活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

バダバダダバダバダと八丁堀を散歩する

2015-01-27 21:23:05 | 活版印刷のふるさと紀行

 久しぶりに暖かい日、八丁堀を歩きました。町歩きというのは不思議なものでその日の気分で新しい発見があります。

 きょうは亀島橋のたもとでにぎゃかに旗さしものを林立させた大船のイラストに目をとめました。幕府御用船「天地丸」とあります。このあたりに幕府の御用船を管理する御船手組屋敷というのがあって1600年代に向井将監忠勝など向井家が頭をつとめていたので将監河岸と呼んだと説明がありました。

 それよりずっとあと、明治の中頃に霊岸島汽船発着所がおかれてここから房総半島、伊豆半島、大島、八丈島あたりに通う船が出たことは知っていましたが、江戸時代の八丁堀界隈は池波正太郎さんの『鬼平犯科帳』の与力・同心の組屋敷とは別の顔、新川あたりの酒問屋をはじめ問屋の町であり、亀島川は物流の船の行き来で賑やかな顏があったようです。「天地丸」もいまならさしづめ高速を飛ばすギンギラ銀のトラックみたいに派手な存在だったのでしょう。

 ふっとみると隣に「堀部安兵衛武庸之碑」がありました。赤穂義士のひとりとして三十四歳で没しているとは。若かったのですね。

        それと、八丁堀には昔から親しくしている印刷屋さんがたくさんありました。過去形なのは廃業されたり、、亡くなられた方がいらっしゃるからですが、みなさん誇り高い職人さんでした。

 やや巻き舌の東京弁で手持ちの珍しい欧文活字を披露してくれた人、自慢のポスターの刷りを仕事場の奥からひっぱりだして見せてくれた人、みんな底抜けに明るくて八丁堀の印刷屋さんでした。         

私は八丁堀とはなんとなく気が合うのです。楽しい雰囲気で気軽に 飲み食いできる店がたくさんありますし、若い人が多いし、東京駅も目の前です。笑われそうですが、フランス映画の「男と女」の、あのバダバダダバダというスキャットのところを歩きながらつい、口ずさんでしまいます。

 



 

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