私は口之津の海辺の宿が好きです。とくに、取材を終えて宿へ入る前のひととき、真っ赤な夕日の中に身を置くとき、一種の高ぶりさえ感じられてたまらなく好きです。
夕焼けに染まる山や田園風景、あるいは林立するビル群の間に落ちて行く太陽を見る機会はよくありますが、空と海を茜色に染める光景はめったにないからでしょう。私が海辺の人間ではなく内陸人間のせいでしょうか。
なぜこんなこと申しますかといううと、日本で活字印刷が始まった当時、つまり今から430年前の頃、加津佐と有馬の間の人の行き来を考える場合、私はが陸路を考えての発言しますと、対談相手の口之津や加津佐の人はまず、海路の場合を示唆されるのが当たり前でした。
もちろん、当時の道なき道をたどるより海路の方が手っ取り早いということからもあろうかとは思いましたが、どうも、そればかりではなく、いろいろな話をするうちに、人間、内陸の人と海辺の人では思考回路に相違があるのではと考えることがありました。