活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

フェリーペ2世のこと、その1

2012-03-16 11:59:12 | 活版印刷のふるさと紀行
 神田川大曲塾の塾長樺山紘一先生の毎日曜日、日経新聞文化欄連載『欧人異聞』
は楽しい読み物です。「異聞」ですから次から次へ知らなかったエピソードが登場
します。

 その樺山門下の塾生でありながら、私は異聞どころか「正史」が頭に入っていない
のですから、われながら情けない思いです。受験勉強のせいにしたくありませんが、
コマ切れ知識ばかりで、とくに系統的なヨーロッパ史に弱いのが致命的な欠陥です。

 たとえば、活版印刷術を日本にもたらした天正遣欧少年使節が訪問先で親しく会う
ことができた一人にフェリーペ2世がいます。日本を発つときはスン国王としての謁見
が予定されていたのですが、1584年11月14日マドリードの宮殿でおそるおそる彼らが
進み出たときのフェリーペはスペイン国王であり、ポルトガル国王を兼ねるようにな
っておりました。

 フェリーペの父親はマゼランの世界一周を支援したカルロス1世、母親はポルトガル
王女のイザベルでした。この二人の間にフェリーペが誕生したのが1526年のこと、1556
年30歳でカルロス1世の跡をついでいます。時代としてはポルトガル人が種子島に漂着
したのが1543年ですから、ほぼ同時代です。日本とちがって、ヨーロッパでは言語や国
の垣根を越えて婚姻がなされ、新しい王家ができる事情など、受験勉強では割愛して
済ましてきた気がします。

 フェリーペも父に劣らず活躍します。オスマントルコとの戦争で国威を発揚しますし、
父親の向こうを張ってコロンブスのアメリカ大陸発見に力を貸します。銀を介しての
経済力の向上にも政治力を発揮します。イスラムからカトリックへと大きく世の中を
変えたのもフェリーペといっていいでしょう。

 このフェリーペが文化面では「印刷」にかなりテコ入れをしていたらしいのです。
その点については次回。


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1 コメント

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みゆき (miyuki28k@yahoo.co.jp)
2012-03-16 19:04:11
はじめまして!ノヽ口―_φ(゜▽゜*)♪ 初めてコメント残していきます、おもしろい内容だったのでコメント残していきますねー私もブログ書いてるのでよければ相互リンクしませんか?私のブログでもあなたのブログの紹介したいです、私のブログもよかったら見に来てくださいね!コメント残していってくれれば連絡もとれるので待ってますねーそいじゃ。+゜☆゜+。★。+゜☆゜+。★。+゜☆゜+。★。+゜☆゜+。アドレス残していくのでメールしてね!そいじゃ。+゜☆゜+。★。+゜☆゜+。★。+゜☆゜+。★。+゜☆゜+。

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