活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

近江八幡を歩く

2013-11-17 11:05:44 | 活版印刷のふるさと紀行
 七五三の季節。振り出しの「日牟禮八幡宮」にも七五三の祝い幕が風に舞っていました。この社は千年以上の歴史を持ち八幡祭りや左義長の火祭りでも知られていますが、入母屋づくりの立派な昇殿にかつて近江商人の守護神として信仰を集めていた歴史が偲ばれました。

 迂闊にも水郷八幡めぐりの看板を見て、近江八幡に「八幡堀」という運河のあることを知りました。豊臣秀次が八幡山城下発展のために四百年前に掘ったといい、それが今では近江八幡の景観ベストワンになっているといいいます。橋の上で観光客が「ここ、ここ、鬼平犯科帳に出ていたじゃん」といっていましたが、時代劇のロケ地としても重宝されているそうです。

 趣深い民家や商家のたたずまいを見ながら歩くのは楽しい。これも知らなかったことですが明治の後半、近江八幡で活躍したウィリアム・メレル・ヴォーリズの代表的な建築ヴォーリズ記念病院などの建築群をめぐったのも参考になりました。メンソレターム(現メンターム)や近江兄弟社はよく知っていましたが、これもヴォーリズが輸入にかかわったのがはじめで、資料館に立ち寄りました。

 食い物談義をしてはいけませんが、近江八幡は旨いものの町、3、4日は滞在して食べまくりたい町でもありました。近江牛や湖魚料理の老舗もさることながら、名物赤こんにゃくや麩の料理、甘味としては、かねて贔屓の東京のデパートにも出店している有名店が日牟禮八幡の境内にありましたし、あちこちで見かけたでっち羊羹や黒ういろもたべてみたかった。ひとつ、うれしかったのは、水郷めぐりの発着所のそばの郷土館で求めた琵琶湖産のウナギの佃煮、
帰京してからのお茶漬けにぴったりでした。
コメント
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