「にじいろのさかな」(講談社.マーカス・フォスター作.谷川俊太郎訳)という絵本がある。七色の鱗にキラキラ光る銀色の鱗のにじうおは、はじめ他の魚たちに羨まれ自慢げにしてはいるが、なんとかうまくやっていた。ところが、あるとき、一匹の小さな魚が「その銀色のキラキラ鱗を一枚くれないか」と頼んだとき、思わず激昂してしまう。
それで「何でこの自慢の鱗を君なんかにやらなきゃいけないんだ」と言ってしまった。その話は周りの魚たちにたちどころに知られてしまい、それ以来誰も見向きもしないし、近づいてきてもくれなくなってしまう。
たった一人うらぶれてしまったにじうおは、こんなに自分はきれいなのに、誰よりも立派な魚なのに誰も見てくれないし、寄って来てもくれなきゃ何のための七色とキラキラ鱗なのかと悩み考え込んでしまう。
ちょうどその時近くをとおったヒトデに、思わずどうしたら良いんだろうと呟く。すると、僕には分からない、でもずっとむこうの洞窟に賢いタコの婆さんがいるよと教えてくれる。特別なにかを期待したわけでもないのにその方向に泳ぎ出して行くにじうお。
その洞窟の前に来ると、どこからともなくタコのお婆さんが現れて、「お前が来るのを待っていたよ」と低い声で言った。波がおまえのことを知らせてくれたと。そして、「お前の望みを叶えるには、そのキラキラする鱗を一つ誰かにやってみるんだ、そうすればどうすれば幸せになれるか分かるだろう」と、それだけ言うと姿を消してしまった。にじうおはそんな馬鹿な、と言おうとしたが後の祭りだった。
そうして、もとの海に戻っていくと、あの小さな魚が寄ってきて、「にじうお怒らないで聞いてくれよ、そのキラキラ鱗一番小さなものでいいから一枚くれないか」と言う。にじうおは一番小さなものなら惜しくもないかと思い、あげてみる。するとその小さな魚は小躍りして喜んで泳ぎ去っていった。それを見ていたにじうおはなぜか自分もうれしくなりちょっぴりだけ幸せな気分を味わう。
するといつの間にか以前近くにいた魚たちが沢山集まってきて、「僕にも一枚くれよ」と頼みだした。にじうおは、一枚一枚分けてあげた。終いに自分の体にもキラキラ鱗はたった一枚になっていることに気づいた。でもみんなが喜んで泳いでいる姿を見ると自分も本当に幸せな気分になれた。
こんなお話の絵本です。自分一人が良くても幸せになんかなれない、ということを簡単な話の中に良く表現されている児童本。仏教の布施、ないし慈悲の教えにも該当する内容となっている。スイス人作家による翻訳本だが、全世界で印刷され世界的な賞も取っている。
今ニートという若者たちがいる。ちょうどキラキラ鱗を自慢していたときのにじうおのように思えて仕方がない。外の世界に自分の持てるものを、能力を少しでも分けてあげたら、別の世界が開け、幸せがどんなものかが分かるのではないかとも思える。
そして親たちやお年寄りには、ここに出てくるタコのお婆さんであって欲しい。いつも口うるさく小言を言うことなく。悠然と構えて、いざというときに、待っていたよと言って欲しい。あらためて読んで、そんなことを考えさせられた。(11/21護摩供後の法話から)
それで「何でこの自慢の鱗を君なんかにやらなきゃいけないんだ」と言ってしまった。その話は周りの魚たちにたちどころに知られてしまい、それ以来誰も見向きもしないし、近づいてきてもくれなくなってしまう。
たった一人うらぶれてしまったにじうおは、こんなに自分はきれいなのに、誰よりも立派な魚なのに誰も見てくれないし、寄って来てもくれなきゃ何のための七色とキラキラ鱗なのかと悩み考え込んでしまう。
ちょうどその時近くをとおったヒトデに、思わずどうしたら良いんだろうと呟く。すると、僕には分からない、でもずっとむこうの洞窟に賢いタコの婆さんがいるよと教えてくれる。特別なにかを期待したわけでもないのにその方向に泳ぎ出して行くにじうお。
その洞窟の前に来ると、どこからともなくタコのお婆さんが現れて、「お前が来るのを待っていたよ」と低い声で言った。波がおまえのことを知らせてくれたと。そして、「お前の望みを叶えるには、そのキラキラする鱗を一つ誰かにやってみるんだ、そうすればどうすれば幸せになれるか分かるだろう」と、それだけ言うと姿を消してしまった。にじうおはそんな馬鹿な、と言おうとしたが後の祭りだった。
そうして、もとの海に戻っていくと、あの小さな魚が寄ってきて、「にじうお怒らないで聞いてくれよ、そのキラキラ鱗一番小さなものでいいから一枚くれないか」と言う。にじうおは一番小さなものなら惜しくもないかと思い、あげてみる。するとその小さな魚は小躍りして喜んで泳ぎ去っていった。それを見ていたにじうおはなぜか自分もうれしくなりちょっぴりだけ幸せな気分を味わう。
するといつの間にか以前近くにいた魚たちが沢山集まってきて、「僕にも一枚くれよ」と頼みだした。にじうおは、一枚一枚分けてあげた。終いに自分の体にもキラキラ鱗はたった一枚になっていることに気づいた。でもみんなが喜んで泳いでいる姿を見ると自分も本当に幸せな気分になれた。
こんなお話の絵本です。自分一人が良くても幸せになんかなれない、ということを簡単な話の中に良く表現されている児童本。仏教の布施、ないし慈悲の教えにも該当する内容となっている。スイス人作家による翻訳本だが、全世界で印刷され世界的な賞も取っている。
今ニートという若者たちがいる。ちょうどキラキラ鱗を自慢していたときのにじうおのように思えて仕方がない。外の世界に自分の持てるものを、能力を少しでも分けてあげたら、別の世界が開け、幸せがどんなものかが分かるのではないかとも思える。
そして親たちやお年寄りには、ここに出てくるタコのお婆さんであって欲しい。いつも口うるさく小言を言うことなく。悠然と構えて、いざというときに、待っていたよと言って欲しい。あらためて読んで、そんなことを考えさせられた。(11/21護摩供後の法話から)