活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

『衣道楽』という名のPR誌のハシリ

2011-09-09 15:59:07 | 活版印刷のふるさと紀行
 『衣道楽』きものどうらくと読みます。明治39年、松坂屋が出したPR誌です。
これを出したのは、松坂屋百貨店の創業者の第12代伊藤次郎左衛門佑昌の4男、
第13代伊藤次郎左衛門佑民(すけたみ)で、幼名は守松でした。

 彼は1909年(明治42)、渋沢栄一を団長として、東京・大阪など6大都市の
経済人を中心にした民間人数十人が3か月にわたってアメリカ各地を訪問した渡米
実業団に、33歳の若さで名古屋から参加しました。

 それよりも62年前の岩倉視察団とは違い、1908年に訪日して来た米国実業団
との交歓・交流の色合いもあって全米で大歓迎を受け、かなり熱心に民間経済外交を
進めたと視察団でした。

 さて、その視察団に伊藤銀行取締役の肩書で参加した守松は、そのとき、家業であ
る伊藤呉服店の経営を任されておりましたからアメリカのデパートから学ぶことが多
かったに違いありません。
 その証拠に帰国した明治43年3月1日に、名古屋の栄町にデパートを建築するこ
とにしました。呉服店からデパートへ、大英断でした。当時、東京上野も名古屋も
いとう呉服店でしたから大改革だったといえます。
 
 渡米実業団参加や渋沢栄一の影響もあってか、その後の彼は、関東大震災のときの
活躍、銀座に初めての百貨店進出などめざましい動きを見せました。

 PR誌『衣道楽』を出したのも30歳になるかならぬときでしたから着眼点が良い
人だったといえましょう。
 
 私事になりますが、実は私自身が昭和39年から昭和48年まで、松坂屋のPR誌
『新装』の制作にたずさわりました。大正から続く歴史のあるPR誌だっただけに
姿を消したのは残念です。次回もこの話つづけます。
コメント
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