一昨日3月9日、『朝日新聞愛読者企画、日本の古寺巡りシリーズ第六回、出雲国をゆく、鍔淵寺と華蔵寺』にて両寺を参詣した。鍔淵寺は深遠な厳かな雰囲気を漂わせる霊地に相応しい重々しさを感じさせてくれた。華蔵寺は松江城築城の際その鬼門として再建された伽藍を今にとどめる枕木山山頂の禅刹だ。鍔淵寺では残念ながらどなたともお会いすることがなかったが、華蔵寺は親しくご住職が出迎えて下さった。
本堂に上がり、心経一巻。かつて三島・龍沢寺の蝋八接心で唱えられた、あの独特の朗々とした力の籠もる禅宗の心経だった。その後御法話をいただいた。なんと現在一人でこの由緒ある大寺を守っているのだという。それも妻帯せずに。専門僧堂のお師家さんでも妻帯している人が多いと聞く。さらに檀家は20軒。どうしたらこれだけの伽藍を守っていけるであろうか。
現在住職されて四年半。本堂の雨漏りもあり、本堂や開山堂の修繕を発願された。そのため今年から、午前中は松江市内に托鉢に出ているのだという。寺務所の脇の柱には太めのビニール紐で編んだ草鞋が置かれていた。おそらくそれを履いて托鉢されているのであろう。私も知り合いの臨済宗の僧から教えられ編んだことがあり、それで四国を歩いたことを思い出させた。
しかし市内へ托鉢しても、どこの乞食坊主が来たかという顔をされ、なかなか効果が上がらないのだとも。ご修行は京都の建仁寺でなされ、こちらに来る前は大徳寺におられたとか。建仁寺は臨済宗を開いた栄西禅師が創建された最も歴史ある禅宗寺院であり、大徳寺は、大燈国師の創建で、応仁の乱後の伽藍をあの一休禅師が復興したことでも知られる。
一休禅師は、あるときひどく寒い時分に寺で焚き物が無くなると、仏像を燃せと言ったといわれるが、このとき華蔵寺の和尚も、こんな仏像が無くてもいいのが禅宗なのだと本尊の釈迦如来立像を指さして言われて、生きている私たち自身が仏であって大切にされるべき者だと。
あるとき京都の檀家さんの盆参りで小さな子供が「仏像はただの木なのに何がありがたいの?」と言ったところ、師匠は「そうだその通りだ、でも、そこにご先祖様みんながいて下さっているのだから大切にしなくてはいけないのだ」と答えたという。大人は社会の暗黙の決まり事の中に生きがちだけれども、そうした素直な物の見方が出来なくてはいけない。
今世の中は様々な凶悪事件に例を取るまでもなく若い人たちの心が荒廃している。核家族化、若い人は都会に出るなど、祖父から子に孫にという次世代に伝えていくことが難しい時代。できるだけ、仏壇のお供え、お墓のお参りなどによって、そうした大切さを伝えいくことで、心を病んだ若い人たちに無謀な方向に突き進む前に心を引き止める防波堤としなくてはいけない。
禅宗は言葉の前に形を示す教えでもある。石段、参道はきれいに掃除されていた。堂内の床も光り輝くほどに磨かれていた。冷たくてもしっかり水で絞った雑巾で自らの心を磨く如く心を込めて、決してやらされている何でこんなことしなくてはいけないのかなどと思うことなく行う。行いがそのまま人を作っていく、そこに生きることがそのまま修行となり、落ち着いた心が得られる。
禅宗は不立文字と言いながら沢山の語録が残されているが、『無門関』に「仏道とはいかに」と問われて、「仏道とは平常心是道」と答えるくだりが出てくる。仏道はどこまでいってもこれに尽きる。常に平常心。こうあらねばならない。今出雲では神仏霊場会が出来て、1200年もの歴史ある神社寺院がともにその歴史ある信仰の心をあらたに伝えようとしている。
ここに参って、その昔からある木々、自然の中に呼吸し、その当時の人々の心に心身ともに通じ思いを馳せて、今の私たちの心にその歴史ある伝統ある日本人の心を思い起こして欲しいと願っている。より多くの人に参詣いただき、心あらたに何事かを感じ取ってもらい、またこの寺の復興になればありがたい。
こんなご法話を頂戴した。揮毫も立派である。いい字をお書きになる和尚だ。私同様身体の大きな方でもない、年も私とそう変わらない。しかし、こんな厳しいお寺でたった一人檀務と修行の日々を送る、想像を絶するものがある。今の時代に誠に有難い方とお見受けした。色紙や短冊を頒布して何とか糊口を凌ぎ、托鉢して伽藍の復興を願う。精進料理のもてなしも出来るとか。福山からは泊まりがけで坐禅に来るグループもあるという。
お別れして2日となるが、未だにこの和尚の顔が思い出される。また是非ともお会いしたい方であり、出来るなら一緒に坐禅をさせて欲しいと思う。何とかいいようにお寺の復興がかなえられることを願い念じていたい。是非多くの人に枕木山華蔵寺をお訪ねして欲しい。
690-1111 島根県松江市枕木町205 臨済宗南禅寺派 龍翔山華蔵寺 TEL0852-34-1241
尚、今回もツアーの企画から実施まで倉敷ツアーズの金森氏、添乗には安川氏にたいへんお世話になった。この場をかりて御礼申し上げます。
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本堂に上がり、心経一巻。かつて三島・龍沢寺の蝋八接心で唱えられた、あの独特の朗々とした力の籠もる禅宗の心経だった。その後御法話をいただいた。なんと現在一人でこの由緒ある大寺を守っているのだという。それも妻帯せずに。専門僧堂のお師家さんでも妻帯している人が多いと聞く。さらに檀家は20軒。どうしたらこれだけの伽藍を守っていけるであろうか。
現在住職されて四年半。本堂の雨漏りもあり、本堂や開山堂の修繕を発願された。そのため今年から、午前中は松江市内に托鉢に出ているのだという。寺務所の脇の柱には太めのビニール紐で編んだ草鞋が置かれていた。おそらくそれを履いて托鉢されているのであろう。私も知り合いの臨済宗の僧から教えられ編んだことがあり、それで四国を歩いたことを思い出させた。
しかし市内へ托鉢しても、どこの乞食坊主が来たかという顔をされ、なかなか効果が上がらないのだとも。ご修行は京都の建仁寺でなされ、こちらに来る前は大徳寺におられたとか。建仁寺は臨済宗を開いた栄西禅師が創建された最も歴史ある禅宗寺院であり、大徳寺は、大燈国師の創建で、応仁の乱後の伽藍をあの一休禅師が復興したことでも知られる。
一休禅師は、あるときひどく寒い時分に寺で焚き物が無くなると、仏像を燃せと言ったといわれるが、このとき華蔵寺の和尚も、こんな仏像が無くてもいいのが禅宗なのだと本尊の釈迦如来立像を指さして言われて、生きている私たち自身が仏であって大切にされるべき者だと。
あるとき京都の檀家さんの盆参りで小さな子供が「仏像はただの木なのに何がありがたいの?」と言ったところ、師匠は「そうだその通りだ、でも、そこにご先祖様みんながいて下さっているのだから大切にしなくてはいけないのだ」と答えたという。大人は社会の暗黙の決まり事の中に生きがちだけれども、そうした素直な物の見方が出来なくてはいけない。
今世の中は様々な凶悪事件に例を取るまでもなく若い人たちの心が荒廃している。核家族化、若い人は都会に出るなど、祖父から子に孫にという次世代に伝えていくことが難しい時代。できるだけ、仏壇のお供え、お墓のお参りなどによって、そうした大切さを伝えいくことで、心を病んだ若い人たちに無謀な方向に突き進む前に心を引き止める防波堤としなくてはいけない。
禅宗は言葉の前に形を示す教えでもある。石段、参道はきれいに掃除されていた。堂内の床も光り輝くほどに磨かれていた。冷たくてもしっかり水で絞った雑巾で自らの心を磨く如く心を込めて、決してやらされている何でこんなことしなくてはいけないのかなどと思うことなく行う。行いがそのまま人を作っていく、そこに生きることがそのまま修行となり、落ち着いた心が得られる。
禅宗は不立文字と言いながら沢山の語録が残されているが、『無門関』に「仏道とはいかに」と問われて、「仏道とは平常心是道」と答えるくだりが出てくる。仏道はどこまでいってもこれに尽きる。常に平常心。こうあらねばならない。今出雲では神仏霊場会が出来て、1200年もの歴史ある神社寺院がともにその歴史ある信仰の心をあらたに伝えようとしている。
ここに参って、その昔からある木々、自然の中に呼吸し、その当時の人々の心に心身ともに通じ思いを馳せて、今の私たちの心にその歴史ある伝統ある日本人の心を思い起こして欲しいと願っている。より多くの人に参詣いただき、心あらたに何事かを感じ取ってもらい、またこの寺の復興になればありがたい。
こんなご法話を頂戴した。揮毫も立派である。いい字をお書きになる和尚だ。私同様身体の大きな方でもない、年も私とそう変わらない。しかし、こんな厳しいお寺でたった一人檀務と修行の日々を送る、想像を絶するものがある。今の時代に誠に有難い方とお見受けした。色紙や短冊を頒布して何とか糊口を凌ぎ、托鉢して伽藍の復興を願う。精進料理のもてなしも出来るとか。福山からは泊まりがけで坐禅に来るグループもあるという。
お別れして2日となるが、未だにこの和尚の顔が思い出される。また是非ともお会いしたい方であり、出来るなら一緒に坐禅をさせて欲しいと思う。何とかいいようにお寺の復興がかなえられることを願い念じていたい。是非多くの人に枕木山華蔵寺をお訪ねして欲しい。
690-1111 島根県松江市枕木町205 臨済宗南禅寺派 龍翔山華蔵寺 TEL0852-34-1241
尚、今回もツアーの企画から実施まで倉敷ツアーズの金森氏、添乗には安川氏にたいへんお世話になった。この場をかりて御礼申し上げます。
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