活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

さくら紀行3 五万石でも岡崎様は

2012-04-12 15:06:13 | Weblog
 岡崎の町の真ん中を流れているのが一級河川乙川(おとがわ)です。たしかに
そうかも知れませんが「五万石でも岡崎様はお城下まで船が着く」、あの岡崎城の
下まで舟で行けた川の名前は土地っ子には菅生川(すごうがわ)として親しまれて
来たはずです。その証拠に家康の産土神の菅生神社が川っぷちにあります。
 そしてこの川こそ、もうちょっと下流では、幼い日の秀吉(日吉丸)が蜂須賀小六
に拾われた矢作川(やはぎがわ)に名前を変えるのです。

 岡崎は多少知っているつもりなので、こんな川の名前の講釈から始めてすいません。
薄暮の中を桜の名所岡崎公園の隣のグランドホテルにチェックインしました。
 
 ホテルの前の道は桜が満開、ちょっと先の堤防の砂州から公園まで屋台のテントが
延々とつづいています。
 ホテルの窓からはライトアップされた岡崎城がくっきり白い天主閣を夜空に浮かべ
ておりましたが、夜桜見物に入って行った公園の中では花枝を伸ばした桜やほかの樹
がじゃまして城が見えません。

 夜桜といっても酔っ払いや底抜けの喧噪が伝わって来ませんでした。おとなしい花見
客です。岡崎という町は今川や織田に囚われの身になっていた家康をひたすら忍従とい
った形で待ち続けた先祖の生真面目さ、我慢強さ、悪く言えば覇気のなさが今に伝わっ
ているのでしょうか。 東海道線も新幹線も町中を走らせなかった、人口や経済力でも
豊田市や一宮市に追い抜かれてしまった岡崎の大人しさに少し歯がゆい思いをした夜で
した。

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