住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
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備後國分寺だより 第67号(令和6年3月31日発行)

2024年07月18日 07時07分34秒 | 備後國分寺だより
備後國分寺だより 第67号(令和6年3月31日発行



 祝・本尊御開帳

平成六年、本堂再建三百年祭を先代和尚が挙行され、その際に本尊御開帳してからはや三十年が過ぎました。

いつの頃からか、前回の法縁に見えることの出来なかった方々から、次の御開帳はいつですかと幾度となく問われてまいりました。
そこで、令和六年のお涅槃が前回御開帳から三十年の節目となることから、昨年の総代会にて協議の上、御開帳することと致しました。

平成六年四月三日、先代和尚は、御詠歌衆と稚児に先導されて本堂に入られ、神辺結衆御寺院様方と土砂加持法会を営まれた際に、『本堂再建三百年記念光明真言加持土砂噠嚫(たっしん)文』として、以下のように述べられています。

「・・・伏(ふし)て惟(おもん)みるに当山は天平の昔、聖武天皇の勅願に依って建立され、備後一円の平和と発展を祈願す。下りて天文年間の戦火、延宝元年の水害と二度に亘る災害に遭い堂宇荒廃すと雖(いえど)も、其(そ)の都度(つど)領主、諸人の発願に依って再建せらる。

今の本堂は元禄七年快範上人の発願に依り領主水野勝種公の援助と備後一円の善男善女の寄進に依り再建され今日に至る。其の間幕末、明治維新及び太平洋戦争敗戦という大変動に遇うも法灯絶やす事無く人々の信仰を集め来(きた)る。

今日三百年を迎え檀信徒各位の協力により、位牌堂を建て替え、本堂内の仏具の修理、畳替えを終え堂内の荘厳倍増せり。

茲(ここ)に有縁の聖衆を屈摂(くつしよう)じて加持土砂の法筵(ほうえん)を開き、歴代尊霊並びに檀信徒各家先祖各霊の追福菩提を祈る。本尊藥師如来、三世の諸仏諸菩薩、大慈を垂れ亡者を摂受(しょうじゅ)して安楽浄土に引摂(いんじよう)し玉わんことを。・・・」

このように先代和尚がお読みになられたように、前回は本堂再建三百年祭ということもあり、堂内中央の大壇の漆の塗り替え、仏具、霊具膳など様々なものが修繕ないし新調され、真新しい設えのもと法会が執り行われました。お陰様で三十年経ちましても十分きれいなものばかりではありますが、この度は客殿の畳、仏像が置かれた壇の水引、本堂前の鰐口の紐などのみ新調いたしました。

皆様ご存知の通り、六年前の平成三十年のお涅槃では、上田修三仏師のもと仁王像の文化財保存修理が行われたわけですが、その頃より文化財としての國分寺の堂宇尊像に関心が向けられてまいりました。

そうした中、御開帳に併せるかのように、はからずも、令和三年、福山市文化観光振興部文化振興課(榊拓敏次長)の皆様による美術工芸品実態調査として十月二十九日、十一月二十二日の二日に亘り、本堂客殿大師堂の、主に仏像の調査が行われました。

日本美術史の立場から調査指導のためお越しになられた徳島文理大学濱田(はまだ)宣(あきら)教授の御指導の下、本堂内に仮設のスタジオが設けられ、全ての仏像が撮影されました。

いくつもの角度から撮影されたことから当初一日の予定でしたが二日に亘ることとなり、日本文化史の分野からの調査指導として福山大学柳川真由美准教授、また福山城博物館の皿海弘樹学芸員、文化振興課職員の皆様、七、八名の方々により、ひとつ一つの仏像を下におろし、丁寧にホコリを拭い、縦横像高を計り写真に撮っていかれました。

勿論この調査は市内に所在する全ての寺院神社が対象であり、令和三年から六年間を目途に実施されるものではあるのですが、現國分寺の文化財としての価値来歴をあきらかにする意味で誠に有り難いことでありました。

この度調査撮影された仏像の中からそのごく一部ではありますが、主な仏像を抽出し、特別に濱田教授が仏像それぞれに解説を附して下さり、『備後國分寺仏像図鑑』として、お涅槃の記念品として編集いたしましたのでご覧頂きたいと思います。

なお、今回のお涅槃における本尊御開帳法会での『慶讃文(けいさんもん)』は以下の通りです。

「謹み敬って真言教主大日如来両部界会諸尊聖衆。殊には、本尊藥師如来、日光月光、十二神将。総じては仏眼所照一切三宝の境界に申して言さく。

夫れ、藥師如来と者(いつぱ)、東方浄瑠璃世界に住して、いかなる有情(うじょう)にも一経其耳(いっきょうごに)の少縁、衆病悉除(しゅびょうしつじょ)の功(こう)ありと説き給えり。されど遡(さかのぼ)るに医王善逝(いおうぜんぜい)と別称せられ、良医に喩えられし釈尊と同体にして、迷悟の因果を明らかにして有情の悩苦を化益(けやく)する大悲心を薬師如来と言えり。

延宝元年、水害により廃滅したる堂宇を、中興一世快範上人晋山して、福山城主水野勝種侯大檀那となりて復興なし給えり。ここに開帳せし如来は、再建せられたる本堂の本尊として、日光月光十二神将と共に、元禄五年京仏師林右近(はやしうこん)氏により彫成されたる尊像なり。

先代和尚、平成六年本堂再建三百年祭を挙行して御開帳以来、三十年の年月、瞬刻に過ぎ、本日吉辰(きっしん)を卜(ぼく)し、神辺結衆諸大徳並びに有縁の名刹諸大徳に光臨賜り、稚児の先導を受け、当山檀信徒の総意を以て、本尊御開帳の法筵(ほうえん)を布(し)き奉(たてまつ)る。

本尊薬師如来、実に三百三十年の長きに亘り信徒の安寧と仏行の成満のために数多の参詣人を守護し来たる。当山檀信徒並びに今日参詣善男善女人、その恩恵に報いて厚く信仰の誠をここに捧げん。

仰ぎ願わくは、本尊薬師如来、法会所設の六種の妙供を哀愍納受(あいみんのうじゅ)して威光倍増し、広大慈悲の願望(がんもう)改むることなく、檀信徒各各の惑悩を平癒し、永く快楽(けらく)を与え給え。加えて、天童子(てんどうじ)に擬したる稚児らの健やかな成長と無病息災を祈るものなり。

重ねて乞う、
備之後州 國分精舎 伽藍安穏 
護持檀信 万邦協和 利益衆生 
今日参詣 随喜諸人 家門繁栄 
子孫長久 除災招福 如意円満
乃至法界 平等利益
干時令和六年三月三一日
 唐尾山國分寺中興十四世全雄敬白」

この度は三十年ぶりの御開帳ということもあり、平成十四年の現住晋山式にお招きした倉敷宝嶋寺(ほうとうじ)の釈子哲定僧正、総社西明寺(さいみょうじ)大畑哲俊僧正、東京西早稲田放生寺(ほうしょうじ)五島隆章僧正にも遠路遙々ご来駕(らいが)賜り、神辺結衆の御寺院様方とともに親しく法会にご参加いただきました。厚く御礼申し上げます。

お涅槃にあたり、この度も檀家各家には出費ご多端の折にもかかわらず涅槃会寄付を賜り、お陰様で本堂東側に昇降スロープ建設、大師堂再建、さらにはこうして本尊御開帳しての大法会を挙行することができました。ここに心よりお慶びと御礼を申し上げます。ありがとうございました。合掌       住持全雄
 

六大新報令和五年一月二十五日号掲載
薬師真言小呪の解釈について 


これは長年の難問でありました。薬師如来の真言(小呪)は意味不明であり、なぜ仏様の前でこの真言を唱え拝むのか、理解できなかったからです。お薬師様の真言とされるこの「オン・コロコロ・センダリマトウギ・ソワカ」は、いろいろな訳し方をされます。「仏様よ、早く人々の願いを成就したまえ」「帰依し奉る、病魔を除きたまえ払いたまえ、センダリやマトーギの福の神を動かしたまえ、薬師仏よ」「速疾に速疾に暴悪の相を有せるものよ、降伏の相に住せる象王よ、わが心病を除きたまえ、成就あらしめよ」などさまざまです。

御存じの通り、薬師真言として、以下の三種があります。
 小呪「オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」
 中呪「オン バイセイゼイ バイセイゼイ バイセイジャ サンボリギャテイ ソワカ」
 大呪「ノウボウ バギャバテイ バイセイジャ クロバイチョリヤ ハラバアランジャヤ タタ ギャタヤ アラカテイ サンミャク          サンボダヤ タニャタ オンバイセイゼイバイセイゼイ バイセイジャ サンボリギャテイ ソワカ」

早速これら真言の意味について、手元の『真言事典』(八田幸雄著・平河出版刊)を参考に紐解いてみますと。小呪については、訳として「帰命、普き諸仏に。オーム、フルフル(欣快なるかな)、チャンダリ・マータンギ鬼女よ、スヴァーハー」とあり、これは解説に、不空訳『仏頂尊勝陀羅尼念誦儀軌(ぎき)法』の無能勝(むのうしよう)真言では、nama samanta-buddhānāmuを冠す、とあることから、冒頭に「帰命普き諸仏に」と挿入されています。

では、チャンダリとは何かといえば、candāliは『梵和大辞典(山喜房仏書林)』に、旃陀羅(せんだら)家女とあり、candālaは、社会の最下層の人(シュードラの男とブラフマナの女との間に生まれた混血種姓にして一般に蔑視し嫌悪せられる)とあります。漢訳では、屠種(としゆ)、下賤種、執暴悪人など。また、現代ヒンディー語でチャンダーラと言えば、不可触の一種姓を意味します。

また、マータンギは、mātangaを『梵和大辞典』で引けば、象、または象たる主な最上の者とはありますが、最下級の種姓の人[candāla]ともあり、漢訳ではやはり下賤種、旃陀羅摩登伽種となります。いずれにせよ、チャンダリとマータンギは、インド社会の中で最も虐げられた下層の人々を指すと考えられます。

なお、スヴァーハーは、svāhāを『梵和大辞典』で引けば、「幸あれ、祝福あれ」とあり、現代ヒンディー語では、供儀の際に発する言葉として「(神に)捧げ奉る」と訳すようです。

また、中呪は大呪をつづめたものに他ならないので、大呪の意味を確認してみますと、『真言事典』の大呪の訳には、「帰命し奉る、世尊薬師瑠璃光如来、阿羅漢、等正覚に。オーム、医薬尊よ、医薬尊よ、医薬来生尊よ。スヴァーハー」とあります。

もとより調べをしてみればこのような意味合いとなることを存じておりましたので、冒頭にあげた小呪の訳し方を、どのように受け入れたらよいか解らなかったのでした。

しかし二年前のことにはなりますが、本尊薬師如来の供養法を修法していて、入我我入観から正念誦にうつる時、お薬師様の願いはと心を向けた瞬間に、これまでの疑念が一瞬にして溶解しました。

その時、頭にひらめいたのは、これは薬師如来の心の底から起こってくる願い、誓願であって、社会の最下層の人々、虐げられて痛ましいチャンダリマータンギの人々こそ救われて欲しい、その人たちが救われるならば、すべての者たちもより良くあるはずである、そしてすべてのものたちの悩み苦しみがなくなり、生きとし生けるものたちが幸せであって欲しいというお薬師様の願いを最も短い言葉で表現したものに違いないと思えたのです。

その後、そのようなことをある方と話しておりましたら、「いやいやセンダリマトウギは、そういう意味ではあるけれども、転じて仏教を外護する役割をもつようになったんだよ」とご指導いただきました。勿論、だからこそ冒頭にも述べたこの真言の訳し方の事例にあるように「センダリやマトウギの福の神」にもなるし、「降伏の相に住せる象王」という表現にもなるのでしょう。がしかし、はたしてそのような解釈でよいのであろうかということなのです。

そこで、さらに調べを進めておりましたところ、『梵字悉曇(ぼんじしつたん)(田久保周誉著・平河出版社)』三・梵字真言集二一五頁に、薬師如来真言を「唵 喜ばしきことよ。旃蛇利・摩登祗女神は(守護したまえり)」と訳された上で、?マークが付加されていました。解説には、「この真言は『薬師如来観行儀軌法』等に見える薬師如来の小呪である。呼鑪呼鑪(ころころ)は歓喜の間投詞である。戦駄利(旃蛇梨正しくはcandali)は古代インド社会階級のうち、最下層に属する卑族旃陀羅の女性名詞、摩蹬祗(まとうぎ)はその別名であり、悪徳者と見做されていたが、仏の教化によって衆生の守護者に転じたと伝えられる女神である。・・・この真言に薬師如来の尊名がなく、鬼女神の名のみを挙げてあるのは、薬師如来の生死の煩悩を除く本願力を、鬼女神擁護の伝説に喩説したものであろう」とあります。

このように、仏の教化によってチャンダリ・マータンギ鬼女が衆生の守護者に転じたとあるのですが、ですが、だからといって、なぜ教化せしめた側がその者の名前をわざわざ真言の中に、それも、その者の名前だけを入れ込まねばならないのかが問われねばならないでしょう。

この真言(小呪)の出典とある『薬師如来観行儀軌法(かんぎょうぎきほう)』は八世紀初めに金剛智により漢訳されています。密教的要素が多分に含まれるとされる『薬師如来本願功徳経』など薬師経は、五世紀頃中国で漢訳されていますが、薬師経には大呪は説かれますが、小呪は説かれていません。それよりも一世紀ほど早い三世紀末成立とされる雑密経典に『摩登伽経』があり、これが『梵字悉曇』に説かれている卑族旃陀羅教化の出典であろうと思われます。

『大正新修大蔵経』からの引用と思われる『佛弟子傳(山邊修学著・無我山房刊)』五一二頁よりその和訳された内容を要約してみますと。

「お釈迦様の侍者であったアーナンダが旃陀羅種のマータンギの娘から水を飲ませてもらったことに起因して、その娘がアーナンダに恋慕の情を募らせます。そこで、その呪師である母親は、娘の願いをかなえるために、牛糞を塗って壇を築き護摩を焚いて呪を唱えながら蓮華を百八枚投じる呪術をおこなうと、アーナンダはこころ迷乱してその家に誘導されて行きます。天眼をもってそのことを知ったお釈迦様は「戒の池、清らにして衆生の煩悩を洗ふ。智者この池に入らば無明(むみょう)の闇消えむ。まこと此の流れに入りし我ならば禍を弟子は逃れむ」と偈文を唱えてアーナンダを救います。

しかしその後も、娘のアーナンダに対する恋慕は止むことなく、町に出たアーナンダの歩く後ろに付き従い祇園精舎にまで足を踏み入れてしまいます。それを知ったアーナンダはその恥ずかしさ浅ましさから、そのことをお釈迦様に申し上げます。すると、お釈迦様は娘を呼び、アーナンダの妻になるには出家せねばならぬと語り、父母に了解をとらせてから髪を剃り出家せしめます。そして、「娘よ、色欲は火のように自分を焼き、人を焼く。愚痴の凡夫は、灯に寄る蛾のように炎の中に身を投げんとする。智者はこれと違い色欲を遠ざけて静かな楽しみを味わう。・・・」などと様々に教化されました。すると、白衣が色に染まるように娘の心の垢が去って清涼の池に蘇り、遂に悟りを開いて比丘尼となったということです。」

こうした話が仏典にあり、またこれより後には、呪術をつかさどる力あるものとして伝承されたためか、ヒンドゥー教ではいつの時代からかチャンダリマータンギは女神としての尊格を与えられてまいります。そして、最下層の人々が礼拝していたとされるマータンギー女神となり、穢れを嫌わぬ禁忌のない音楽芸術をつかさどる神としてダス・マハーヴィディヤー(十人の偉大な知識の女神)の一尊としても尊崇されているようです。

しかしだからといって、薬師如来の真言に、その女神の名が用いられたとするのはいかがなものであろうかと思うのです。ましてや、その神としての力を念じて、その力によって人々の病魔を除き給え、心病を除き給えと念じるというのは、仏教徒として肯定し得ない解釈とは言えないでしょうか。教化した仏が教え諭した者の名前を唱えて、そのヒンドゥーの女神の呪力によって人々の願いを叶えるなどという解釈はあり得ないことであろうと思います。

私がこのように解するのは薬師如来はお釈迦様と本来同体と考えるからです。『密教辞典(佐和隆研編・法蔵館)』六八〇頁[薬師如来]の項に、「医王善逝などの名は本来は釈迦牟尼の別称で、世間の良医に喩えて釈迦が迷悟の因果を明確にして有情の悩苦を化益する意であるが、釈迦の救済活動面を具体的に表現した如来である。世間・出世間に通じる妙薬を与える。」とあります。また、「釈迦如来と同体説:薬師の真言が無能勝明王の真言に同じである。同明王は釈迦の化身であ」る、などと記されています。

そこで、小呪が薬師の真言とされるのはずっと後のこととはいえ、薬師如来というよりも医王、釈迦仏一尊から諸仏が発生する原初の仏として、お薬師様を捉えて考えてみてはいかがであろうかと思うのです。

そこで、この「オン・コロコロ・センダリマトウギ・ソワカ」をあらためていかに解すべきかと考えるならば、「オーン、フルフルと速疾に、社会の中で最下層のセンダリ・マトウギたちに、幸あらんことを、(そしてすべての生き物たちが苦悩なく幸福であらんことを)」との意味から、お薬師様の誓願として、次のように意訳してみたいと思います。「すみやかに最下層にある者たちが救われ、すべての生きとし生けるものたちがもろともに痛みなく、悩みなく、苦しみなく、しあわせであらんことを」と。

お釈迦様は、何の躊躇もなく、まさに世間では卑しいとされ蔑まれていた旃陀羅種のマータンギの娘を教化されました。その教化せんとされた思いは、四姓の別なくすべてのものたちがよくあってほしい、救われてほしいと願われる慈悲の心から生じたものでありましょう。心身の病による苦は癒やされ、安楽なることを願う、一切の衆生に利益を与えんとされる医王であるお釈迦様の心、それこそがお薬師様であります。その心に随喜してともに念じさせていただくのだと思って、この真言をお唱えしたいと思うのです。

もちろんこれが正解というようなものではございません。このような解釈のもとに唱えることが私にとり一番素直な気持ちでお唱えできるというに過ぎません。皆様からの忌憚のないご教示を賜りたいと存じます。

(尚本稿は本誌令和二年四月号に掲載した「藥師如来の真言はなぜオンコロコロなのか」を修正補足したものです)


十善会蔵版 明治二十八年四月十五日
雲照和上の御講演(東京三浦家にて) 現代語訳横山全雄

 『十善の法話』 上

 
さて、十善(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見)とは、人の人たる道であり、一切万善の根本道徳の標準であります。仮にも人の道徳の標準であるならば、世界のどこにあっても修めなくてはならないものです。富める人はますます修すべきであり、貧しい人もますます行わなければならない生き方であります。ですが、この十善は自然に表れる徳であり、この世の真理が顕われるものであるので、ことさら仏教の十善ということではありません。仮にも人として生まれ人としてあるからには、この十善に依らねばならないのです。

君主に仕えて忠誠を尽そうとする者、父母に仕えて孝をなそうとする者、官僚となりて人々を指導する者、教師となって生徒を教育する者、上は天皇陛下をはじめ、下は一般市民に至るまで、等しく行わねばならないものはただこの十善のみなのです。ですからこの十善を他にして忠も孝も願っても決して得られるものではないのです。

私が以前京都から東京に来るときに、船中で津田何某という人があり、私に、自分は幼少の頃西洋に行き数年過ごしたことがあり、外国の言葉などに不自由はないが、自分の国のことを知らないのです。あちらにある時友人が私に、日本の宗教の教えはどのようなものかと問われましたが、答えられず赤面したようなことなのです。今仏教を学ぼうとするなら何宗によるなら仏教の大意を知ることができるでしょうかと。

私は答えるに、いま諸宗の中の何宗を学んでも仏教の大意、そのおおよそのことを知ることはできないでしょう。どうしてかと言えば、例えばここに樹木あって、東にある枝は枝葉が東を向いて西には向かわず、西にある枝は枝葉がみな西に向かって東には向いていません。南北の枝葉もまた皆同様です。もしも人がその枝葉に、その樹木の方向を問うならば、東の枝はこの木は東の方向に向かっていて西には向かわないと言うでしょう。西の枝はこの木は西の方向に向かっていて東には向かわないと言うでしょう。南北の枝もまた同じように言うことでしょう。

一日中このことを尋ねていても結局樹木の方向を知ることはできません。ですが、もしもその枝葉を捨てて、その根幹について見てみるならば木の中心は上に立ち上がり空に向かっている様が見えてきます。すると東に出る枝もあり、西に向いている枝もあることがわかります。あるいは、南北に出ている枝もあります。しかも東西南北の各々向かう方向は異なりますが、その幹は一つであって、背いて離れることもないことが知られるのです。もしもその根本を捨てて、むだに枝葉について見るならば東西南北それぞれ誤り、ついにその樹木の全体を知ることはできないでしょう。

このことと同様に、もしも仏教の根本を知らないのに、たとえ八宗九宗を研究しても、ついに仏教のおおよそのことを知ることはできません。どうしてかと言えば、甲という宗派は念仏によらなければ成仏することはできないとして、題目など唱えてはいけない、唱えれば妨げとなる行となって往生できなくなると。乙なる宗派はいや題目でなければ成仏しない、念仏すれば題目を唱える功徳が消えてしまうと。

丙なる宗派は念仏を唱えたり題目を唱えたりというのはこれはみな顕教の説くところであって、今生で成仏する教えではないのです。ひたすら真言を唱えなさいと。あるいは、念仏も題目も真言もみなだめであると、本当の自分の、心の中の仏心を見つめそれになりきることこそ、この道の真実であるといい、ただ黙して坐りなさいと。つまり甲のよしとすることは乙が否定し、乙の正しいとすることを丙は正しくないとする。一日中八宗を探し九宗の門を叩くとも、ついに仏教の何たるかを知ることができないばかりか、疑念を抱いて、かえって学ばない方がよかったということになるでしょう。

では、いかにしたらよいのでしょうか。それは、ただその根本を求めればよいのであります。もしもその根本のところがわかるならば、枝葉はおのずから明らかになり、天台を学ぶもよし、そうすれば天台の教えから仏教の本来のあり方がわかることでしょう。あるいは禅や浄土の教えを学ぶのもよいでしょう。禅浄土の教えから仏教の本来がわかるというものです。さらに、甲の言うことも乙の言うことも、それぞれの主旨がわかり互いに妨げるものでもなく、甲をまっとうすることも仏教、乙をまっとうすることも仏教であるとわかります。あたかも東の枝もあって、西の枝もあることで同じ一樹木であるようなものです。つまりそれは他でもなく、仏教の根本のおおよそを了解することです。

その根本とは何かといえば、十善十悪因果応報の真理のことであります。お釈迦様が三大阿僧祇(あそうぎ)と言われる果てしない時間の間修行してこられたのもこの真理を研究し体得するためだったのです。五十年余りの説法である八万四千の法門もこの真理をおし広げて説明し、展開したものであって、この天地世界に起こる様々な出来事、苦も楽も、窮することも達成されることも、各々その違いが起こる所以(ゆえん)、広く十方世界にわたり様々に異なる理由を探求するとき、この真理に依らなければ到底知りえないのであります。

まさにこの原因結果という言葉は今日世間において、いたるところで語られないことはないでしょう。ですが、世の人々が言うところはただ目の前の原因結果だけを言うのであって、過去や未来に及ぶものではなく、ただ自分一人に現れ見る、この一生のことに過ぎません。ですが、この目の前の一生のことですら、原因と結果と符合しないこともあります。言い換えると、豆の実を蒔いて麦を収穫したり、麦の種を蒔いて米を収穫するというような不思議なことです。

どのようなことかといえば現実に、生涯務めて汗を流し困苦しても、十分に飲み食いもできず着るものも満足でない者があります。また日夜学業に励み人の倍もの努力をしてもその結果は平均程度にしかならない者があります。あるいは、怠慢であるにもかかわらず博識の者があり、遊び惚けているのに生涯余りある衣食にあずかり困る事のない者があります。

こうした事柄は世の中には現実に少ないことではありません。これすなわち、原因と結果と相反するものがあるということです。もし世間で実に勉強する者がことごとく学者となり、仕事もせずにブラブラしているものがみな困窮するのであれば、すなわち世の中の人が言うような一生の間に眼に見ることのできる程度の原因結果で事足りることでしょう。ですが、この世の中のことは決してそのようにはならないことはみな人の知るところです。

またたとえ勉強して博学者となったとしても、その勉強して博学となることの原因は何から来たのかと問うならば人は答えることができないでしょう。どうしてかといえば、もしも父母が元手を出し身体も健康で、またもとから利発であり、精神的にもしっかりして勉強することができるとしても、その精神や幸福がどういう原因から来たのかと、そのよってきたるところを尋ねる時は、必ず何の原因をもってこの精神を受けることができたのかと問わねばならず、ついに五里霧中に茫然とならざるを得ないでしょう。これは人が浅き知恵でもって目に見ているこの一生のことの他に過去も未来もあることを知らないが故の狭い考えから出た根拠のない思い込みであって、人は死後我は断絶して無に帰するとする断見(だんけん)、あるいは、世界は永遠で自我も死後まで不滅であると執着する常見(じようけん)に惑わされているからであります。

ですから、ここに仏世尊があり、この迷える者を憐れみ大覚の悟りを開いて、私たちのために迷い転じて開悟して妙なる教えを説きあらわされたのです。この生死の冥暗の中において燎然たる火を観るがごとくあるものは、ただこの三世因果善悪応報の真理のみなのです。もし今この三世因果の真理によって世間を照見するならば、その勉強してもそれでも貧困をもたらすかのように見える者は、これは勉強が原因で貧困の結果をもたらしたのではなく、過去世における人を困らせ苦しめた原因が今日に結果を顕して貧困を受けているのです。いわゆる貧困の原因とは財を貪り、施さず、かえって他人の財をかすめ取り他を苦しめる所業(しよぎよう)が今日に結果して自分の困苦となっているのです。

またこれに反して、生まれながら聡明で利発で活発な人は前世において学を修め知恵を磨き徳を積んで慈善に努めた結果が今日に現れ、慈悲深い父母に愛され教育を受けて生来の智力をもってますます増進発達する結果となるのです。こうして見てみると、たとえ勉強して今世についにその好結果が顕われなくとも、その勉強の功徳は無駄になることはなく、現世にその結果を得られなくても未来において必ずその結果を得ることができるのです。

またこれに反して、仕事もせずブラブラしている者が生涯困苦を感じることなく生きられるというのも、遊び惚けていることが原因で安楽を得ているのではなく、その安楽を得ている原因は過去世において他人に慈善を施し人に安楽を与えた原因が今日に結果して困苦を感じない一生を過ごせているにすぎないのです。ですが、いま遊び惚けていて善行に励むことがなければ必ず未来に困苦することは疑うべくもない真理の当然の結果であります。今仕事も満足にせず遊び惚(ほう)けて困苦を感じないからと自ら奢り努力しない時は未来に必ず激しい苦しみを感じ安楽な日がなくなることでしょう。

このように広く三世にわたる原因結果を見ていくと一事一物として疑うべき事柄もなくなり善因善果悪因悪報の法則明らかとなり判断に苦しむようなこともないのです。これすなわち大聖世尊が三大阿僧祇劫(あそうぎこう)の修行によって、あらゆる現象が具えている真実不変の本性である深い真理をご覧になり、その至らぬところがなき智慧によって達観なされたものであるが故なのであります。

ですから、心から道徳というものを志そうとする者は深くこの意をくんで、篤く因果を信じて勉めて十善を行じ、また人にも善悪因果の真理を信じて十善を行うように勧めるべきなのです。もしこのようになる時は、天下に正しく道徳がゆきわたり行われないところがなくなるでしょう。これは真に正しき道徳であり、人の人たる道というべきものです。もしもこれに反する人は、果てしないこの世とはいえ身を置く場を失うことでしょう。だから疾く勉めるべきなのです。

私はかつて新潟県に行ったとき、壁に大きな字で書かれた書軸が掛けられていたことがあります。これは五歳の子供が書いたもので、その運筆が見事で筆勢は力があり、実に大人の書家にも及ばないほどで驚いたことがあります。五歳といっても満三年の子供で、その運筆を習うと言ってもまだ一年足らずとのことでした。しかしその書は大人の書家の数年もの刻苦も及ばないほどで、私の見るところ、世の人のいわゆる原因結果をもって論じるならば、この訳が判ろうはずもないのです。

ですが、今私の因果応報の真理をもって見るならば、決して怪しむべきことではなく、その生まれながらに書をよくする人は、いわゆる前生において、かつて書芸に勉めた原因が報いて今日の身に顕れたということでしょう。この理によってこれを見るに、今わが国の四千万の人々が、その苦を味わえるものと楽を味わえるもの、困窮せるものと栄達せるもの、賢こきものとそうでないもの、才能あるものとなきものと、各々四千万種に分かれる様相は、その原因にそれぞれ違いがあるからなのであります。

一切のこの世のことは、一事一物として同じものがないのは、この原因がみな様々だからなのです。だからその結果であるものごとはみなそれぞれに異なるのです。ですから、かの他宗教が一切の万物をもって一神の所造とするようなことは大いにこの真理に反するものであって、奇観を呈するものといえましょう。

今喩えをもってこれを示してみると、ここに金平糖を製造する器械があるとして、一つの銅の鍋の中に一度につくるとその数は百千万粒とはいえ、みな同質同形でその甘味もまた同じになります。決して大小長短はありません。このように百千万粒がこのように皆同じようになるのは他でもなく、その原因である製造する人も、器械も砂糖などの材料もみな同一のものをもってつくるからです。この百千万粒の原因がみな同じだからその結果においてもまた同質同形同一となり大小長短がないのです。もとより原因結果の天則であり、疑うべきことではありません。

ですから、かの天主は何をもって同一の神が同一の人種同一の天地空気世界をもって製造しながら、同一の人間をつくることができず、千万無量に差別されるのでしょうか。今一歩譲って、同一の日本人にあっては、同一の人種であるのでまさかその身の丈一丈六尺などということなく、ただ五六尺と大差なくよしとするとしても、そのこころ性質はみな少しも似通っているということはありません。その心のはなはだ甘いものがあれば辛いものもあり、はなはだにがいものも、渋いものも固いものもあります。薬となるものがあり、毒を含むものもあり、はなはだしいものは日本人にして日本人ではないようなものもあります。

どうしてこのような違いが生じるのでしょうか。一つの器械の中で一度につくる金平糖が辛かったり、苦かったり、あるいは毒気を含むものがあればそれはまた奇妙なものといえましょう。物理に適さないこととはこうしたことでしょう。ですから、いまこの因果応報の真理、原因結果の天則をもってこれらを見ていくならば晴天に太陽を望むがごとく、まことに明瞭なことなのです。

このように深く因果応報の真理をあきらかなものと認識したならば、たとえ人が十善は行わないと言っても行わざるを得ず、十悪をなそうと努力したとしてもできないものなのです。ですからつまり善なることにはたとえ少しでも喜び励んで務め、悪いことにはわずかなことでも恐れて避けるべきなのです。このように了解したならば、この応報の真理ほど愉快に喜ばしいものはないのです。さすればこのことを父母親族はもちろんのこと、一郡一国に及ぼして、この世のすべての人たちにこの真理に安住してもらうように勉めるべきであり、それは教主釈尊の説かれた自利利他の善行による最も大事な因縁の教えなのであります。つづく



団体参拝の皆様に
「仏さまの声なき説法を聞く」


ようこそお参り下さいました。はじめに、國分寺の本尊様は秘仏となっておりまして、常に扉が閉まっております。多くのお寺でこのように扉を閉めたままの秘仏というところがあるわけですが、なぜ秘仏にしているのでしょうか。

一つには神秘性の強調といわれます。また、秘仏ですと御開帳したとき、仏様が目の前に姿を表す疑似体験ができるからとする人もあります。また、保存のためだと言われますが、河内長野の観心寺の国宝如意輪観音様も、美しい原色の仏さまですが、国宝に指定されてからやはり毎年のご開帳で傷んできたと言われています。

それで、私の考えはというと、仏様は形ではないよということではないかと思っています。どうしても私たちは形にこだわってしまう。形からはいると鑑賞してしまうんですね。

東京の国立博物館で、国内のものとしては最高の入館者があったと言われます、あの阿修羅像にしてもそうです。はたして八十万人のうち合掌して礼拝して、ご覧になった方が何人おられたでしょうか。

姿形から何かを得ることもあるかもしれませんが、その仏様が自分にとってどれだけ意味のあるものか、価値のあるものかという観点から接していないのです。

ところで、「山川草木悉有仏性(さんせんそうぼくしつうぶっしょう)」という言葉があります。やまかわくさきで、さんせんそうぼく。しつうは、ことごとくある。ぶっしょうは、ほとけのせいしつと書きます。山も川も草木もみんな仏様なんだという意味です。「山川草木悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)」とも、また「草木成仏」とも言うようですが。

環境問題の会合でも、時折この言葉が使われ、みんな仏様なんだから大切にしなくてはいけない、仏教はいいことを言うなぁと、まあそんな言い方もされているようです。

ですが、山も川も仏様というのは本当でしょうか。私はどうもへそ曲がりでして、本当かなと。で、どうして山も川も仏様なのか、この言葉の意味するところが私は分かりませんで、長年分からなかったのです。ですが、ある時、閃きまして、そうかと。

それは、仏様というのは何かと言えば、法を説く者、真理を説く人のことです。そして、山や川や草木はというと、それらをよくよく観察してみると、みんな自然の中でそのまま森羅万象の摂理、この世の真理を私たちに表現して説法してくれていると見ていくことが出来ます。だから仏様なのだと。そう思えたのです。いかがでしょうか、山も川も常に移り変わり、草木も一つとして同じものがない、周りの影響を受け常に変化している、無常や無我という真理をそのまま示してくれています。

そう捉えると山も川も草木もちゃんと仏様なんだということになります。ただ受け取る側がきちんとその説法を聞く受け取る努力をしなくてはいけないということになります。

そこで、そのように自然を見るのと同じように、仏像を前にしたときも、姿形を見るだけではなくて、その仏様がお説きになっている教え、その説法の声なき声、メッセージを聞く味わうという努力を私たちはしなくてはいけないのではないかと思うのです。

それで、これからそのように、この本堂の仏様がたの説法、メッセージとはどのようなものかという観点からいくつか見ていこうと思います。

まず、本尊様お薬師様は、薬の師、薬の先生と書きますように、私たちの体や心の病を癒してくださる仏様です。が、本堂の入り口の外の扁額に「醫王閣」と書いてありまして、別名を医王、医者の王様な訳です。ですが、その昔インドで医王と言うとお釈迦様ご本人を指していました。

お釈迦様のところに行くと誰でも癒されてしまう。その説法も当時の医者の診断処方の仕方にそうようなものだったと言われています。とても科学的論理的なお話をなさった。だから医王と言われたわけです。

それでどんなことをお話しになったかというと、生きるとは総じて苦である、ではなぜ苦しむのか、本来目指すべき幸せとは何か、そこに至るためにいかに生きるべきかということを諄々とお話しになったのです。

これを四つの聖なる真理と言いますが、短くお薬師様のと言いますか、このお釈迦様のメッセージを申し上げますと、「悩み苦しみ多い人生ですが、自分、自分というとらわれを捨てて、きれいさっぱりした安らいだ心で、苦しんでいる人たち、生きとし生けるものたちにも同じように安らぎが訪れ幸せでありますようにと願い行動しよう」ということになろうかと思います。

そして、お薬師様の脇侍として日光月光両菩薩が厨子の中に一緒に祀られています。それから、インドの古い神である十二神将が厨子の両脇に祀られ、そして右奥には真言宗祖弘法大師空海上人、そして地蔵菩薩が祀られています。

お地蔵様のメッセージというと皆さんお分かりでしょうか。涎掛け(よだれかけ)をつけていたりしますから、早くに亡くなったお子さんの霊を救ってくださると言われます。が、それもあるのですが、本来は、六道(ろくどう)に輪廻(りんね)する衆生の信心に応えてお救い下さる仏様です。ですから、六地蔵として祀られていますね。そのメッセージというのはいかがなものでしょうか。
「私たちは、みんな死んで終わりではなく、生まれ変わり生きていかねばなりません。地獄餓鬼畜生などに転生しないように、善きことに励みしっかり生きよ。でも万が一苦界に行ったときに困らぬよう信心ごころだけは忘れずに」と、それがお地蔵様のメッセージであろうかと思います。

そして、胎蔵界、金剛界の曼荼羅があり、左奥には奈良時代の高僧・行基(ぎょうき)菩薩、観音菩薩が祀られています。

観音様をご信仰なされている人はありますか。慈みの心をもって苦しんでいる人困っている人と同じ立場お姿になってお救い下さるという観音様ですが。ただ合掌してお救い下さい、助けて下さいというのではやはりいけないわけで、「皆さんも一緒に観音となって周りの人たちを助けてあげよう。共に寄り添うという思いをもって、誰彼となく差別したり分け隔てをしないように」というのが観音様のメッセージではないかと思います。

それから左奥には、隣の八幡神社のご神体であった本地仏(ほんじぶつ)を明治以降お預かりしてお祀りしています。

ところで、沢山の仏様がこのようにそれぞれのメッセージを表現されておられるわけですが、この本堂の中心はどこだと、思われますか。本尊様でしょうか。

実はこの大壇(だいだん)と言っておりますが、この正方形の壇こそが本堂の中心なのです。真言宗寺院の他にない特徴と言えます。拝む仏様にこちらにお越し願ってこの塔の中の小さな仏様の御像にお招きします。この前にある礼盤(らいはん)に座った導師がその仏様と一体になって供養をして、正にここに仏様が顕現しているとして、様々な御祈願を致します。ですから、まあ、一番ありがたい場所ということになるのです。

いろいろと器がありますが、香を焚く火舎(かしゃ)、それに六器(ろっき)、飯器(ぼんき)、華甁(けびょう)などがあり、それらに盛られた御供えをお招きした仏様に供養するという設(しつら)えになっています。

以上、お祀りしている主な仏様がたのそれぞれの声なき説法と言いますか、発しておられるだろうメッセージを聞くという観点から少しお話しをさせていただきました。

いかがでしたでしょうか。仏様がたの願いは、「私たちを慈悲深く見守ってくださっているというよりも、やはり、しっかりと仏様のメッセージを体して信仰の生活に励んで下さい」というエールを私たちに送って下さっているのではないかと思います。

皆様も団体参拝の旅の後は、是非いろいろと疑問を持って仏教を探求し、仏様方の声なき声に耳を澄ませていただけたらと思います。
本日はご参詣いただき誠に有り難う御座いました。



【國分寺通信】
◯この度は、備後國分寺の涅槃会(ねはんえ)並びに稚児行列、御開帳法会、そして土砂加持法会にご参詣いただき、誠に有り難うございました。土砂加持法会は毎年四月の第一日曜日に執り行いますが、六年に一度、こうして朝からお釈迦様の御入滅を追慕して涅槃会を修し、天童子に擬した稚児の行列に先導してもらって、法会を営む大行事を行っております。今年は三十年ぶりの本尊御開帳も併せ行いました。また三十年後にも御開帳が出来ますかどうか。次の住職にご期待いただきたいと思います。

◯涅槃会は、常楽会ともいい、本来お釈迦様の亡くなられた二月十五日に行われます。鎌倉時代の高僧明惠(みょうえ)上人作の四座講式(しざこうしき)が唱えあげられる法会で、(涅槃講(ねはんこう))御入滅の功徳を讃えて供養を捧げ、(羅漢講(らかんこう))十六羅漢ら弟子たちの法灯護持の徳を称え、(遺跡講(ゆいせっこう))各地にあるお釈迦様の遺跡について功徳を嘆じ、(舎利講(しゃりこう))ご遺骨である舎利の功徳を讃嘆する、つごう四座を十四日の夜から翌十五日午前中まで一晩かけてお勤めされるものです。神辺の真言宗寺院では、それらを毎年一座ずつお唱えする涅槃会を、三月末頃に執行しています。来年は平野の法楽寺様にて行われる予定です。

◯左記の毎月行っている月例行事には、どうぞお気軽にご参加下さい。坐禅会は、歩行禅の後、三十分の坐禅を二回いたします。仏教懇話会では、五月ころから今回の御開帳にあわせ発行した記念誌を読みながらお話する予定です。


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