活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

活字を「平成」で消してよいのか

2012-06-28 11:03:50 | 活版印刷のふるさと紀行

 『活字礼讃』の最後の方に森孝一さんの「活字中毒者の独言」という一文があります。森さんも指摘されていますが、活字中毒者ということばは、ひと昔前に本好きの人の代名詞に使われていたはずですが、今はまったく耳にしなくなってしまいました。

 文字通りの活字中毒者のみなさんが、それぞれ、いかに「活版印刷」を「活字」を愛しているか、「活字文化」の消滅に不安と怖れを抱いているかをせつせつと訴えているのが、私が紹介する『活字礼讃』という本です。巻頭の刊行に寄せてと巻末の跋をふくめて28人の執筆者の述懐を一篇ずつ、合槌を打ちながら読んでいると、同病の私としてはついつい思わぬ時間を過ごしてしまうのです。

 造形詩人の金田理恵さんの八丁堀の京橋岩田母型(いまの(株)イワタか)に足りない活字を買いに行き、葉書大の印刷を自分の手で組版から手がける楽しみの告白、グラフィックデザイナーの中垣信夫さんの活版印刷は有機野菜に似た存在で一部の人が必死に守っているという表現が私にはは気に入りました。また、矢立丈夫さん「活字という深い文化」の一篇では、活字は美しい、活字は活きている、活字のインクは美しい、活字の精密さとデザインの新鮮さ等々の小見出しだけにもそうだ、そうだと賛意を表してしまい、活版印刷や活字を年間100億円くらいの基金で稼働させながら残していきたいという提案には心から賛同しました。出版デジタル機構に170億円出すことを決めた政府にせめて活版印刷存続にも同額出してもらいたいものです。

 そういえば、ブックデザイナーの日下潤一さんは「活字が無い」と題した寄稿を〝活版印刷を文化財として保存しようという動きにはボクは興味がない〟と書き始めておられます。全体を読みますと活字書体の美しさが論点ですが、私も活版印刷を博物館に押し込めては意味がないと思います。矢立さんや日下さんがいみじくも主張されているように、明治・大正・昭和と辿ってきた活版印刷や活字を平成で見限り、廃棄してしまってよいものでしょうか。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする