活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

新聞が、木版から活字、活版になるのに

2009-07-25 10:35:31 | 活版印刷のふるさと紀行
 神田川大曲塾の研究会のあと、みんなで横浜開港資料館に立ち寄りました。
 三連休でしかも開港150周年イベントの最中とあって館内は大変な人でした。ここにも、幕末・明治のメディアがたくさん収蔵・展示されています。


『横浜毎日新聞』を明治5年(1872)に出した横浜活版社は県下郡部の農村に新聞を普及させるために、飛脚を使って配達することを県に願い出たようです。
 おもしろいことに、購読料は村持ちでした。それでも月銀24匁の負担が苦しい村もあったようです。

 ところで、新聞博物館や開港資料館では、日本の黎明期の新聞をたくさん目にすることが出来ました。
 文久2年(1862)1月に洋書調所においてジャワから来たオランダ語の新聞を日本語になおして木活字で印刷したのが『バタビヤ新聞』です。この印刷にオランダ政府から幕府に贈られたスタンホープの手引き印刷機が使われたことをはじめて知りました。

 このような翻訳新聞ではなく、日本人の手で作られた新聞としては、京都の『太政官日誌』冊子体で木版、江戸の『中外新聞』冊子体、木版の2つをあげることができます。
 ジョセフ・ヒコの『海外新聞』は日本最初の民間新聞とされていますが、元治元年に『新聞誌』として手書きでスタートし、題号を海外新聞に改めてから木版になりました。

 木版から活字になったのはブラックの『日新真事誌』が明治6年に木活字、『朝野新聞』明治12年が4号活字、読売新聞の明治7年が5号活字、東京朝日新聞、明治12年が5号活字といった具合の展開でした。
瓦版時代からはじまって新聞が木版から活字になるまで、意外に時間がかかっております。




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