住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

やさしい理趣経の話-7 常用経典の仏教私釈

2011年01月28日 15時15分00秒 | やさしい理趣経の話
第五段の概説

「ふぁあきぁあふぁんいっせいさんかいしゅじょらい・・・」と第五段が始まる。ここに「一切三界主如来」とあるが、教主大日如来が、万宝を施して一切の衆生を救済することで三界の主となる宝生如来として登場する。

第二段で、完全なる覚りを四つの平等な覚りの智慧に展開したが、第五段では、その中の②世の中の宝を見つけ出す智慧とはいかなるものかを開示している。

第四段では、小さな自己にとらわれることなく、自他の境を取り払い、すべてのものを一つ一つつぶさに見ていくならば、すべてのものがそれぞれに異なり、だからこそみな尊く、清らかなるものであると観察する智慧(妙観察智)を解明した。そしてそれらは単に清らかであるだけでなく、皆尊い価値ある存在であり、有用なものだと見出される。

そこで、この第五段では、「一切如来の灌頂智蔵の般若理趣」とあるように、灌頂という密教儀礼によって、一切のものの中に物質的にも精神的にも等しく価値を見出す智慧を覚り、三界の主として、物質世界でも精神世界でもその主となるための教えを説くのである。

昔インドの王様は四海の水を頂きに注ぐ灌頂の儀礼によって即位し、王としての知恵や能力を開顕したという。そのように、密教儀礼としての灌頂においても、その儀礼によって、一切如来の、つまり宇宙一杯の宝を見つけ出す智慧、それぞれが持っている長所に目覚める智慧、どんなものにも平等に価値を見出す智慧(平等性智) を授かるのである。そして、その智慧はこの世の中のすべてのもの、この宇宙のすべてのものが、価値ある宝物と見出すことができるという。つまりこの宇宙は、仏の宝の蔵であると発見する教えを説く、とこの段の趣旨が述べられる。

高野山で学んでいた頃、ある先生から「つまらぬと言うは小さな知恵袋」という言葉を教えて貰ったことがある。どんな物も、どんな経験も、つまらないものなどないのだと。この世の中にある森羅万象、ありとあらゆる物は、無用ではなく、皆それぞれに価値のある物であり、だからこそこの世に存在している。押し入れやタンスの中にある整理できないたくさんの物も皆その持ち主にとったら宝物であろう。

過去に経験した知識や思いも、全てのことは現在に生かされている。どんなにつまらないと思えるような体験でも、それらすべてが今の自分を形成しているとも言える。私自身も学校を出たばかりの頃に会社で憶えた簿記、会計実務、情報出版社で経験した雑誌の企画、営業。僧になって試行錯誤してきた遍歴も、それらのすべてが今に生きている。誰しもがすべての過去からの時間を相続しつつ、今がある。過去の経験や知識も皆その本人にとっての宝物だと言えよう。

どんなものにも価値がある。それを見出し適材適所に用いれば、それらはすべてかけがえのない宝となって輝き出す。
 
四種の布施

では次に、この世のすべてのものにそうした無上なる価値を見出すにはどうしたらよいのか。それには四つの布施をすることだと教えが展開される。

一つには、灌頂の布施。それによって、私たちの心の中に仏と同等の価値を見出す。つまり自分の心の中の菩提心という宝に、まずは気づくということが大事であるという。すると忽ち心眼が開かれ、この世の至る所から宝を発見する智慧が沸いてくる。そうすることによってすべての者たちの願いに応えて宝を与え、またそれらの能力を引き出すことで人々に慕われ指導者となるというのである。

二つ目には、義利(利益)の布施。宝物を手に入れる智慧によって得られた富や福徳を自分だけのものにしないで他のものたちにも施すことによって、それらの願いが叶い幸福を分かち合うことができる。

三つ目には、法の布施。正しい教えを体得したなら、それらを他の人々にも説き導いて、苦しみから解放し安楽を得させる。自他ともに精神的にも満たされるようにすること。

四つ目には、資生(生活の糧)の布施。虚空の中から作り出した宝の中から、人々の衣食住にかかわる物資を施して、人々が楽しく安らかに幸福に暮らしていけるようにすること。

こうしてすべてのものの中に宝を見出すことは、一部の宝を独り占めにし、多くの他のものを貧しいままに据え置くことでは得ることはできない。すべての人々、生きものたちが等しくその恩恵に浴し、すべてのものたちがそれぞれの価値に気づき、精神的にも物質的にも満たされることによってのみ実現せられるものであろう。そうしてこそ、それらは相互に必要不可欠な存在となり、みな世のためになり、すべてのものが等しく互いに生きとし生けるものを養い培う無限の価値ある宝になると見出すことができる。

虚空蔵菩薩の心真言

第五段は、これまでこの部分に挿入されていた、この経典を読誦したときの功徳が省略されている。そして、改めて大日如来が宝生如来の姿から、この世での姿である虚空蔵菩薩に転身して、この世の中のあらわれをすべてみな価値ある宝と観る瞑想に入られる。

その教えを自らの姿に明らかに示そうとされて、法悦の微笑みを浮かべて、ダイヤモンドの首飾りを自らの首に掛け、すべての者たちに仏心の宝を施す覚りに入る。そして、清らかな心に人の世の宝を見出し豊かな人格を創造することを表す虚空蔵菩薩の心真言「タラーン」を唱えた。

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四国遍路行記-24

2011年01月17日 18時58分42秒 | 四国歩き遍路行記
挨拶を済ませ、一晩お世話になった岩屋寺の石段を下る。次の46番浄瑠璃寺までは22キロ。川沿いに国民宿舎古岩屋荘の前を通り、途中昨日通った道を逆にたどる。山道に入り三坂峠を越え下った辺りに網掛石と言われる大きな石に出会った。弘法大師が巡錫の折、網をかぶせて棒で動かしたと言い伝えられ、網状の模様がある。小さなお堂があり番外札所となっていた。

里に出て車道を歩く。途中長珍屋という旅館の看板が目に入る。歩き始めてどのくらいの頃に聞いたのだったろうか。この旅館は歩き遍路さんをただで泊めてくれるというので、その名前は歩き遍路たちには有名だった。一度宿賃を受け取った後、お接待ですと返して下さるのだとか。まだ夕刻には間がある。すぐ先の石垣に囲まれた浄瑠璃寺に札を打つ。

浄瑠璃寺は、和銅元年(708)、行基菩薩がこの地を訪れ、薬師如来、日光月光菩薩、十二神将を刻んで安置したのが始まりという。その後一時荒廃していたというが、弘法大師が訪れ伽藍を修復。室町期には荏原城主が霊験を得て土地を寄進するなど寺観を調えたが、江戸・元禄時代に山火事が類焼し全焼。その後復興の目途がたたなかったところ、庄屋出身の堯音上人が本堂を再建。さらに橋を造るなど社会事業にも尽力したという。

境内には本堂前の見事な老木のほか樹木が所狭しと植えられ、お釈迦様の足の裏を刻んだ仏足石や平たい大きな説法石などが置かれている。木々に囲まれた参道を通り抜け、唐破風の庇が正面に突き出た本堂にたどり着く。本尊薬師如来。お薬師様ということもあってか、霊水で入れたお茶のお接待がありがたい。喉を潤して理趣経一巻。大師堂は、本堂右手に進み心経一巻。狭いがいろいろな見所のある境内を後にして、先を急ぐ。

細い水路が横に流れる道を進む。小さな神社があり、また建設中の家を眺めつつ歩く。次の47番八坂寺は一キロも離れていない。すぐだと思うせいか、なかなか到着しない。民家が軒を連ねた一本道に出る。そこを進むと石段の先に八坂寺が姿を現した。創建は大同元年(701)、文武天皇の勅願寺として伽藍を造る際に八カ所の坂を切り開いたので八坂寺という。

本尊は恵心僧都源信作と伝わる阿弥陀如来。国の重要文化財。鎌倉から室町時代には修験道の根本道場として知られ、僧兵も擁し末寺48か寺と栄えたが、戦国時代の兵火で伽藍を消失し現在に至っている。ちなみに岩屋寺も浄瑠璃寺も真言宗豊山派に属しているが、ここ八坂寺は修験道のお寺ということもあり、真言宗醍醐派である。

本堂の隣に小さな建物があり、中を覗くと、八大地獄絵図が描かれている。恵心僧都が、極楽往生の手引きとして平安中期に著した『往生要集』で、最も詳細に認めた地獄の描写をここにビジュアルで表現されている。現代は漫然と、死んだらみんな極楽に行くと考えがちだが、昔は悪いことをしていたら地獄に落ちるのだと考えた、だからこそ極楽へ行きたいと人々は願い念仏を唱えた。

現世の浮き世話に熱中するあまり、誰も真剣に死後を憂えることもなくなれば、世の中は悪人が大手を振って歩く世になる。そんなことにならないように昔は地獄絵を絵解きしたのであろう。逆に言えば地獄を説かなくなった現代は悪人が跋扈している世なのだとも言えようか。そんな良き時代の名残であろうかと考えつつ眺めた。

ここでも錫を置くには、まだ早い。来た道を戻り、国道を北に歩く。48番西林寺までは、4.5キロ。車の多い時間帯だったのだろう、数珠つなぎに車がひしめく。こちらはそれを眺めつつ、のんきな歩みを進める。途中別格霊場のひとつ文殊院がある。遍路の元祖ともいわれる衛門三郎の私邸があったところでもあり、また菩提所でもある。

大きな重信川にかかる久谷大橋を渡ってしばらく進むと西林寺の山門が姿を現す。夕刻にさしかがっていたので、寺務所に行き一晩の宿を請う。こころよく山門入って右横の阿弥陀堂に案内された。位牌堂でもあるのか沢山の位牌が祀られている。古いお堂で、隙間だらけだが、板の間に寝袋を広げられるだけでもありがたい。早速教えられた近くのお店に行き、海苔巻きとおからを買い入れた。

この日、なぜか心休まるものを感じていた。山間から街中に入ったからであろうか。食べるもの、寝るところ、困ったときに頼れるものが多いからであろうか。田舎の山寺にでもいいところはないかなどと考えるのも、結局は都会しか知らない人間の戯言にしか過ぎないのかもしれない。そんなことを考えながら寝袋に入り込んだ。

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年頭に思う

2011年01月05日 20時08分16秒 | 様々な出来事について
今年も元旦の護摩を焚き檀信徒の皆様と共に幕開けした。護摩を焚き終わった頃には近隣からお見えになった初詣の参詣者もまばらで、今年も例年行列をなして鰐口を叩くという老若男女の姿を見ることはなかった。毎年のことながら残念に思う。ところで、皆さんは初詣の賽銭にはいくらくらいを投じたであろうか。

かつて東京の深川にある冬木弁天堂にいたことがあるが、そこでは万札が賽銭に投じられることも稀ではなかった。深川七福神の一つということもあり、それこそ一晩中札所の朱印をもらうために色紙を持った参詣者で賑わったものだ。そして7日まで特設にお堂の中まで土足で上がってお参りできるように設え、七福神に今年一年の福を授けて貰う人、また弁天様ということで、特別に芸事や商売をされている人も多くお参りに来られていた。中には有名な俳優さんやテレビでお馴染みのソムリエなども来られ親しく語らいをしたことを思い出す。

ところで、そうした参詣の折、賽銭を投じて、それでこと足れり、後は神さま仏さまよろしゅうにと私たちは思いがちではないだろうか。しかし、それではやはり片手落ちであろう。たとえば、日頃余りお会いしない人などにものを頼むとき、私たちは菓子折の一つも持って丁重に挨拶し、事の事情を説明し、こちらも努力するので何とかお願いしたいと頭を下げるものではないだろうか。

だとするならば、神さま仏さまに投じる賽銭はどう考えても軽すぎる。菓子折ほどにもならないかもしれない。それでたいそうな願い事を聞き入れてくれると思うのはどう考えても早計であろう。もしそれが挨拶程度のものであるならば、「ならばそなたの行状をしかと見定めてしんぜよう」と神さま仏さまは思われるかもしれない。

そう考えてみると、私たちはあまりにも安易に神頼み仏頼みをしているとは言えまいか。いやいや賽銭も立派な布施、善行であると言う方もあるかもしれない。とするならば、その後の布施に続く仏行である戒と定が、やはり必要となる。それをしっかり行じて初めて慧という果が得られる。善因善果、何事も因果応報がこの世の掟ならば、なおさら私たちは安易な神頼みはあり得ないということをそもそも知るべきであろう。

そんなことは百も承知、それでも正月の一つの仕切り直し、ご挨拶として初詣に参るのであると言われるのであれば、なおさら日頃のお勤めの大切さが分かっておられるであろう。毎日勤めるからこその勤行。仏前に仏飯やお茶湯をお供えして勤行次第を毎朝お勤めなさっておられることであろう。そうしてお勤めをなさっておいでなら、それで終わりではなく、それは何のためなのか、それは自分の生きるということとどう関わりがあるのかをご存知であろう。

勿論経を唱えなくてはダメだというのではない。経を唱えずとも、日頃の行いに気をつけ、自らの心の有り様を観察されるなどすることはいくらでもある。他の人々や生き物と共に良くあるように、自分の物などと狭い考えにとらわれず他と分かち合い、快楽におぼれることなく。相手を思いやり優しく真実を語る。少欲知足を心がけ、誰にも慈しみの心で接して功徳を積み、この世の真実の姿を見据えていくなど。

しかし、勤行次第は読むだけでも一つの行となり、また、そうして仏前に疎かになりがちな仏道への精進を日々誓うものであろう。毎朝、頑張りますと宣言するものなのではないか。それは一生続く。だから仏教徒の人生は精進の一生。最終目標にはお釈迦様の悟りを置いて日々一歩一歩を歩む。勿論それは簡単なものではない。だからこそ歩む意味がある。簡単なものなら一生の、いや何生もの目標たり得ない。何回も何回も生まれ変わって私たちはその目標に向かって生きる。だからいつかその目標が達成される、つまりは悟りの可能性が誰にでもあるのだとも言える。

そして、だからこそ一家で一番尊いものとして仏壇を一番その家の上(かみ)に祀り、その最上部に仏さまを仰いでおられるのではないか。仏壇こそ私たちの生きるすべてを教えて下さっているとも言えよう。その形はこの世の生命のあり方を教え、仏像の澄みきった眼差し、落ち着いた姿勢、静寂、高貴な佇まいは、人としての最高の生き方を教え、たくさんの位牌は人とは死すべきものであるとも教えている。お供えした花もじき萎れ枯れていく。掃除をして綺麗だと思ってもすぐにホコリが目に付くようになる。何事も無常であることを明らかにそこに見せてくれる。時を無駄にせず、何が大切で、どう生きるべきか。そこから私たちは何を学び、日々生きる糧と出来るであろうか。

お天道さまが見てござる。昔の人はそう考えられた。すべてのことに原因がある。すべてのことはそれによって結果する。因果が巡り巡る。すべてのことはあるべくしてある。それはとても厳しい、おそろしい、怖いことでもある。だから、日々精進せよとお釈迦様は最後におっしゃられたのであるまいか。・・・・・。


(追記) 

お参りをして下さるのはありがたいことです。そこからどのように人々の信仰なり信心なりを発展させていけるか。それが大切なことだと思っております。ただ手を合わせ賽銭を投じるだけの行為から、少しいろいろなことに関心を持つ。お寺や神社があれば、何か素通りできない。どんなところかと関心を持つ。手を合わせる。何をしていても、目に見えない何事かの力を感じそれらにありがたく思う。そんなところからひとり一人の人たちが何か目覚めるものがあればいいと思っています。


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