大法輪休刊に寄せて
いま私の手に、昭和九年十月一日発行の大法輪創刊号がある。これはここ國分寺の先々代猪原泰雄院家が購入し書庫に大切に保管してきたものである。赤字で大法輪、その下に黒字で創刊號とあり、信貴山縁起の剣の護法飛行の図が描かれている。目次は大きな法輪を左右に開くと開陳され、上部四分の一のスペースに地獄極楽図が描かれ、髙楠順次郎博士や加藤咄堂、高島米峰など仏教学者に加え、政界官界からの激励や「現代病根」と題して四十人もの著名人から、当時の焦燥感とその解消策についての短文が寄せられている。また創作小説が八本も掲載されており、仏教にまつわる題材を絡めた、いずれも興味深い内容である。
創刊の辞には、「時は正に非常時、國運進展せんとして、東亜の新黎明に、警鐘が鳴る。思想問題に、國防問題に、農村問題に、生活問題に、その徹底せる解決を求めんとするの声は、喧々囂々として耳を聾するばかりである。而も国民は、今尚統一ある帰趨を見出し得ない。そは何故か、真の信念なき為である。此の時にあたりて、佛降誕二千五百年を迎ふ。大聖釈尊の教法、そはこの無明の長夜を彷徨する大衆に、与えられたる唯一の大燈炬ではないか。茲に於いて、『大法輪』は正法を大衆に傳ふべき使命を以て、創刊せられたのである。」とある。
時代は、大正十二年の関東大震災からの復興途上にあり、その後恐慌となり、経済は低迷。大陸に活路を見出さんと満州へ進出し、満州事変が起こり、満州国の建國。そして国際連盟の脱退にいたる。軍部によるクーデターも勃発、軍事色が日増しに濃くなりつつあった。そういう軍靴高らかなる世情にあって、この創刊の辞を読むに、いまこそ大衆の心を癒やし、かつ穏やかならざる時代に一つの指針を与えんがために何としても創刊しなければならぬという決意がひしひしと伝わってくる。
更に巻頭の「不滅の法輪」と題する編集者の文には、新日本の建設と宗教という小見出しに続き、「今日の政治界、実業界、教育界が腐敗堕落せるは、実にその中の人々に宗教心なきが為である。今日の大政治家、大実業家、大教育家にどれだけの宗教心ありや。彼らは人生の根本問題に対して、真摯に思いをひそめしことありや。もし真に日本を思ひ、天下を憂えんとならば、まづ自分自身人生観を確立し、人間最後の安住地を見出すことが先決問題なのである。吾人は昭和の維新といい、新日本の建設というもその根底には宗教殊に仏教の信仰なからべからざることを高調せずにはいられぬ。」ともある。その時代にすでにそう叫ばれていたのなら、現代にあってはその欠片も残ってはいないと考えた方がよいであろう。
その後大法輪は戦時中は合併号を出すなど戦時版の時代を経て、戦後の経済復興高度成長期を経験し、昭和平成令和の今日迄リニューアルを重ね、趣向を凝らした特集記事を見出しにしつつ、毎月発行し続けられ、日本における仏教雑誌の草分けとして、超宗派の総合仏教月刊誌として盤石の地位を築いてきた。創刊六十周年にあたる平成六年には、『大法輪まんだら』と題して創刊六十年秀作選が刊行されている。その執筆陣の名を見るだけで、大法輪の日本の出版界、仏教界における高い地位が解る。髙楠順次郎博士を初め、高山峻、鈴木大拙、金田一京助、岸本英夫、柴山全慶、金子大榮、暁烏敏、澤木興道、岡本かな子、内田百閒、武者小路実篤、牧野富太郎、平櫛田中、山本玄峰、河口慧海、などなど39人の各界を代表する錚々たる大先生ばかりがずらりと名を連ねている。
それらの大先生方が執筆されてきた歴史ある、権威ある大法輪に、誠に僭越ながら、筆者は、平成八年に「聖地サールナートに無料中学を設立した日本人僧」というインドサールナート法輪精舎住職後藤恵照師を紹介する記事を書かせていただいたのを皮切りに、昨年六月号の特集「仏教の聖なる言葉」において、「諸仏の名号」、「上座仏教の三宝帰依と如来の十号」を執筆するまで、24年もの間、特集記事の原稿を依頼されたり、またこちらで書いた原稿を掲載いただいたり、実に、七十を超える記事を書かせていただいてきた。この中には「わかりやすい仏教史(全13回)」、「阿含経典を読む(全10回)」など連載させていただいたものもある。全く畑違いの、それまで学んだこともない内容の依頼も度々あったように記憶するが、その都度一から勉強し直し、さらには先生方の本を書庫に漁りつつ確認し認めたものも多い。
何れも専門的な用語が含まれ、解釈の難解な内容も多くあったが、自分が理解し解りやすい文章を心掛け、自らの経験を書くことでご理解を願うようなものも多かったように思える。依頼された内容に叶う貴重な内容の本を、不思議にもその少し前に手に入れ書棚に置いてあったものが丁度役に立ったということも何度もあった。平成24年、前編集長の勧めから、そうした原稿などをまとめて大法輪閣から、『ブッディストという生き方-仏教力に学ぶ』という単行本も上梓させていただいたのは望外の幸せであった。私の今に至るこの25年ほどは、正に大法輪の原稿を書かせていただくことで幅広く仏教を学ぶ機会を与えられ、乏しい知識の扉を開かせていただいてきた年月であったと言える。
この、今日迄87年にも亘って日本仏教に貢献し、関連する様々なテーマで特集を組み、多くの読者仏教者の教化につとめ、日本人に精神的潤いを与え続けてきた、大法輪がこの七月に休刊する運びとなってしまったという。誠に残念に思われるが、この根底には、活字離れ、紙文化からネットによる情報収集への移行があり、時代の流れとして仏教関係者たちの無関心不勉強があり、また仏教の国際化から、とくにテーラワーダ仏教の流入による日本伝統仏教への関心が薄れ、より実践的な仏教を求める人々が増えていったことにあるといえよう。
年々実売部数が減る中で今日迄持ちこたえてこられた経営努力を賞賛するとともに、誠に豊富な内容について長年編集を続けてこられた編集者の皆様の研究心を高く評価し讃えたいと思う。がしかし、とはいえ今まさに世界を席巻する新型ウイルス感染の脅威に震撼する人々が心の安穏を必要とするとき、大衆に心の癒やしと指針を与えんとして創刊された大法輪が書店の棚から姿を消してしまうのは誠に惜しく、残念に思える。是非とも近々に再刊される気運が志有る仏教者諸氏より起こることを陰ながら祈念したい。
平成七、八年頃、インドから一時的に帰り、東京西早稲田の放生寺に居候していたとき、その後厳しい出版業界にあって長く編集長として辣腕を振るう黒神直也氏が親しくお訪ね下さり、本堂の下陣に座り、しばし時間を忘れ語り合ったことが懐かしく思い出される。それが大法輪と私の、すべての始まりでした。今日迄浅学非才のこの凡僧をお育て下さいましたことに、深く感謝し篤く御礼申し上げます。
(教えの伝達のためクリックをお願いします)
にほんブログ村
にほんブログ村
いま私の手に、昭和九年十月一日発行の大法輪創刊号がある。これはここ國分寺の先々代猪原泰雄院家が購入し書庫に大切に保管してきたものである。赤字で大法輪、その下に黒字で創刊號とあり、信貴山縁起の剣の護法飛行の図が描かれている。目次は大きな法輪を左右に開くと開陳され、上部四分の一のスペースに地獄極楽図が描かれ、髙楠順次郎博士や加藤咄堂、高島米峰など仏教学者に加え、政界官界からの激励や「現代病根」と題して四十人もの著名人から、当時の焦燥感とその解消策についての短文が寄せられている。また創作小説が八本も掲載されており、仏教にまつわる題材を絡めた、いずれも興味深い内容である。
創刊の辞には、「時は正に非常時、國運進展せんとして、東亜の新黎明に、警鐘が鳴る。思想問題に、國防問題に、農村問題に、生活問題に、その徹底せる解決を求めんとするの声は、喧々囂々として耳を聾するばかりである。而も国民は、今尚統一ある帰趨を見出し得ない。そは何故か、真の信念なき為である。此の時にあたりて、佛降誕二千五百年を迎ふ。大聖釈尊の教法、そはこの無明の長夜を彷徨する大衆に、与えられたる唯一の大燈炬ではないか。茲に於いて、『大法輪』は正法を大衆に傳ふべき使命を以て、創刊せられたのである。」とある。
時代は、大正十二年の関東大震災からの復興途上にあり、その後恐慌となり、経済は低迷。大陸に活路を見出さんと満州へ進出し、満州事変が起こり、満州国の建國。そして国際連盟の脱退にいたる。軍部によるクーデターも勃発、軍事色が日増しに濃くなりつつあった。そういう軍靴高らかなる世情にあって、この創刊の辞を読むに、いまこそ大衆の心を癒やし、かつ穏やかならざる時代に一つの指針を与えんがために何としても創刊しなければならぬという決意がひしひしと伝わってくる。
更に巻頭の「不滅の法輪」と題する編集者の文には、新日本の建設と宗教という小見出しに続き、「今日の政治界、実業界、教育界が腐敗堕落せるは、実にその中の人々に宗教心なきが為である。今日の大政治家、大実業家、大教育家にどれだけの宗教心ありや。彼らは人生の根本問題に対して、真摯に思いをひそめしことありや。もし真に日本を思ひ、天下を憂えんとならば、まづ自分自身人生観を確立し、人間最後の安住地を見出すことが先決問題なのである。吾人は昭和の維新といい、新日本の建設というもその根底には宗教殊に仏教の信仰なからべからざることを高調せずにはいられぬ。」ともある。その時代にすでにそう叫ばれていたのなら、現代にあってはその欠片も残ってはいないと考えた方がよいであろう。
その後大法輪は戦時中は合併号を出すなど戦時版の時代を経て、戦後の経済復興高度成長期を経験し、昭和平成令和の今日迄リニューアルを重ね、趣向を凝らした特集記事を見出しにしつつ、毎月発行し続けられ、日本における仏教雑誌の草分けとして、超宗派の総合仏教月刊誌として盤石の地位を築いてきた。創刊六十周年にあたる平成六年には、『大法輪まんだら』と題して創刊六十年秀作選が刊行されている。その執筆陣の名を見るだけで、大法輪の日本の出版界、仏教界における高い地位が解る。髙楠順次郎博士を初め、高山峻、鈴木大拙、金田一京助、岸本英夫、柴山全慶、金子大榮、暁烏敏、澤木興道、岡本かな子、内田百閒、武者小路実篤、牧野富太郎、平櫛田中、山本玄峰、河口慧海、などなど39人の各界を代表する錚々たる大先生ばかりがずらりと名を連ねている。
それらの大先生方が執筆されてきた歴史ある、権威ある大法輪に、誠に僭越ながら、筆者は、平成八年に「聖地サールナートに無料中学を設立した日本人僧」というインドサールナート法輪精舎住職後藤恵照師を紹介する記事を書かせていただいたのを皮切りに、昨年六月号の特集「仏教の聖なる言葉」において、「諸仏の名号」、「上座仏教の三宝帰依と如来の十号」を執筆するまで、24年もの間、特集記事の原稿を依頼されたり、またこちらで書いた原稿を掲載いただいたり、実に、七十を超える記事を書かせていただいてきた。この中には「わかりやすい仏教史(全13回)」、「阿含経典を読む(全10回)」など連載させていただいたものもある。全く畑違いの、それまで学んだこともない内容の依頼も度々あったように記憶するが、その都度一から勉強し直し、さらには先生方の本を書庫に漁りつつ確認し認めたものも多い。
何れも専門的な用語が含まれ、解釈の難解な内容も多くあったが、自分が理解し解りやすい文章を心掛け、自らの経験を書くことでご理解を願うようなものも多かったように思える。依頼された内容に叶う貴重な内容の本を、不思議にもその少し前に手に入れ書棚に置いてあったものが丁度役に立ったということも何度もあった。平成24年、前編集長の勧めから、そうした原稿などをまとめて大法輪閣から、『ブッディストという生き方-仏教力に学ぶ』という単行本も上梓させていただいたのは望外の幸せであった。私の今に至るこの25年ほどは、正に大法輪の原稿を書かせていただくことで幅広く仏教を学ぶ機会を与えられ、乏しい知識の扉を開かせていただいてきた年月であったと言える。
この、今日迄87年にも亘って日本仏教に貢献し、関連する様々なテーマで特集を組み、多くの読者仏教者の教化につとめ、日本人に精神的潤いを与え続けてきた、大法輪がこの七月に休刊する運びとなってしまったという。誠に残念に思われるが、この根底には、活字離れ、紙文化からネットによる情報収集への移行があり、時代の流れとして仏教関係者たちの無関心不勉強があり、また仏教の国際化から、とくにテーラワーダ仏教の流入による日本伝統仏教への関心が薄れ、より実践的な仏教を求める人々が増えていったことにあるといえよう。
年々実売部数が減る中で今日迄持ちこたえてこられた経営努力を賞賛するとともに、誠に豊富な内容について長年編集を続けてこられた編集者の皆様の研究心を高く評価し讃えたいと思う。がしかし、とはいえ今まさに世界を席巻する新型ウイルス感染の脅威に震撼する人々が心の安穏を必要とするとき、大衆に心の癒やしと指針を与えんとして創刊された大法輪が書店の棚から姿を消してしまうのは誠に惜しく、残念に思える。是非とも近々に再刊される気運が志有る仏教者諸氏より起こることを陰ながら祈念したい。
平成七、八年頃、インドから一時的に帰り、東京西早稲田の放生寺に居候していたとき、その後厳しい出版業界にあって長く編集長として辣腕を振るう黒神直也氏が親しくお訪ね下さり、本堂の下陣に座り、しばし時間を忘れ語り合ったことが懐かしく思い出される。それが大法輪と私の、すべての始まりでした。今日迄浅学非才のこの凡僧をお育て下さいましたことに、深く感謝し篤く御礼申し上げます。
(教えの伝達のためクリックをお願いします)
にほんブログ村
にほんブログ村