住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

お寺は先祖の供養のためなけれども1

2008年07月22日 14時07分46秒 | 様々な出来事について
お寺は、お墓を守るためにある。お寺は、亡くなった人の供養のためにある。そんなお寺の捉え方をしている人はけっこう多いらしい。今國分寺では、仏教懇話会と称して、仏教に関するお話し会や座禅会も月一回ではあるけれども行っている。また、月例の護摩供や理趣経の購読会、御詠歌講習会も行っている。しかし、こうした行事をまったく行っていないお寺も結構ある。

だから、ここ國分寺で、かつて元旦の護摩祈祷をしたいと言うと、そんな生きている者たちのことまで考えてくれるのか、という反応が総代さん方から出た。勿論祈祷ごとがお寺にとって本来のものと考えているわけでもない。加持祈祷は日本仏教ではよく見られるお寺の役割とはなっているが、お釈迦様の時代にお坊さん方が、信者の幸福のために火を焚いて祈るなどということをされていたはずもなく、大乗仏教になって、それも密教が流行した七、八世期以降になされるようになったものだろう。

しかし日本に仏教が伝わった際には、そのはじめから仏教の役割として鎮護国家、万民の幸福の祈祷、様々な仏教にまつわる総合文化の摂取というテーマの元に仏教は取り入れられた。國分寺自体の存立にも鎮護国家、人心の統一という大きなテーマが与えられていた。

だから、國分寺としては、当然のことながら、元旦に年を改めて世界の平和と現在お寺を支えて下さっている檀徒衆の幸福を祈願するのは当然と考え元旦護摩祈祷を始めたのであった。しかし、護摩というのは、祈祷だから祈るということなのではあるけれども、それをもう少し分かりやすく言うならば、私たちの心を整理するための仕掛けという意味合いがあるのではないか。

いろいろな私たちの心の中の思い、さまざまな願い、焦燥、不安、恐れなどをすべて吐き出し、護摩の火の中に投げ込んでしまう。一心に火を見つめ、合掌して経を唱え祈願するとき、その時の心には何のわだかまりも消え去っている。仏さんがたに様々な供養の品を煙とともに受けとっていただき、思いをすべて放下してしまうものではないかと思う。

そこに護摩祈祷の妙味があるのではないかと、私は思う。加えて、そうした善行の功徳によって、何かしらの因果によって事の好転がもたらされることを信じるということであろう。仏菩薩の願力、または行者の霊力などというものにすがる、祈りの力などというものを標榜するが故になされる行ではないことはもとよりであろう。

話がだいぶ脱線してしまったが、とにかく、お寺の役割というのはお墓を守ったり、亡くなった人のためにあるのではなく、もともと日本では、人々の幸福を願うものとしてあった。しかしさらに、本来のお寺の起こりということをお釈迦様の時代まで遡って考えてみると、インド・ラージギールの竹林精舎というビンビサーラ王の寄進によって初めてお寺が造られたときには、それは遊行して瞑想修行に励むお坊さんたちの一時宿泊所であったにすぎない。

だから、今日のように仏像が祀られていたわけでもなく、そこに書き記された経文があったわけでもない。ただ、長老のお坊さんたちによって、お釈迦様の言葉が伝えられ、瞑想修行について教えを受けて、多くのお坊さんたちが安心して一時期を過ごし、修行するための場であった。

生産活動を禁じられたお坊さんたちの生活は、近隣の信者たちによって賄われ、托鉢や招待によって出向き食や必要な品物の供養によって生活していた。当時は、それら信者たちの宗教としてインド古来のバラモン教があり、様々な人生の通過儀礼、結婚式や葬式はそれらバラモンによってなされていたであろう。だから仏教僧がそうした場に行き合わせることもなかったのであろうから経典に記されることもなかった。

15年ほど前にインド・カルカッタのベンガル仏教会本部僧院にいた頃、同じお寺におられたお坊さんに聞いた話ではあるが、今でも、ヒンドゥー教徒に招かれて食事に出かけるということだった。ベンガル地方でかつて仏教を保護したパーラ王朝の子孫たちは、今でもヒンドゥー教徒として暮らしてはいても、仏教を大事にしている。

それらパーラ王朝の子孫たちはわざわざカルカッタの仏教僧を招いて食事を供養し仏教のパリッタと言われる経文に耳を傾ける。だからといってすべてを仏教で取り仕切るわけでもない、その家族に何かあれば当然のことヒンドゥー教のバラモンに葬儀を委ねる。

また、サールナートの法輪精舎にいた頃、お寺にモウリヤ王朝の末裔の家族が頻繁に出入りし、様々お寺の雑用から行事の手伝い、またお坊さんたちに毎日昼に食事を届けてくれていたが、やはりそこでも、家族の結婚式や葬式と言えば、地元のバラモンにそのすべてを委ねていた。それがお釈迦様の時代にもあったであろうインド独特の修行者を敬う心を持ち合わせた包容力というものであろう。

しかし、今日、ほとんどの仏教国では、信者の葬儀には仏教僧が出向き、またはお寺に遺体がもちこまれて葬儀が行われている。法事も同様であろう。お釈迦様の時代に葬式法事をしていなかったのだから、仏教による葬式法事は仏教の役割ではないというのは、当時の社会背景、地域性を考えない人たちの言に過ぎない。だが勿論、それが仏教の中心であるわけでもない。

やはりその中心には、お坊さんたちの修養修行というものがあり、それを支え教えを学ぶ信者の姿があり、その信者の中でご不幸があれば、その寺の坊さんが親身に経を唱え親族に説法を施し、人の生き死にについて正しく仏教の教えを諭すということになるであろう。

葬式法事が悪いのではない。そればかりに取りかかり、大事なお寺の役割が忘れられて儀式執行だけになっている状態に問題があるのであろう。では、お釈迦様は、いまにも亡くなろうとする人にどのような態度で接しられたのであろうか。・・・・。つづく

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『仏教の盛衰に何を学ぶか』を読んで2

2008年07月15日 20時50分29秒 | 仏教書探訪
第三講「インド仏教の衰亡と宗教興亡二」では、インド仏教衰亡の原因として、①イスラム軍によってビハールやベンガルの巨大僧院が破壊されたため。②祭祀を行わなかったなどにより自ら衰退していったため。③ヒンドゥー教化して吸収されたため。④信者に義務として教団を支えることを教義としなかったため。などこれら伝統的なインドにおける仏教衰亡説に加え、インドの特殊事情が影響していると保坂氏は指摘する。

多数派で土着信仰の保守派ヒンドゥー教に対し、仏教は少数派で革新的合理的普遍主義なため、両者には、常にインド社会では両極端の対決があった。だから、イスラムの侵攻というときに、仏教徒は、イスラム教という宗教の実態がわからずも、ヒンドゥー教との社会的対立、宗教的対立が引き金となり、仏教の不殺生の戒律を重視して、イスラム軍を受け入れた。しかし、結果的にそのことが仏教の衰亡を招いたのだと言われる。

第二講で述べたようなインダス河流域でのイスラム化。また東ベンガル地方でも今日イスラム人口が多く、最後まで仏教徒の多かったこうした地域で、現在イスラム教徒が異常に多い。そこに、仏教徒が集団でイスラム教に改宗していった実態が浮かび上がる。東ベンガルでは、鍛冶屋、鋳物工など、仏像を造るイスラム教徒が最近までいたという。かつて仏教徒であった時代の職業がイスラム教徒になっても引き継がれ、存続していたのではないかと考えられているという。

ところで仏教は、誰でも受け入れる教えであり、普遍主義であるけれども、ヒンドゥー教も、イスラム教も、キリスト教も、神道も、それはナショナリズムに結びつく特殊な人々の教えに過ぎない。だからこそ、仏教はインドで滅びる運命にあったわけだけれども、これからの時代には仏教の普遍主義こそ人類に必要な教えではないかと、保坂氏は言われる。

だからこそ明治時代には仏教ではダメで、列強に対抗し植民地にならないために、またヨーロッパの文明を受け入れやすくする意味において神道という核が必要であったのだと言われる。

第四講「仏教の持つ可能性」では、仏教が滅びなかったスリランカやシンガポールなどの例を検証し、政治的な指導ないし民衆の文化の根底に仏教が浸透することによって存続してきた。また現代インドでのネオブッディストたちの改宗についても触れて、インドで仏教は、カースト外の人たちに注目されているかの如く思われている。

が、IT産業に代表されるインドの産業発展は地球規模での行動を求められている現代にあって、一地域信仰のヒンドゥー教では世界に受け入れられないし生活しにくい。そこで知識階級である彼らも仏教に注目しているのだという。

日本は、明治以降廃仏毀釈を経てなお、未だに嫌仏政策の中にある。戦後まで神社はたくさん出来るけれども、寺院はつくれなかった。今日でも、初等教育にお坊さんの話は全くない、つまり仏教の千二百年に及ぶ長い歴史をほとんど評価していない教育が続けられていると指摘する。

明治の近代化の御旗のもとに、否定されてきた神仏習合の精神的、文化的な伝統をないがしろにしてきて、未だにそれを顧みることもない。寺檀制度や戒名など、悪者扱いされるものも、実は、民衆も死後の世界に安寧を勝ち取ることが出来る一つの世界観を共有できるシステムとしてあったという。だから良い悪いで、なくしてよいものではない。

それまで死者は祟り神として怖れられた。そこで仏教が登場し死の穢れなど無いと、人は浄化することで悟りに至ると説いてきた。仏式で戒名をつけ葬儀をするというのは、そうした千年の仏教の歴史のもとに室町から江戸時代のころ形成されたもので、それは人々に安心感と確証を与えるものとして機能してきた。

近年多くの凶悪事件が起こり精神的にとても不安定な社会が現出した。日本人が今まで作り上げてきた精神世界、言葉にならない文化みたいなものがかなり今ほころびている。それに歯止めをかけるとしたら、私たちの伝統に対する再評価、再認識をすること以外にない。いま、千数百年の日本人の血肉になっていた仏教を評価し直す時期に来ている。それには嫌仏敬神の視点ではなく、歴史を謙虚に見ていく必要がある。

かつて多くの天皇が仏教に帰依し、仏教的な政治理論みたいなものでまつりごとを行ってこられた。そうした伝統が脈々と続いてきたからこそ天皇制が民衆から支援された。政治、文化、様々な分野での仏教との関わりを今一度再評価することが、現在直面するいろいろな問題に解決策を見出すヒントになる。仏教はもっといろいろな面で発言して、存在意義を高めていくべきであると述べられ、保坂氏は講演を締めくくられている。

まったく同感である。明治憲法の下での国教神道化、神仏分離令であった。そこで、それまでの日本人の信仰は分断された。戦後新憲法下の法制度の下で、改められるべきものがそのままに放置され、まさに心よりも実利、なにものをも投げ捨てて経済的物質的繁栄のもとに突っ走ってきた戦後があった。

それはそれで必要な時代であったろう。しかし、その間に私たちは積み重ねてきたアイデンティティをすっかり忘れ去ってしまった。長い歴史によって培われ私たち一人一人に刻まれた仏教的素養の復活に、様々な問題が噴出している今こそ、国民挙げて取り組むことが必要なのであると思う。

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『仏教の盛衰に何を学ぶか』を読んで

2008年07月14日 09時02分57秒 | 仏教書探訪
京都・相国寺の教化活動委員会・研修会での講義録である。中外日報紙で頒布して下さる記事を拝見し、早速取り寄せ拝読した。講師の先生は、麗澤大学教授の保坂俊司氏。比較思想、比較文明論が専門の先生だ。この先生の本は以前『インド仏教はなぜ亡んだのか』(北樹出版社)を読ませていただいたことがある。

これまで誰も紐解くことの無かったイスラム文献を渉猟されての仏教衰亡論には説得力があった。イスラム軍がインドに攻め上ったとき、教えと平和を守るためにそっくり指導僧の交渉によりイスラムに改宗したとあった。

その話は、以前私がインドにいたころ、私のインドの師匠であったベンガル仏教会総長のダルマパル師より聞いた、白い袈裟のようなものを纏ったイスラム教の人々が居るのをテレビで見たという話と呼応する内容であったこともあり、興味深く読ませていただいた。

本書は四回の講演内容を収録してある。第一講「インド仏教はなぜ興隆したか」では、宗教というものが日本では誠に限定されたものとされ、ゆがめられて認識されていると、まず指摘する。宗教という言葉は、もともと宗派の教えというような意味で、伝統仏教の中にあった。

それが明治になって、ラテン語のレリギオを日米通商条約の中で訳す際に宗教という言葉で置き換えをした。そして、明治にこの宗教の範疇に入れないものとして神道を位置づけた。それは、宗教が違っても国を統一する上で神社や皇室を拝まないということがないようにするためであった。

さらに、仏教、キリスト教など宗教の上に位置するものとして神道を認識させるために、東大の文学部をつくる井上哲次郎という学者が、『我が国体と国民道徳』にて、宗教に頼る者は女子、小人であって、半人前である。

半人前でない人間は神道を信じるものであると書いた。こうした考え方が広まり、のちのち私たちは、知らず知らずのうちに、宗教を信じる者は普通以下のレベルの人間だということを常識化されてきたのだという。

だから宗教である仏教もつまらないものだという観念が植え付けられてしまった。伝来以来、日本の政治経済、文化、情操、技術、発展のためにどれだけ貢献してきたか分からぬ仏教を、こともなく博物館に陳列されたものとして捉え、冠婚葬祭の部分だけにその役割を矮小化されてきたのだと言われる。

インドで仏教が当時多くの人々に受け入れられたということは、哲学的にすばらしかったというだけでなしに、人々の要求に応えるものであったからだ。お釈迦様は人間の知性、可能性の限界に立ち向かい、その道を開かれた。

生老病死という普遍的な問題について取り組んだからこそ、誰でもが受け入れられるものとなった。その中でも大事なことは、心と体というものを分けてそのどちらかを制御するのではダメで、心と体をともに大切に生きていくということ、それが仏教の中道だ。

①すべては関連性のもとにある。だから自分だけ正しいとは考えない。②誰もが教えを受け取り実践する意味において平等である。カーストは関係ない。③個人の行いの結果は自らが引き受ける。因果応報。④異質なものとも対立せず融和する。これが仏教の特質であるという。

だから、生まれ性別を問わず、個人の行いによって自分自身を救うことが出来る。儀式や集団ではなく、自分の行いが未来、死後の世界、社会をよくしていけると説いた。よって、農民ではなく、都市商工者や女性に信者が多かった。また西域からの異民族がカーストによらない仏教徒になった。そして、それが仏教がインドから姿を消す要因でもあったという。

第二講「インド仏教の衰亡と宗教興亡」では、インドの歴史をはかるうえで欠かすことのできない玄奘三蔵の『大唐西域記』と同時代に書かれたイスラム文献『チャチュナーメ』について語られる。この書はムハンマド・カーシムという武将の一代記で、インダス河を北上して攻め上る記録が残っている。

ニールンという町を占領するくだりにおいて、他の都市では三日三晩の殺戮が繰り返されたというが、その町では、町の長であり、長老であり、仏教僧であるバンダルカルという人物が登場し、カーシムに戦わずして城を明け渡す。しかしその代わりに、お寺の建物と人々の信仰、生命、財産は守ってくれるようにと交渉しその保証を取り付ける。

当時ヒンドゥ教徒との戦いが続いていたこともあり、自分たちをイスラム軍が守ってくれるという意識もあったのではないかという。こうして被保護民としてイスラム圏に入ることによって仏教徒は生き残りを図っていった。だからこそイスラムは急激にインドに攻め込むことが出来た。しかしその百年後の記録には仏教は消滅してしまう。残念ながら、その事情はよく分かっていないという。つづく

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「知られざる真実-勾留地にて-」(イプシロン出版企画刊)を読んで

2008年07月11日 07時39分46秒 | 時事問題
高名な経済学者である植草一秀先生が昨年8月に上梓された著作である。ご存知の通り先生は、二度にわたる不名誉な事件に巻き込まれ、辛酸をなめられた。未だにその名誉回復にはほど遠い。しかし本書を読むならば、日本の国がいかにあるべきか、そのために何が必要か、人々はどうあらねばならないかを常に考え、意気軒昂にも奮闘されている先生のお姿を彷彿とさせられる。

なぜあのような事件に巻き込まれねばならなかったのか。多くのマスコミ新聞のみを鵜呑みにする人々には理解しがたいことだろう。新聞テレビはすべて正しいことを報道していると考えている人々は、深い霧の中から這い出ることは出来ない。どんな立派な出版社の本でも、どんなに地位や権威のある人の本でも、そこには正しいものと不確かなものを混同し、読者に間違った認識や行動を誘発することもあるだろう。

ましてや新聞は、かつて非常時にはどのような報道が行われてきたのかを考えれば、私たちはどうその紙面を読むべきかを理解できる。テレビは、益々大衆を愚鈍化させることに狂奔している。私たちは何をもって正しい知識情報を得ていくのかを真剣に考えねばならないだろう。中国がネット規制に躍起になっていることを考えれば、私たちの最後の砦はそれしかないのかもしれない。

今をどう生きるべきかと教えるのは仏教の教えそのものである。仏教は、四聖諦を説く。苦・集・滅・道の四つの真理だ。苦諦は、まず現実をしっかり認識することを教えている。私たちの取り巻かれている現実。私たちの置かれた状況をしっかり把握すべき事を教えている。私たちが何によって苦しみあえいでいるのか。その根本の原因をしっかり観察せよと言われる。働いても働いてもザルで水をすくうがごとく人々が貧しく、日本からお金が消えてしまうのはなぜか、しっかりその状態を知らねばならないということだ。私たちは、先生の著作によって日本の現状がなぜもたらされたのかを知ることができる。

集諦は、その原因を突きとめよと言う。私たちはみんな欲を抱えている。その欲による弊害、損失を知り、厭い離れるべきであると教えている。バブルであわい欲に走った者が大きく損失を抱え、立ち直れなくなった人も多い。しかしその欲はさらに大きな欲を持つ者によって覆われている。大きな世界構造の中で貶められてきたその大枠の原因にも気づかねばならないだろう。私たちははたして誰のために働いているのか。直近の長期政権によってもたらされた多くの負の遺産が私たちを苦しめている。そのことが先生の著作から手に取るように分かる。

滅諦は、それらの欲を滅して、私たちがいかにあるべきか、何を目標に生きるべきかを教えている。ある程度の欲は生きていく上でなくてはならないだろう。いびつな精神によって歪んだ思考によってもたらされる施策を廃して、多くの人々が特に弱い立場の人々も安心して暮らせる社会が求められている。先生の求められる理想の社会が理路整然と述べられる。

道諦は、実践すべき具体的な道筋を示してくれる。どういう見解のもとに、何を考え発言し、どう生きるべきか、何をもって食を得、何を求めていくべきか、心の安らぎを求め、落ち着いた心を獲得するためにどうあるべきか。私たち一人一人の精神的自立にこそ、その鍵があるであろう。

先生は、望ましい政治のあり方として、七つの提案をされている。①高齢者による社会貢献活動の提案など弱者へのいたわりをすべての人が共有する。②派遣請負など企業優位の労働制度改革が格差を生んだ。同一労働同一賃金を義務づける。③環境保全の立場から護岸工事など自然を人間のために制御するのではなく、自然をそのまま保護する公共事業のあり方が必要。

④米国と友好関係は維持しつつも国家としての尊厳を大切に日本の考えを世界に発信する外交に見直しをはかる。核武装には反対する。⑤お粗末な教育支出を他国並みにして、学力重視の、秩序を守り指導命令に従順な教育を廃して、子供たちに自分で物事を考え自分で判断する自主性を身につけさせる。⑥社会のエネルギーを失う少子化を国家の火急的な問題として取り組む。⑦メディア情報を鵜呑みにしない情報の虚偽を自ら選別できる賢い国民を育成する。

植草先生と私は奇しくも同じ年に生まれている。生まれも東京で、もちろんレベルは違うが同じ都立の高校を経て公立の大学で教育を受けてきた。同じ時代の空気を吸い同じような環境で育ち、共感する部分が少なくない。本書は、政治経済に関する専門分野の内容の他に、自らの生い立ちや学生時代の葛藤なども交え先生の人生観が滲み出た好著である。近年の諸問題に関する深層を理解する上でも誠に役に立つ。

人類の歴史を改めて学ばれたとあるが、勾留されながらこれだけの内容豊富な著作をなされた博学さに驚嘆する。この本を読めば今の日本の国が置かれた状況が理解できる。そして、どう私たちはあるべきかが分かる。自分の人生は出来すぎであるとの認識があった先生に降り懸かったご不幸は法難とも言えるものであった。その艱難辛苦の中で燃えたぎる思いを私たちに伝えんとされたのが、本書である。是非、多くの人に読んで欲しい。

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朝日新聞「なぜ生きるのか『悩みのレッスン』投稿を授業に」を読んで

2008年07月01日 18時39分40秒 | 時事問題
5/17日朝日新聞朝刊に「なぜ生きるのか『悩みのレッスン』投稿を授業に」という記事があった。朝日新聞に寄せられた高校生からの相談内容が、埼玉県立高校3年の倫理の授業で、教材として使われた。

相談の要旨は、「私は中学からいじめられてきた。高校でも変わらなかった。今の自分の境遇を悲観しているわけではない。ただ、なぜこんなにつらいのに、私はここにいるんだろうと疑問に思っているだけだ。きれいごとで答えてほしくない。人はなぜ生きるのだろうか。(高校生16歳)」とある。

そして、新聞の記事には、授業の様子が綴られている。相談内容に対する単純な反応が続き、授業の終わりに、「いじめられてもその時はつらくとも、大人になってから他人の気持ちを考えられるようになって心が育つと思います」という返事が読み上げられたとある。

この回答では、将来のために今のつらさがあるということになるのだろうか。つまりは、なぜ生きるのか、将来の自分のためということか。しかし、こうした考察はチャイムが鳴ったためか、授業で話されなかったようだ。

2回目の授業では、「なぜ生きるのかの答えは誰も持ってはいない、ただ、この世に生をうけた以上、それに感謝をし、精いっぱい生きなきゃいけないのだ」また、「答えはない、それは自分で作るものだ」と返事を書いた生徒がいたとある。

授業では、こうした回答に対して、さらにそのことを深く考えさせることはなかったようだ。生を受けた以上感謝しなくてはいけないのは、なぜか。精一杯生きるとは何か。自分で作るものだと言った人は、自分ではどのように考えているのか。残念ながら、この記事には何も記されていない。

また他の生徒からは「私にとって生きるとは知ることです。あなたの文章を読んで、あなたが生きていることを知りました」「生きている世界は学校だけじゃないよ。学校の外は、すっごい広いんだから」「10分つらいことがあっても、その中の1分笑えたら、また次の10分がんばれるよ」という返事もあったと別書きされている。

生きていることは知ることはよいが、あなたが生きていることを知ってどうだったのか。学校の外は広いはいいが、広い世界があるからどうだというのか。10分がんばれると書いた人は、つらいことは多いけど、笑えることもあるから我慢しろと言いたいのか。はたしてその後の授業の展開はいかがだったのかと触れることもなく、この記事の書き方も中途半端なものに終わっているように感じる。

おそらく、この記事を読んだ多くの読者も同様な感想を得たのではないか。高校生なら、もっと掘り下げた多岐にわたる議論をして欲しい。古今東西の知者はどのように生きるということを考えてきたのか。生徒たちからも、こんな風に親や祖父母から教えられたという話があってしかるべきかとも思う。同世代の悩みに応えるというフレームが良いだけに、そうしたことに何も触れられていないことも残念でならない。

たとえば、いじめにあっていると言うが、そのいじめる側はどうのような気持ちなのか。その周りの人たちはどうか。先生や学校側はどのような対応が必要か。なぜ悲観しないのか。つらいのにそのままそこにいるのはなぜか。相談者の問いかけである、なぜ生きるのか。考えるべき内容はたくさんある。漠然と問いかけて、焦点の合わない返事を書かせどうしようというのか。疑問に感じる。

いじめ問題は、いじめる側の心理とその事情について解明する必要があるのではないかと思う。いじめられる側の被害と加害者側の処分が問題なのではない。なぜ加害者であるいじめる人たちは人をいじめてしまうのかと問われなければならないであろう。

よく言われるように大人の世界でもいじめは横行している。いじめは現代日本の社会現象だとも言えよう。子供だけにいじめはいけないと言っても意味はない。意見の合わない人を排除していく社会のあり方から問われなければならないだろう。またいじめを放置する周囲の人たちの傍観する姿勢も問題だ。

物を言う人を攻撃して意見を封殺してしまう閉鎖的な風土、事なかれ主義、非民主主義的な社会環境が問われねばならない。一人一人が別々の意見を持ち、それを主張し、きちんとそれをみんなで議論し方向を決めていける社会風土が日本にないことの現れであろう。

だから、この相談者が悲観しないというのは単なるあきらめではないかと思える。何を言っても誰も聞いてくれない、周囲に心開いて話せる人がいないということであろう。だからそのままそこにとどまるしかない。ただ時間が過ぎるのを待つ、嵐が過ぎ去るのを待つということなのではないか。

だからこそ、なぜ生きねばならないのか知りたいのであろう。そのことに何も回答すらなく、この授業は終わっているようだ。私たちはたった一人で突然生まれてきたのではない。誰もが両親の交淫によって母親のお腹から生まれ、両親や周りの多くの人たちにお世話をかけ、大切に育てられてきたのではないのか。私たちが生きているというのはそうした沢山の人たち、またそれをささえる沢山の生きものがあってはじめて成立している。

食べる物も着る物も家も、何もかもが沢山の人たちの手を経て作られたものによっているのだし、それらをこれまでずっと受け入れてきたからこそ生きている。だから生まれてきて生きていることに感謝するのであって、精一杯生きねばならないのではないか。

ではなぜ生きるのか。私たちはみんな一人として同じ人はいない。みんな違うからこそみんな受け取りかたも違うし、ものの好き嫌い、考え方、興味、気持ち、優しさ、強さ、得意なものが違う。違うからこそみんなが生きている意味があるのではないか。その人にしかできないことが必ずある。みんな、それぞれに自分の大事な役割があるはずだ。

その自分だけの価値に気づき、それを大切に生きていく。きっとその自分を必要とする人やものがあり、その時が来るはずだから。私にはそんな風に思える。だからこそ広い世界に出ることも大切だし、待つことも必要なのであろう。いじめられる人もいじめる側も、みんな自分の価値を大切にされたら、いじめなどなくならないだろうか。

誰もが自分の話を聞いてくれる人が欲しいのだ。いじめてしまう人の心の闇を解消しなければ、いじめはなくならないだろう。誰もがどちらの側にもなる余地があるのだから、すべての人がもっと人の話を聞く、誰もが周りの人の意見に耳を傾ける社会風土を作っていくことしか解決の道はないのではないか。

そのためには、子供のうちから、まずは自分の意見をきちんと話し合う家庭環境作りが急務ではないか。小さな子を持つ親は子供を塾や習い事にやるよりも、ゲームを与えるよりも、子供たちが自分自身の意見をきちんと持てるよう、ものを考え話しまた人の話を聞く習慣が何よりも必要なことであろう。

そして、一人一人がきちんと考え、自分の見解をもち、堂々と意見を言い合い、人の言い分を受けとめられる社会になることが、気の長い話ではあるけれども、引いては斜陽国日本の再生にも繋がるのではないかとさえ思えてくるのである。誰もが独自の考えを持ち、それを大切にされなければならない。それが人権であり、人間の社会というものだろうから。

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