住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
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いまここに存在している不思議

2022年02月21日 15時18分52秒 | 仏教に関する様々なお話
いまここに存在している不思議



今こうして大きなお寺に住まいさせていただき住職として仕事をしている不思議を語りたいと思います。何の縁もなかったこの地にきて、もう二十二年がたちます。多くの皆様のおかげであっという間の年月ではありますが、通常のお寺としての檀務に加え、広い境内の整備やまったくしたことのない山仕事などみんな檀信徒役員の皆様が毎年整備してくださるおかげで、何とか務めさせていただいているということなのですが、そうしたことも含め誠に奇跡のような得難いこの場所でこうしておらせていただいていることが誠に不思議に思えるのです。

と申しますのも、つい二三日前に思い出したことですが、今から三十年ばかり前、私がまだ四国を歩いて遍路している頃のことです。高野山の専修学院を卒業し、役僧として東京のお寺に住み込みで勤めをし、二年目にインドへ行きました。そのときにはヨガの聖地であるリシケシに行くことが主目的で、仏跡地にはブッダガヤのみに参詣し三か月ほど滞在し帰りました。そのとき一人の禅僧に出会い、その後帰国して四国の歩き方、ビニールひもで草鞋の編み方を習いました。そして、そのお寺を辞して一人団地に住まいしておりましたが、それでも年に数度もそのお寺の行事のたびに呼んで下さり役僧として仕事をさせていただきました。

そうして一僧侶として歩き出してはいたわけですが、お寺の生まれでもないため、その先の展望が何もなかったのです。自分では志を立てて僧侶の道に入ったと思っていたわけですが、はたして自分はこの先どうあるべきか、いかなる歩みをするべきか、いかなる僧侶としてあるべきか、私の役割とは何なのか、まったく自分の将来像が描けずにいたのでした。

そこで、特別何のお告げがあったわけでもないのですが、毎朝の勤行の礼拝時に、「私に、僧侶としてこの先いかにあるべきか、どうぞ役割をお与えください」と仏様に祈念して五体投地を繰り返しておりました。ついぞそんなことをしていたことも忘れておりましたが、ニ三日前にふとそのことを思い出したのです。その時期は、週に三回ほど、作務衣の上に衣を着て、脚絆を巻いて網代笠をもち、頭陀袋に鉢を入れ、草鞋を履いて、地下鉄を乗り継ぎ、数寄屋橋や浅草の浅草寺仲見世の脇で午前中の二三時間托鉢をして生活していました。そのほかにも柴又の帝釈天やとげぬき地蔵でも托鉢したことがありましたが。

そして四月から五月にかけて、托鉢姿で寝袋を担ぎ家を出て、フェリーや深夜バスを利用して四国に入り、八十八箇所を二度歩いて遍路しました。そんな生活を二年ほどしておりましたら、僧侶の友人からインドに行かないかとの誘いがあり、その気で準備を進めていたところ出発目前で友人は行かれなくなり、二回目の遍路をした翌年のことでしたが、一人一月に二度目のインドへ旅だったのでした。そしてその旅で、はからずもインドの仏教教団にご縁ができて、サールナートの日本人インド僧後藤恵照師に出会うことができました。

インドにはもう仏教は遺跡しか残っていないと思っていたのに、生きて仏教徒が存在し教団まである、さらにその仏教徒はかつての仏教の中心地マガダ地方から遠い昔にイスラム教徒の侵攻を予期してインド東部現在のバングラディシュ・チッタゴン周辺に避難した正当なる仏教徒であることを知りました。私はこれこそが自分の役割と即決して、後藤師が計画していた無料中学設立に向け協力させてもらうことにしました。

その後一度日本に帰りヒンディー語を大学の語学研修所で一年間学び、再度インド入りして自身もインド僧となり、三年半を過ごさせてもらいました。勿論この間に日本に帰って寄付をつのったり何度か行き来をしながらではありましたが、そうして丁度日本にいるときに阪神淡路大震災が起こり、ボランティアとして三度ほど神戸市の避難所に通い被災者の皆様からお話を聞かせていただく機会を得ました。夜焚火を囲み話す被災者のおじさんたちの話は誰も哲学者の様に核心をつく言葉をつむいでくださったことを記憶しています。

サールナートの無料中学は、皆様からのご寄進によりおかげさまで校舎の建設、入学生の選考から先生の選抜、学生服の仕立て、来賓の招待などが済み開校式が行われ、軌道に乗ったのでした。が、その後、ベンガル仏教会のコルカタ本部が取得したルンビニの土地にお堂を建設するため日本での募金活動を依頼されたが、時すでにバブル崩壊後で失敗に終わりました。またコルカタに滞在している時マラリヤに二度かかったこともあり、帰国を余儀なくされました。そして、上座仏教の戒を捨戒して日本の僧侶に復帰して、東京深川の冬木弁天堂に堂守として三年ほど過ごしました。このお堂は開運講という近在の方々の信者団体が管理運営しており、下町の気っぷの良い誠にストレートな物言いの皆様とともに、正月五月九月に大祭を行い、十二日ごとに己の日には護摩を焚き、正月には元旦から七日間は深川七福神の多くの参拝者を出迎えました。

そして、その間に家族が増えることから安住の地を求め、間に入ってくださることになるお寺様に挨拶に参りましたらひと月もしないうちに知らせが入り、初めてこちらに来訪したその日に入寺することが決まりました。そして、翌年一月に入寺して、二年後に住職させていただき現在があります。それが二十年ほど前のことですから、礼拝して祈願してからそのときまでで十年もの歳月を要して祈願がかない、紆余曲折を経ながらも、自分にできること、したいことをさせてもらえる場所、そこには境内整備の山仕事も含めて相応しい役割を与えてくださったということになるのかと思います。祈願してすぐにはここに入る時期は熟しておらず、その間に様々な経験を経なければ、この場にいることはかなわず、絶妙な時期に、絶妙なるタイミングにより、奇跡の様にここに得難い場を用意して入れ込んでくださったとしか思えないのです。

仏様への祈願は、真に心より念じること、願い続けること、そして信じること。まったく願いに通じると思えないことでも一生懸命すること、いつか必ずかなうと確信して学び行じ続けることが大切ではないかと思えます。そしておぼろげながらも実現するイメージをもち続けることも大切でしょう。仏様が笑われるようなことを書いているのかもしれません。まったくそんな差配はしておらんと言われるかもしれません。ですが、私にはあの時にああして願ったことが、今こうして現実として表れていると三十年の時を経て、ふと気づかせていただいたということなのです。この気づきを仏様への感謝、関係する皆様への感謝をこめて、ここに備忘録として綴っておきたいと思います。

ですが、本当は私だけでなく、誰もがいま存在している不思議を生きているのかもしれません。



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松長有慶先生著 『訳注 弁顕密二教論』を読んで

2022年02月20日 17時20分38秒 | 仏教書探訪
【六大新報令和四年二月五日号掲載】
松長有慶先生著
『訳注 弁顕密二教論(べんけんみつにきようろん)』を読んで




松長有慶先生の新刊、訳注シリーズの最終巻となる『弁顕密二教論(以下『二教論』と略す)』(春秋社刊)を拝読させていただいた。表紙の帯に、『なぜ密教はすぐれているのか。法身説法(ほつしんせつぽう)を高らかに宣言した代表作!』とある。あとがきには、唐より自ら請来(しようらい)したすばらしい教えを一刻も早く日本宗教界に着実に伝えたいという大師の使命感に燃えた切実な思い、異常な熱気が漂う著作であるという。

『密教辞典』(法蔵館)には「真言宗の判教のうち横の判教を説く(竪の判教は十住心論)。専ら顕教(けんぎよう)と密教との区別を明瞭にした立宗宣言の書である。六経三論を典拠に挙げて縦横に論陣を張る。」とある。確かに一読してみると、多くが引用文献の叙述で埋められており、これまで読ませていただいた三部書に比べるとかなり難解に思われた。

しかし、これまでのシリーズ同様に冒頭「『二教論』の全体像」が説かれ、『二教論』とは何かを簡潔に知ることが出来る。『二教論』の主眼は、一つに法身説法の可否、二つ目に果分(かぶん)の説不、つまり覚りの境地を説きうるか否か。そして三つ目にきわめて簡略ながら即身成仏についてとある。本編も、これまで通り【要旨】に解説を添えられ、わかりやすい【現代表現】により難なく読んでいける。そして、【読み下し文】と丁寧な【用語釈】が続く。

本編は上下巻に分かれ、上巻は弘仁のごく初期に、下巻はやや遅れて撰述されたであろうという。

早速本編上巻を読み始めると、序論にて仏身を法身、応身(おうじん)、化身(けしん)の三身に分け、顕教と密教の違いについて説かれる。つまり、応身と化身の教えが顕教であり、法身仏の中でも自らの身から流出した眷属(けんぞく)に対し自らお覚りになった境地を説く自受用法身(じじゆゆうほつしん)の教えが密教であるとする。

本論では、まず問答があり、経典を読む人の見識素養によって内容の理解が違い、経の内容も聞き手によって異なるとして、顕教は相手に応じて説く仮の教えに過ぎないのに対し、密教は真実に言及した究極の教えである、と論を進めていく。

そして、先生が大師の教学に重要な地位を占めるとされる、大乗起信論(だいじようきしんろん)の注釈書『釈摩訶衍論(しやくまかえんろん)』による五重の問答が示される。これは本覚を具えた者がそれぞれ到達する覚りを五段階に説き、その五段階目を密教に配当し、それらの深浅を語るものではあるが、大師はこの五重の問答には甚だ深い意味があり、よくよく吟味し尽くし最終的な真理に到達すべきであると諭されている。何度も精読すべき箇所と言えよう。

次に、四家大乗と言われる華厳・天台・三論・法相(ほつそう)の各宗の教えにおいて、覚りの世界を表現することはできないとする経典論書の箇所を取り上げて、各宗ごとの果分不可説(かぶんふかせつ)を説明していかれる。それにより大師が各宗の覚りの本質をどう捉えていたか知ることができる。

たとえば華厳宗については、法蔵の『華厳五教章』を引用し、華厳の法界縁起の世界は因と縁が互いに関わり合い、あらゆる事象が永遠に自在に休みなく活動しているとするが、その世界は真理の世界(果分)と現実世界に分かれ、真理の世界について究竟果分(くきようかぶん)の国土海とか十仏の自体融義(じたいゆうぎ)などというが通常の言語文字では表現できない、つまり果分不可説であるとする。

天台宗についても、天台智顗(ちぎ)の『摩訶止観』を引用し、天台の教えの肝要は空・仮・中の三種の真理であり、一念の中にその三諦を悉く観じ取ることを極めつきの妙境とみなしているが、仏と仏との間だけが分かり合える境地で、どのような言葉でもってしても表現を超えているとしており、果分不可説であり、真言の立場からは入門の初期段階に過ぎないという。

それに対し、密教の果分可説について、先生は有力な典拠として下巻にある『分別聖位経(ふんべつしよういきよう)』をあげておられる。その部分を要約すると、「法身大日如来の自受用法身仏は、その心髄から無量の菩薩衆を流出し、これらの諸仏諸菩薩は他者に説くのではなく、自受法楽のためだけに、自ら覚った境地を説く」とあることから、自受用法身として覚りの境地を説く果分可説であるとせられる。

そして、上巻の最後に、即身成仏について述べられる。『菩提心論』の中に、顕教と密教の深浅、成仏の遅速、勝劣がすべて説かれているとして、真言の教えの中だけに秘密真言独自の瑜伽の体験内容が明らかにされていると述べる。

下巻は、まず、密教の勝れていることを『六波羅蜜経』と『楞伽経(りようがきよう)』を引用し論述していく。『六波羅蜜経』からは、三蔵に般若蔵、陀羅尼蔵を加えた五蔵について説く第一巻を引用され、五蔵を乳・酪・生蘇・熟蘇・醍醐の五種の味に譬え、陀羅尼門(密教)こそが微妙第一とされる醍醐の味に該当し、諸病を除き人々を心身安楽ならしむものとして経典類の中で最高であるとする。

そして、『分別聖位経』、『瑜祗経(ゆぎきよう)』、『五秘密経』、『大日経』、『大智度論』などを典拠とされ法身説法とは何かを論じていく。その中には様々な示唆に富む文言が綴られ多くの傍線を引くことになった。

それらの引用文中に、不読段が三ヶ所ある。それは中世の事相家によって自己の流派の伝承を尊重し秘伝を重んじる影響と説明されるが、先生は本来日本に初めて請来した密教を朝野に広く認識されるために撰述された本書の中に、読まれては困る箇所がいくつもあるのは矛盾するとされて、すべてを他と同様に解説されている。

筆者には、その不読段部分に、日々の実践において参考になる内容が多く含まれるように思われた。そうした内容を、わかりやすい【現代表現】によって読めるのも誠に得がたいことである。例えば『五秘密儀軌(ごひみつぎき)』に「阿闍梨は普賢の覚りの境地に住して弟子の心中に金剛薩埵を引き入れると、弟子は阿闍梨の不思議な力によって密教の核心を身につけ、弟子の自我に執着する生まれつき持つ種子(しゆじ)を根本的に変えてしまう(要約)」と記されている。灌頂の儀礼にあたってとはあるが、日頃から心掛けていたい内容に思えた。

また、『瑜祗経』の説く法身説法において、その引用文中に「(法身とは)五智の光明は常に過現未の三世に及び、暫くの間も休むことなく衆生教化に努める平等の智身である。・・・智とは心の働きで、身とは心の本体。平等とはそれらが宇宙全体に遍満することである」、また『大智度論』には「仏に二種の身がある。一つは法性の身、二つには現実の父母より生まれた身である。初めの法性、すなわち真理そのものを身とする仏は、常に光明を放ち常に説法されている。衆生の心が清らかな時には仏が見え、心が清らかでない時には仏が見えない(抄録)」という記述がある。お釈迦様は覚りえた真理である縁起の法は自らの出世にかかわらず永遠に存するといわれたが、つまりは三世に及ぶ真理そのものである法身の説法からすべての教えは転じられているということであろうか。そして、今この瞬間にも時空に遍満する法身の、その光と声を感じとるためにも心清らかにありたいものである。

大師の教学が私たちの日常の信仰や教化、また自らの人生に意味あるものとしてどう捉えられているか。寺院を支え、檀信徒を導く上で、それはどういう働きとなっているか。そこに意味を見出せぬなら何の価値もないものとなる。どう大師教学をいかに今の時代に活かせるかが私たちの仕事であろう。

この『二教論』が、現実に私たちの力となるには何をどのように読み取るべきか。急激に変化する時代への対応、社会的問題への取り組み、地方の再生・活性化、災害や環境問題などについて考えるにあたり、どの宗派寺院も宗派色より協調、融和、共同を重視する傾向にあると言えようか。そうした時代だからこそ、密教としての真言宗はその独特なる発想が求められているのではないか。思想の原点にある違いを改めて学び直すことはそういう観点からも意味あることに思われた。

今年九十四歳になられる松長先生が、高野山大学の密教文化研究所において大学の先生方と祖典研究会を開いて、七年間も講読を続けてこられたという。その五冊目の成果が本書である。是非御一読をお勧めしたい。


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慈しみの修習

2022年02月16日 08時52分10秒 | 仏教に関する様々なお話
先月1/10投稿した「四無量心と十善に生きる」の四無量心について、
具体的な修し方について述べていませんでした。

慈悲喜捨の心を
まずは自分に向けて、幸せでありますように、悩み苦しみがなくなりますように、
          願い事がかなえられますように、さとりの光が現れますようにと念じます。
それから周りの身近な人たちが、幸せでありますように、悩み苦しみがなくなりますように、
          願い事がかなえられますように、さとりの光が現れますように、
          と身近な人たち一人ひとりの顔や姿を思い浮かべながら念じます。
そして、生きとし生けるものが、幸せでありますように、悩み苦しみがなくなりますように、
          願い事がかなえられますように、さとりの光が現れますように、
          とこの町の、この市の、この県の、この国の、世界の人々、さらには動物も昆虫も、
地中のものも空中のものも、餓鬼も天界の神々も幸せでありますようにと念じます。
そして、自分を嫌っている人も私が嫌いな人も幸せでありますようにと念じます。

下に記す慈しみの修習は南方の仏教徒たちが唱えている慈悲の瞑想についてのパーリ語『メッタバァーワナー』の和訳です。
お読みいただき慈悲喜捨の瞑想の参考にしてください。





慈しみの修習
(メッタ・バァーワナー)




和訳:
 私は恨みのないものであります。
 怒りなきものであります。
 惑うことなきものであります。
 幸あるものは、自分を守護す。

 この私のごとく、私の師、和尚、母、父、味方も、見知らぬものも、
 恨みあるものも、
 恨みなきものであれ。
 怒りなきものであれ。
 惑うことなきものであれ。
 幸あるものたちよ、自分たちを守護せよ。
 苦しみがなくなりますように。
 自らなした業の、身に得たるものを手放すなかれ。

 この精舎における、この近くの村における、この町における、
 この国における、この閻浮堤における、この鉄囲山の境界内に住する
 自在天、神々、人々、すべての衆生は、
 恨みなきものであれ。
 怒りなきものであれ。
 惑うことなきものであれ。
 幸あるものたちよ、自分たちを守護せよ。
 苦しみがなくなりますように。
 自らなした業の、身に得たるものを手放すなかれ。

 東、南、西、北、北東、南東、南西、北西、地下、上空の
 すべての方角の、すべての衆生、息をするもの、生き物、
 食により生きるもの、体を持つもの、女性、男性、聖なるもの、
 汚れたもの、神、ひと、人でないもの、地獄にあるものも、
 すべてのものたちが、
 恨みなきものであれ。
 怒りなきものであれ。
 惑うことなきものであれ。
 幸あるものたちよ、自分たちを守護せよ。
 苦しみがなくなりますように。
 自らなした業の、身に得たるものを手放すなかれ。

 東の方角にあられて大神変を現す寂静の神々よ、我らを守護せよ。無病であれ、幸あれと。
 南の方角にあられて大神変を現す寂静の神々よ、我らを守護せよ。無病であれ、幸あれと。
 西の方角にあられて大神変を現す寂静の神々よ、我らを守護せよ。無病であれ、幸あれと。
 北の方角にあられて大神変を現す寂静の神々よ、我らを守護せよ。無病であれ、幸あれと。
 東方に持国天、南方に増長天、
 西方に広目天、北方に多聞天。
 彼ら、名声ある世界の守護者四天王よ
 我らを守護せよ。無病であれ、幸あれと。


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