活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

ジョヴァンニ・ニコラオの南蛮工芸

2011-09-03 09:44:01 | 活版印刷のふるさと紀行
 来る来るといわれながら場所によって時折、強い雨足に見舞わら
れる程度で、東京は台風12号予告3日目を迎えています。だから
来るのか、来ないのか落ち着かない気持ちで調べごとをしています。

 その中でジョヴァンニ・ニコラオという見慣れた司祭名に遭遇し
ました。私は彼こそ日本のキリシタン版の第1作、第2作『サント
スの御作業の内抜き書』や『どちりな・きりしたん』の銅版画を描
いたその人だと決めつけ、著作にもそう書いております。

 彼は1581年(天正9)に日本に派遣され、志岐の画学舎、
いまならば工芸学校で絵画や彫刻、オルガンや時計の製作まで工芸
全般を指導しています。おそらく印刷機も手掛けているはずです。

 天草の志岐は大曲塾の研究旅行で訪れ、町長さんに「焼酎」の
大量差し入れで歓迎していただいた町ですが、1570年という
早い段階に南蛮船が入港したことも自慢のひとつでした。

 ニコラオは画学舎で教会の祭壇を飾るための美術工芸を通じて日
本人の画家や工芸家を育成したのです。関ヶ原でパトロンの小西
行長を失ったたこともあって画学舎は志岐から有馬、有馬から長崎
へと転々としますが、彼が生んだすぐれた弟子たちが日本のキリシ
タンの世紀を各地で南蛮美術で彩り、後輩に技術を伝えました。

 私たちがいま、五島の教会めぐりをして、簡素であっても美しい
祭壇や飾り絵に接するとき、そのおおもとはジョヴァンニ・ニコラ
オにあるといえそうです。




コメント
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