数あるお寺の中から特にこの國分寺にお参り下さいまして、誠に有り難う御座います。國分寺については先祖代々この國分寺を護持して下さっているB先生から懇ろなお話があったことと思いますので、私からは何も申し上げません。

私は6年ほど前にこちらに来たばかりでありまして、お寺に生まれたわけでもありませんから、至ってもの知らずでありますが、幸いなことにこの25年ばかりお釈迦様一筋に生きて参りましたので、その辺のお話を少しさせていただこうかと思っています。

こちらの本尊様は、お薬師さまです。本堂の外には医王閣と扁額にありまして、医王とはお薬師さまのことですが、元々医王と言いますとお釈迦様を意味していました。お釈迦様の教えは、当時の医者の診断処方の仕方と同じであった、またどんな人が行ってもたちどころにその病んだ心が癒えてしまう。そんなところから医王と、医者の中の医者であると言われたわけです。

それで、そのお釈迦様のお徳のその部分だけを取りだして、お姿に薬壺を乗せた仏が薬師如来ということになっています。ですから、仏教辞書などには、薬師如来は釈迦如来の別名とあります。まあ、そんなことはどうでもいいことですが、お薬師さまはお釈迦様と同体であるということで、こんな私にもご縁があったのではないかなどと思ったりしています。

ところで、このご本尊様はお厨子に入ったままで、秘仏ということになっています。日本では特に美しい仏像を見るためにお寺にお参りしたり、わざわざ博物館にまで行ったりします。それなのに、結構多くのお寺が秘仏として扉を閉めています。なぜ秘仏なのでしょうか。

それは、仏様というのは形じゃないよということだそうです。お釈迦様が亡くなって500年間は仏像はなかったのですし、それまでは、菩提樹や仏足跡などでお釈迦様を表現していました。本来形に表すのはとても不遜なこと、とうてい表現できるようなものではないはずのものだからです。

大切なのは仏さんの心だよということなのでしょう。皆さん長年学校の先生を為されていれば、もう随分前から心の時代と叫ばれてきたことをご存知のはずです。ですが、いかがでしょうか。いまだに私たちは物や情報に振り回され、心よりも物や身体に重きを置いてはいないでしょうか。最新式の電気製品、携帯、また健康志向とでも言うのでしょうか、エステやスパとかよく分からないものが流行って、人々を虜にしています。

心が忘れ去られようとしています。ですが、本当はみんな心の仕業なんですね。法句経という古い経典があります。皆さんご存知でしょうか、1951年のサンフランシスコでの対日平和条約締結時に、スリランカの代表が賠償権放棄の演説に引用した、「怨みは怨みによって鎮まること無し、怨みを捨ててこそ怨みは止む、これは世の中の変わらぬ真理である」という偈文でも有名なお経です。

その法句経の第1章の第1偈に、「ものごとは心より起こり、心を主とし、心よりなる。もし汚れた心をもって語り行うときは苦しみがこれにしたがう、車を引く牛に車輪が従うが如し」とあります。

しかしそう言われてもそれがどのようなことを意味しているのかが分からないものです。まあ、そんなものかなぁという程度かもしれません。たとえば、遠くにある電話が鳴り立ち上がるとき、私たちはあっ電話だと思った途端に足が動き歩き出しています。

しかし、本当は、その一瞬の中に意識していなくても、電話の音を耳が聞き、それを電話の音だと知り、出なくてはいけないと判断し、受話器を取るために身体を運ぶために足を動かすという過程を経ているはずです。つまり、行動の初めにはきちんと心が先行しているということなのです。

しかしそんなことをいちいち私たちは意識することはありません。ですが、その為に急いで足の臑をどこかにぶつけてみたり。つまり身体の動きをきちんと意識して自分で制御していないということになります。身体の動きを心が制することも出来ないのですから、何かを目にしたり聞いたり思い出したりして現れる欲や怒りの心にも私たちは気づくことなく、それらに振り回されてしまうことになるのです。つづく

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日本核武装の現実

2005年09月19日 11時33分52秒 | 時事問題
東京の東中野に「原子力資料情報室」という研究機関がある。ここから毎月ニュースレターが送られてくる。9月号には、「日本の核武装と東アジアの核拡散」と題する論文の抄録が掲載されていた。

著者フランク・バーナビー博士は、英国オックスフォード研究グループの核問題コンサルタントで、ロンドン大学の講師や、科学と世界の問題に関するパグウォッシュ会議の事務局長、ストックホルム国際平和研究所の所長などを歴任し、現在はフリーランスの防衛問題アナリスト。

もう一人の著者ショーン・バーニーは、グリーンピース・インターナショナルの核キャンペーンのコーディネーター。

まず、所々重要部分を抜粋してみよう。「長崎に投下された原爆は5キログラムのプルトニウムを含んでいたが、今日本はその9千倍の45トンものプルトニウムを持っている。60年代後半日本の有力な政治家によって原爆製造に必要な核物質とその運搬手段を手に入れることが画策された。本当の核兵器開発をしなくても、日本は事実上の核保有国になっている。日本政府は、この状態を維持している」

さらに「六ヶ所村再処理工場が動けば、日本は世界最大級の余剰プルトニウムを持つことになる」「高度の技術をもつ核兵器設計者なら、六ヶ所村で作られるプルトニウムの3~4キログラムで一個の兵器を製造できる。大量のプルトニウムがある中でこのような少量のプルトニウムの転用を知るには高度の技術を要するが将来の技術の進歩を見込んでも達成不可能である」

「日本では、世論が逆転しないと核兵器を製造する決断は下されないと想定しているが、その想定は危険である。ある一線が越えられてしまった後で反対は盛り上がるものだが、その時には既に遅すぎる」「アメリカの核の傘の下にある事実上の核保有国として、日本がすぐに核兵器を製造する必要はない。そのプルトニウム保有量は戦略的に重要である。しかし、核兵器開発の決定に向けた状況は進んでいて、世論はそれを受け入れやすくなるように弱められてきている」

「日本の核武装が中期的にアメリカにとって有利だと考えている人がワシントンにいないと考えることはできない。アメリカは既にその方向を止めにくいと暗に伝えている」「世界で第二の経済大国として、日本の政策決定者にとって重要かつ危険な教訓は、すぐに世界は核をめぐる現実を受け入れることを学ぶということである」「インドとパキスタンができることなら、日本はできる」

「日本国憲法は、アメリカの積極的な対応によって改正されつつある。日本の自衛隊は海外に派遣され、両国の合同軍事訓練は強化されている。日本がナショナリズムと軍国主義に進むという予測は、2006年に交代が予定されている小泉首相の有力な後継者候補と見なされている安倍晋三によって、より悪い方向に向かうであろう」

そして「国際社会は日本の核武装を受け入れることを学ぶであろう」「日本のプルトニウム計画は、核拡散の引き金となる」「核不拡散の方針に従ってプルトニウム利用をしないエネルギー政策へと転換することが、日本が核兵器保有を選択した世界の国々のたどった道を拒否するための第一歩である」

どうであろうか。私たちには初耳、夢夢思ってもいない展開について述べられ、現実問題としてこうした見方を外の人々はしている。私たち日本は既に事実上の核保有国であり、身に余る核兵器製造のためのプルトニウムを既に確保し、それをいつ現実化させるのかを政治上の推移を見て、その時期をはかる段階にあるという。

私たちが何も知らない間に、もうそこまで来てしまっている。近隣諸国はもとより、諸外国はそうした視点で我が国を見ている。中国、韓国の我が国に対する強硬姿勢もこの事実を織り込み済みなのであろう。だからこそ恐れている。知らされていないのは当の国民自身。自分たちが核を持つなんて、とのんきな感覚でいるのは、私たちだけなのである。

現在の核保有国のいずれもが、核保有を議論して決定したわけではない。ごく一部の政治指導者たちによって準備され、ある日突然発表されたものだという。私たちもいつその現実に向き合う日が来るとも限らない。そう思うとき、改憲が次なる照準に合わせられようとしている現在、返す返すもこの度の総選挙の結果は、私たち日本国民の無知さを象徴したものと記録されるであろう。自らの一票の重さをその時ひしひしと感じる人がせめて多くあることを願いたい。

追記、9/20各新聞一面に北朝鮮核放棄を確約と大きな見出しが紙面を飾った。北朝鮮が核実験に踏み出せば、日本の核武装も現実視されるであろうとの予測もあることを考えれば、これは一安心と言えようか。しかし、45トンものプルトニウムを我が国が保有している現実は何も変わりがないことを認識しておくべきであろう。
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薬師巡拝記

2005年09月18日 17時35分21秒 | 様々な出来事について
この15、16日に中国四十九薬師の島根県6か寺と県北の2か寺の霊場を参拝してきた。近隣の寺院方との共同による企画で、中型バス28人乗りに27名の参加。この日より秋の気配が漂い、外は涼しいほどであったが、バスの中はお参り大好きな信仰者たちの熱気が朝から立ちこめていた。

この企画も今年で4回目、鳥取岡山の第一回、広島近隣の第二回、広島から山口の第三回、それに続くこの度の山陰をめぐる旅で、一応の結願を迎える。私にとっては、どこも初めての地。その地方地方の歴史や景色に見聞を広めることの出来る旅となった。

分けても各寺院の雰囲気がその土地柄や宗派による違いが何ともおもしろい。そのお寺の求めているもの、出入りする信者さんや檀家さんの違いもそうしたところから窺い知ることが出来るようであった。

昨年は、台風一過の山口県を訪れ、どこも屋根が剥がれたり、水漏れがしたり、また周りの畑や田圃の悲惨なまでの被害を目の当たりにした。今年は、台風の被害よりも、様々な事情で、お寺の環境が険しい大変な思いをしてお寺を守っている寺族の方々の思いを思った。

山陰の風光明媚な場所に位置するお寺ほど厳しい生活環境の中にある。島根半島の北西端に位置する日御碕神社の別当だったお寺はその環境の厳しさに加え、明治の廃仏毀釈の憂き目をそのままに今に至っているようであった。また歴史の変遷により、大檀那であった城主の没落にお寺の命運が委ねられて今に至っているお寺もあった。雨が降ると川が氾濫し、その度に寺域を狭め、檀家もなく、狭い境内に柴燈護摩の結界を常設してお寺を守っている札所もあった。

番外として一畑薬師にもお参りした。こちらは、1100年前に、海から引き上げられたお薬師さまをお祀りして一筋、口伝えに深まっていった庶民の信仰の力は絶えることなく、その信仰者の力によって大きな伽藍と教団が出来、今も意気軒昂な躍動感の中にあるようであった。

宿泊した玉造温泉は、出雲神話の跡を刻む勾玉の産地。勾玉を磨いた湯に我が汚れた心も磨くことが出来たであろうか。心を磨くには誠に短い湯浴みであったか。折角の温泉なのに、毎度様々同行者たちとの話や打合せに多くの時間を費やしてしまう。夕飯後に一回がせいぜいである。

昔温泉に行ったら5回は入らねばいけないと言われたことがある。宿に入ってすぐに一回、夕飯前に一回、寝る前に一回、翌朝起きて一回、宿を出るときに一回の計5回だそうである。それを思うと誠に勿体ない話である。

昔二度目の四国遍路を歩いていた頃、四国に参る時間こそが自分の真の、本当の歩みであって、それ以外の日々はその為の準備のためにあるというような思いを抱いたことがあった。その思いの前に、その前の年に遍路して歩いている自分にタイムスリップするような錯覚にも襲われた。

札所を目指して歩く自分が本当の自分であって、それ以外の自分は夢の中にあるような感覚。この度の参拝に参加された一人一人がそうだと言うのではない。が、それに似たような目の輝きをもって参拝を続ける同行者たちとのお参りは、私にとって誠に心地よい、心安まる、有り難い巡拝であった。

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改訂 あるべきようは5 (公民館でのお話草稿) 

2005年09月11日 14時32分47秒 | 仏教に関する様々なお話
幸せとは何だろうと思って気楽に読んできて、最後まで来ると何とも厳しい内容が出てきてしまいました。ですが、皆さん、普通幸せというと、一生懸命勉強していい学校に入って、いい会社に入って、出世して、表彰されてと、つまり何かを達成したり、何かになること、欲しい物が手に入ったりと、そんなことが幸せと思ってはいないでしょうか。

曖昧に何か裕福で何でも思い通りになることが幸せだというふうに思いがちではないでしょうか。ですが、地位があったり、裕福な人が必ずしも幸せとも限らないですし、人生ずっと思い通りになるなんてことは絶対にありません。ですから、私たちが漠然と思っている幸せとはあり得ないことなのであり、私たちはどういう事が幸せかということを本当はよく分かっていないのです。

そこで、お釈迦様は、この吉祥経で、幸せとは、人としてなすべきことをきちんと人生の段階に応じて成し終えていくことだよと、その上に自ずとおとずれる何も憂えることのない安らかな心、功徳ある行いをなした充足感であり、その上に求められる覚りとも言うべき至福感といったものであると定義なさっているのです。

大切なのは、このごく当たり前のこと為すべきことを粛々とこなしていくこと。それで何の後悔も憂いもない、善いことをした満足感がある、これまでの歩みに納得している、その上に少し心のことを考えるゆとり、安らぎがある、そんなことが本当の幸せなんだとお釈迦様が言われているわけです。

今日の演題のあるべきようはとは、室町時代の明恵上人の言葉ですが、あるべきようはと題したのは、この吉祥経は、いかにあれば幸せであるかということを示したものであるからです。それで、皆さん一人一人は、この吉祥経の言う4段階の幸せの今どの地点に立っておられるかということです。仏教は過去や未来ではなく、今が大切なのです。過ぎ去った過去を追うなかれ、いまだ来たらぬ未来を思うなかれ、いま為すべきことを熱心に為せと教えられています。

皆さんは、4つの幸せの中の123とそれぞれの段階をクリアしてきて、今4番目の段階におられる。そうですよね。ということはどういうことになるのでしょうか。皆さんはお見受けするところ、間違いなく歳を重ねてこられた方々のように思われます。ですから、皆さんのような善い年の取り方をしてこられた方たちが本当はもっと幸せを実感してもいいのではないか。皆さんご自分で幸せだなぁと思っておられますか。

私たちは、何かあると、たとえば、自分や家族が重い病気になってしまったり、大きな事故にあったりすると、それまでの何もない平凡な日常がいかに幸せなことであったかということに気づくものです。

ですから、今皆さんのあるべきようはとは、今こうしてあることに、少しは楽をさせてもらっていることに、幸せだなぁと実感してくださる、その恵みに気づいてくださることだと思うのです。

そして、もっと、福々しく、お釈迦様の言う幸せの階段を上ってきた者としての風格を持って欲しい。いつもニコニコと周りの人たちに幸せを分けて上げて欲しい、そう思います。お年寄りがニコニコと機嫌良くしておられることが若い者たちにとっての一番の心の励みになります。

何も言わずともただ機嫌良くして覚ったような穏やかなお顔、お姿でいて下さることが皆さんをより大きな存在に見せてくれます。そして、時々何かアドバイスする、優しい言葉で、少しだけみんなの役に立つことをする、ですが、決して若い者たちを見下すような思いを持ってはいけません。若い者たちも居て世の中が成り立っているのですから。

そうしていれば自然と周りの人たちから尊敬され、色々なものが集まって来て、もっと幸せになれるはずです。そうお釈迦様も教えられています。四摂法という教えです。

そして、毎日自分は幸せなんだと思いだして下さること。仏壇に手を合わせるときでも、お風呂に入っているときでも、またお休みになるときでも、一日一回は今の恵み平穏な一日に幸せだなと思っていただく。そうすればその幸せな気持ちを持って来世に行くことが出来ます。このことがとても大事なことです。

それから、もしも、この中でそう言われても毎日退屈で心落ち着かないという方があったなら、これは私からのお願いでもあるのですが、是非少し仏教を研究して欲しいと思います。もう年なのに何を言っているとお思いの方もおられると思いますが。

お釈迦様の晩年、一人の長老に話しかけて、そなたはもういくつになったであろうかと問われたとき、その長老は、もう七十を過ぎているのに、私はやっと四歳になりましたと答えたと言います。それはいかなることであろうか、とお釈迦様が問うと、その長老は、私は歳を取ってやっとお釈迦様の教えに出会い、何とか精進して、覚りを開くことが出来目覚めることが出来ました。そうしてやっと目を開き世の中を見ることが出来ましたと言われたということです。仏教を学ぶのに遅いということはありません。是非これを機会に始めていただきたいと思います。

折角1時間もお話を聞いて下さったのですから、今日の幸せの話、今の自分はお釈迦様の言う幸せの4段階目にいるのだと思って下さって、何もない平穏な一日一日が幸せなのだとその恵みに気づいてくださることをお願いしまして、今日のお話を終えたいと思います。ありがとうございました。
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改訂 あるべきようは4 (公民館でのお話草稿) 

2005年09月08日 10時59分57秒 | 仏教に関する様々なお話
そして、林住期、仕事を次第に退きつつ、功徳を積み心の教えを学ぶ時期です。
⑦尊敬と謙遜と、知足と知恩。ときどき、覚れる人の教えを聞くこと。これは最上の吉祥である。
⑧忍耐、忠告を率直に聞く、出家者に会う。ときどき、覚れる人の教えについて話をする。これは最上の吉祥である。

社会生活を営みつつも徐々に一線を退き、後継者に道を譲り、世の中を冷静に眺め心を養っていく時期です。

自分の実績や経歴を誇り高慢になりがちですが、他者を尊敬したり謙遜する徳を身につけることでより深い幸せを感じます。こうした豊かな心を育むためにも足ることを知り、これまでに受けた恩を忘れず、また欲得を超えた心の教えについて学ぶことも大切なことです。

また、人の言うことに耳を傾けたり、お坊さんなどと親しく話すことを通じて、自分の経験や技術、時間などを生きとし生けるものの為に生かすことで、より一層の幸せを感じられるようになります。

そして、遊行期、社会生活を離れ安らかな心の幸せを求める時期。
⑨心の鍛錬、自分の心を知るという実践、神聖なる真理を見ること。覚りの世界を明らかにすること。これは最上の吉祥である。
⑩俗世間のことに触れても心が動揺せず、憂い無く、汚れなく、安らかである。これは最上の吉祥である。

定年をして、なおかつ仕事を持つ人も多いとは思いますが、出来れば仕事を離れ、残りの人生を心静かに過ごすことも必要なことです。

定年後は一人四国遍路を歩くという人も多くなっているとのことですが、そうして、社会生活を離れ、自らの心を知るように励むことが何ものにも依存しない最高の幸せを求めていくことにつながります。人として人生の意味を感じ、永遠の幸せである覚りをも求めることに繋がります。

利益や不利益、苦や楽、賞賛や非難、名誉や不名誉などといった俗世間の損得にも心動かされることなく、憂い、貪り、怒り、妬み、おごり、偽善といった心の汚れが現れなくなり、安らかな幸せが得られるのです。

ここまでの内容をひとまとめにすると、そこにありますように、
 [1]人として知識や技能を身につけ生きる力を蓄えることによる幸せ、 
 [2]正しい仕事によって財を得て家族や社会を養い、善行を習慣とすることによる幸せ、
 [3]生きとし生けるもののために善い行いをして、なおかつこれまでと違う次元のことに関心を向ける幸せ、
 [4]なにものにもとらわれない清らかな心の幸せ、
というそれぞれの段階に応じた幸せがあることが分かります。

最終的には、結局覚りということが人生の目標だよということなのかもしれませんね。幸せを求めるならそこまで行って下さい。中途半端なところで満足しないで下さい。そういうことなのだと思います。

つまり先ほども言ったように、日本の仏教では人が亡くなると戒名を付けて引導を渡す訳ですが、それは、おそらくこのこと、人は最後、死に際にはなってしまったけれども、戒名を付け出家させ、覚りという最高の幸せを求めて来世に旅立っていって下さいという願いが込められているのではないか、そんなふうにも思えるのです。つづく
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あるべきようは3 (公民館でのお話草稿) 

2005年09月07日 13時09分43秒 | 仏教に関する様々なお話
こんな感じなのですが、少しでもインドのお釈迦様の雰囲気を感じていただけたなら、うれしいのですが。それで、この経典ははじめ、容色麗しい神様がお出ましになって、お釈迦様に「多くの神々や人々は幸せを望みつつ吉祥を考えてきました、最上の吉祥を説き給え」と申し上げます。それに答えてお釈迦様が幸せとは何かについて述べておられるのがこのお経です。

吉祥とは、人に成功や繁栄、幸せをもたらすものであり、そのまま幸せと言い換えてもいいものです。そこでこの吉祥経の内容を見ていくわけですが、そのまま読んでも良いのですが、このプリントでは、インドの古い慣習で人の生き方に四住期という考え方があるのですが、吉祥経をそれに従って四つの時期に分けて内容を見ています。

はじめに生まれてから親の所で生きる術を学ぶ学生期というのがあります。それから、家族を養い護る家住期、心の教えを学ぶ林住期、諸国を修行するために遍歴する遊行期があります。今日のインドでも、もちろんそのようにきっちりと住み替えて年を重ねていく人はあまりないといいますが、インドの人々の人生の捉え方として今も大切にされているものです。

ではまず学生期から見ていきましょう。人として生きる力を蓄える時期の幸せですが、
①愚かな人に近づかず、賢い人に親しむ。尊敬供養するに値する人を尊敬する。これは最上の吉祥である。
②適当なところに住み、先になされた功徳があり、正しい誓願を起こしている。これは最上の吉祥である。
③多くの見聞、技術、道徳を身につけて、きれいな言葉を語る。これは最上の吉祥である。

生きるために必要なものを蓄えることがここでの要点です。
人は人に学んでいくものです。と、ある南方仏教のお坊さんに教えていただきました。 南方の仏教では、今も目上のお坊さんには投地礼を三度して挨拶する習慣があります。そうして尊敬する心があってはじめて、その方から様々な教えを授かることが出来るのです。

どのような人を参考にし、尊敬して生きるかは、私たちにとってとても大切なことです。学も財もあるけれど、人の道に外れた人を手本にしていてはいけないのです。

この場合の賢い人とは、単に多くの事を知り語る人ではなく、心安らかで人に恨まれたり憎んだりということのない行いの清らかな人を指しています。特にその人の業績でなしに、そこに至る間に培った人格や考え方を尊敬すべきではないでしょうか。

そうした人たちを手本にして生きるのに相応しい場所に住まい、そして、善い行いの功徳を積むことを心がけ、それによってさらに正しい生き方に心を向けていくことも大切なことです。

そして、単に知識や学歴ではなく、より実用的な見聞や技術を身につけるべきであることはもとより、人として生きるための道徳やきれいな言葉も大切な要素です。

特に今の日本では重視されませんが、相手を尊重したきれいな言葉遣いは社会の中で自らが大切にされるためにも、とても重要なことです。また、道徳をわきまえていなくては、せっかく学んだ学問知識も正しく役立たないことは言うまでもありません。

次に、家住期です。結婚し家庭を持ち、家族、社会を養う時期です。
④父母を養い、妻子を愛し護る。混乱なき仕事をする。これは最上の吉祥である。
⑤施しと、法にかなう行い、親族を愛し護る。非難されない行いをする。これは最上の吉祥である。
⑥悪い行いをつつしみ離れ、酒類を飲むのを抑制し、徳行の実践を怠けないこと。これは最上の吉祥である。

結婚し、家族、親族そして地域社会をも導いていく存在としての役割を担う時期です。
これらのごく当然とも取れるものをクリアして初めて何の後ろめたさもない、誰からも非難されることのない幸せを享受できるのです。混乱なき仕事とは今様にはストレスの少ない仕事と言い換えれば分かりやすいでしょう。

また、法にかなう行いとは、より多くの者に利益がもたらされるように行うことです。欲や怒りにより、他を害するような行いをつつしみ、他の者と分かち合い共に幸せを感じられるよう行うことが大切です。

これに対し、自分の幸せだけを求めるばかりに悪いことをしでかすことは、今の社会問題でもあります。何でも出来る立場にあるこの時期、悪い行いをつつしむことは憂いや後悔を残すことなく幸せになるために不可欠なことです。

お金がたくさんあっても何かむなしさが残るのを多くの人が感じ、ボランティアに励む姿も見受けられます。徳のある善行が心豊かな幸せを感じさせてくれることは言うまでもありません。
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改訂 あるべきようは2 (公民館でのお話草稿) 

2005年09月06日 07時14分25秒 | 仏教に関する様々なお話
そこで、皆さんにお聞きしますが、この中にお坊さんになりたい人は居ますか。おられませんか。ですが、皆さん無くなるときには戒名をもらいますよね。戒名とはなんだかご存知ですか。戒名は、私の全雄という名前と同じ出家得度したときにもらう仏教名です。ですから、皆さん亡くなるときにはみんな仏教に入門して引導を渡されて来世に行く。

ですけど、本当は、その時に少し知識があるととっても引導を受けやすい。色々お葬式のとき導師はものを申すわけですが、そのことの意味を本当はきちんと分かっていた方が良い。来世に旅立つときに導師がどんなことを皆さんに託すのか、そんなことの意味するところを知っていて欲しいそんな気持ちがあります。

ですから、國分寺では仏教懇話会というのを4年ばかり前から開いて仏教全般のことをお話しして皆さんに聞いてもらっています。私が毎度くどくどと話すわけですから、聞いている皆さんにとってはあんまり楽しいことはないのですけど、それでも来てくださる。皆さんが私に対して慈悲を垂れてくださって話を聞いてくださっているのではないかとさえ思ったりしています。

それはともかくとして、皆さんお寺というと葬式法事、お墓があって供養供養と言う所だ、と思っているのではないですか。ですが、私は、生きている皆さんが元気で幸せで悩みなく安心して暮らしてくださることが本当の供養だと思っています。

そう言うとひょっとして、おやっと思われる人もあるかもしれません。おいおい、この坊さん大丈夫かよと。

それでは、ところで、この世の中で最もよく供養ができた方は誰だと思われますか。まあ、こんな、人が考えない馬鹿なことを私はよく考えているのです。皆さんは誰だと思いますか。うちの死んだおばあさんは良くしていたがなぁ、という方もあるかもしれませんが。

こんなことは、どうでもいいことのようですが、私は、それはやっぱりお釈迦様をおいてないと思っています。これだけ2500年もの長きにわたって今もなお世界の人に幸せをもたらしている方はいない訳です。神様方でさえ教えを乞いに来た、生きとし生けるもの全てがお釈迦様の教えに酔いしれて説法を聞きに来た。

亡くなった人たちだって、お釈迦様のお声を耳にしただけで、天界に昇天できるのではないかとさえ思います。そのお釈迦様のなさったことが最高の供養だと思えば、私たちのするべき事がはっきりしてくる。

ただ、お彼岸だからと言ってお墓に行って花をかえ、線香を立てて手を合わせる。それも良いが、それだけではいけないということが分かります。それが仏教だと思ってもらったらとんでもない宝の持ち腐れだと言わざるを得ない。

私たち自身が本当に心からの幸せ、何のわだかまりもない、誰にも頼らない、何もなくてもこみ上げる充実感がある。そんな心を養うことこそが私たちにとって必要な事なのであって、それはそのままご先祖方がお慶びになることだろうと、私は思うのです。そして、そういう心、ご先祖様方が喜んでくださる心を養うためにこそ法事やら様々な仏事があるのではないかと思います。

それで、今日の本題に入ります。ここに用意してありますプリントを見ていただきますと、これは、大法輪という昭和9年から発行している国民的仏教雑誌です。宗派にとらわれない伝統仏教界の雑誌でとても権威あるものです。そこにこれまで度々私の原稿を掲載してくださっていまして、この中から今日は平成14年の10月号から「しあわせということ」というのを勉強してみようと思うのです。

この文章でいう幸せとは何かというのは順を追って話していくとしまして、この文章のベースとして、吉祥経というパーリ語のタイ、スリランカ、ミャンマーなど南方の仏教でよくとなえる経典を解説しています。南方の仏教国では、日本の般若心経のように親しまれているお経です。私もインドいる頃は暗唱していたのですが、もう忘れてしまいましたので少し経典を見ながら原文で唱えてみましょう。

パーリ語でマンガラスッタと言います。エーバンメースタン、エーカンサマヤーバカバー、サーバッティヤンビハラティ・・・・・・・・・・・・・・。つづく
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あるべきようは(公民館でのお話草稿) 

2005年09月05日 11時34分21秒 | 仏教に関する様々なお話
ご案内がありましたように、國分寺から参りました全雄と申します。公民館の館長さんから先月のお盆にお話を頂きまして、何か話をと言うことでしたが、初めは、私などがお話しすることもないのではないかと思いお断りしようかと思いましたが、是も私の僧侶としてのお役目かと考えましてお引き受けした次第であります。

どんな話をするのかと問われましたので、あるべきようは、と題し副題に、お釈迦様が教える本当の幸せとは、とさせていただきました。と申しますのも何と申しましても本当は皆様の方が人生経験もあり何もかにも分かっておいでなはずだと思うからです。

私のような若輩者が皆様に何かお話をするというのであれば、それは誠に限定したものとせざるを得ない、それはただただこの25年にも及ぶ私のお釈迦様に対する思いを皆様にお話しすることしかない、そこからこの1時間、折角お足を運んでくださっただけの何かを持って帰っていただければあり難いと思う次第であります。

ところで、皆さんはお寺の坊さんというのは、お寺の息子がなるものだと思っておいてではないでしょうか。残念ながら私は皆さんと同じような普通の家庭の生まれです。それで良く聞かれることが何かあったのでこの道に入ったのかという事なんです。別に何もないんですが、坊さんになりたくなったからと言うわけですが、皆さん納得しない訳ですね。

きっと言うに言われぬ何かがあってなったに違いないと思われるようです。ですが、本当はお釈迦様だって、お大師様だって、親鸞さんだって普通の家庭に育った人たちなんですね。お寺に家族なんて無かった。だから、私のような者が坊さんになっても良いし、皆さんだってこれから坊さんになろうと思えばなる道は沢山ある。

私の場合は、二十歳過ぎから猛烈に仏教を独学で学んでいて、それで坊さんになりたくなって、暫くサラリーマンもいたしましたが、うまく縁が出来て高野山に行って得度して修行も出来ました。それから、東京の早稲田大学の前にあるお寺で役僧をしていたのですが、一年くらいしまして、お暇が出ましてインドに行きました。その後戻って四国を歩いたり、東京で托鉢などをして暮らしていましたが、また、インドに行く機会があり、今度はインドの坊さんとして3年余り過ごすことが出来ました。

皆さん仏教の発祥の地はどこにあるかご存知ですか。ベナレスというガンジス河のガートの町として有名な古い町から10キロほど北にサールナートというところがありますが、そこが仏教の発祥の地。お釈迦様が初めて教えを説いたところです。そこで私はまる1年間インドの坊さんとして過ごすことが出来ました。

それは今思うととても幸せなことでした。今にもお釈迦様が歩いてくるのではないかと思われるような場所ですから。そこに長く居れただけでもとてもありがたいことだったんだと思います。その時にはそんなことは思わずにただ一日一日が大変な暑さや言葉の壁やら生活環境の違いなどから大変だったのですが。

それで、偶々日本に戻っていたときに、神戸の震災があって、ボランティアとして避難所で過ごして心のケアーという仕事もさせていただいたり、様々な経験を文章に残し、それを友人たちが布教紙として発行してくれたりと、その間にも色々なことをしました。

それからインドの黄色い衣を脱いで、また日本の真言宗の坊さんに戻って、東京の下町の小さなお堂の堂守をしました。そこでやっと私も家庭を持つことが出来まして、またご縁あってこうして神辺の國分寺というとても地元の大切なお寺にやってきて、住職にさせていただいて役職を全うしているということになっています。

本当に全うできているかどうかは、檀家さん方や周りの人たちが見ていることですから、私が判断することではありません。ただ、自分の出来ることをさせていただいているということです。今思うことは住職の仕事というのは、本当に幅が広い、何から何までしなければいけないんですね。お経を上げるというのはほんの一部の仕事でして、お寺の維持管理、勿論掃除から、檀家さん方とのコミュニケーション、お金の計算もしなくてはいけないんです。

その点私の場合は、サラリーマンをしていたときに、何でも経験してきたことが今になって大変役に立っています。経理も、総務も、営業も、会合の司会や事務局のような仕事、研修旅行の番頭さんのような仕事もしてきました。それら全てが今に生きているなと思います。皆さんもそうだと思いますが、人生無駄なことなんか何もない。全てが役に立つ糧になるのだとつくづく思います。つづく
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