寺島家への道!!

子どもの成長と家族の成長をつらつらと

風邪にあらず

2007年01月31日 20時03分50秒 | 2007年1月

 ここ数週間続いている咳の原因は風邪ではなく、人生2回目にして、約7年ぶりの『マイコプラズマ肺炎』でした。 肺炎か ・   ・   ・ 

 そして本日、人生初めての『点滴』を味わってきました。

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午後有休

2007年01月23日 22時12分15秒 | 2007年1月

 Photo_1291月第1週からず~っと咳が止まらず、しかし熱も出ず、中途半端な状態がまだ続いて いる。 朝から晩まで連日のように職場でも『ゲホゲホ』としていたら、とうとう上Photo_130司から『お願いだから病院へ行ってください』と言われ、午後有休を頂 いた。我が家の近所(徒歩10秒)の医者に行き、数日前から咳が出ている音琶と、付き添いの嫁さんと親子3人で行って来た。 診察が終わり、パンの準備をして、実家に居る響生を迎えに行き、響生と一緒にフランスパン作りに励む。 あの固いパンを響生も音琶ちゃんも実に気に入っていて、バリPhoto_131 バリと音を立てて食べるらしい。 フランスパンはバターを使わないので健康にも、家計にもやさしい。 たまにあわてて食べると口の中を切ってしまうけど・・・。 今のところ響生はパン屋さんになりたいらしい。 『だって毎日パンを食べられるんPhoto_132だもの』。 本当に台所の好きな息子である。 ぼくの実家に行っても、妻の実家に行っても、お祖母ちゃんの近くをウロウロして、椅子を引っ張り出してきて はその上に立ち、じ~っと観察している。 しかし先日義母がイカの調理ではらわたを出しているのを見て、頭を抱えて逃げ出したそうだ。 いろんなことに興味を持つ年頃なんだなぁと実感しました。 

 しかし、つくづくパンとラッパと子どもの事ばかりだな、ぼくのブログって・・・

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らっぱ漬け

2007年01月21日 21時58分42秒 | 2007年1月

 昨日はお昼前から妻と子どもを妻の実家へ残し、新年一発目の『カマーズバンド』の練習に行ってきた。 来年度の課題曲を演ったが、今年は行進曲の年なので5曲ともすべてマーチ。 そのうちの1曲はアラビアン調のマーチ・・・。 この手の曲はやっぱり『白鳳狂詩曲』が一番だな。その後久しぶりの『アルメニアンダンス』 そしてこれまた有名な『アルバーマー序曲』。 夜はカマキリ先生こと藤森章先生を囲んでOB会。 先生から『てら、早く息子を楽団に連れて来い。』とお言葉をいただいた。 本日はリバーサイドブラスの練習。 2月4日、10日のステージに向けての練習。 ロッキーⅡ序曲と剣の舞、おもちゃの交響曲、魔笛よりオレは鳥刺し等々を練習した。 響生は僕らのリバーサイドブラスで一緒に吹くのが夢らしい。 『リバーサイドブラスで一緒に“うるさいトランペット”を吹くんだよ』・・・息子よ、うるさいのはお父さんのトランペットだけだぞ、言っておくけど。

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給与処理前の平日

2007年01月17日 22時42分04秒 | 2007年1月

Photo_126  明日から給与処理が始まる。 ついこの間年末調整でヒーヒー言っていたのに本当に早いものだなぁ。 しかしどんなに早く給料日が来ても、2_15ちゃんと残高も無くなるから不思議なものです。  

 ここのところ食後にガーシュウィンの『ラプソディー イン ブルー』を聴いている。 RSB用に楽譜を起こしているからだけど、おかげで響生もところどころ数種類のフレーズを口ずさむようになった。 音琶にいたってはおもちゃのサックス Photo_128ープはあまり上手に出来なかったものの、オーブンから出したパンを響生に見せると『お父さん、パンがピチピチピチって言ってるね』。 親子でウットリ!!明日の朝食を楽しみにしつつ、穏やかな平日が過ぎていくのでした。

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食品業界

2007年01月14日 22時32分05秒 | 2007年1月

 最近大手洋菓子メーカーのずさんな管理体制が問題となった。思い起こせば食品業界には様々な事件があった。ヒ素ミルク、生乳のリサイクル、賞味期限偽造・・・。 人事部とは言え、食品業界に身を置く者として他人事ではない。 僕の父親も長野県内では名の知れた牛乳会社に勤務していた。 伊那、長野、静岡の工場長を経験し、55歳を過ぎても嘱託にならず長野工場長を再び任され、そのまま役員になる予定だったらしい。 本社のある東京の会議の後、いつもならまっすぐ帰ってくるはずの親父から『今日はムシャクシャして飲みすぎたからカプセルホテルに泊まる』と電話があった。 翌日話を聞いたら内容はこうだった。 生乳の本拠地の伊那工場の品質管理(しかも細菌数の検査)を農学部の学生に任せると、親会社である製薬会社からの出向の社長が言い出したらしい。 当然親父は猛反対した。 主力の生乳の要の部門を知識だけの学生に任せられないと社長に意見を述べた。 親父は『間違っていると思ったら上司だろうと反対意見を述べる』が信条の人間なので(この血は実に見事に僕に流れています)、会社のことを考え反対した。 しかし役員はじめ他の工場長も社長の意見に賛成した。 皆社長のイエスマンだったそうだ。 会議の席で1人反対した親父は社長から疎まれ、とうとう役員にはならずに定年を迎えました。定年退職の翌月、1998年4月、伊那工場で製造した学校給食の牛乳を飲んだ子ども達から異常な苦味を訴えられ、検査の結果、通常の数万倍の細菌が検出された。1万5千パックを回収した2年後、全ての製造を停止し、翌年会社が解散してしまった。 その社長は親会社にもどり窓際に追いやられたそうだ。 『ざま-見ろだな』といった僕の顔を見ながら、悔しそうに、悲しそうに『食品は人の命に関る物だから、絶対にウソをついちゃいけない。いい加減なことをしてはいけない』と呟いた。 子どもの頃僕と兄は1日に牛乳を1?ずつ飲んでいた。 他メーカーの水でうすめていた学校給食の牛乳はマズイと思っていた。 今の僕があるのもその解散してしまった会社があったからだ。 不祥事をおこした洋菓子メーカーはフランチャイズの店に休業補償を発表したが、一度失った信頼は取り返すのに時間がかかるどころか、二度と取り返せない恐れだってある。 誇りを持って消費者に提供し、生活の糧にしていた方はこれから一体どうするのだろう。

 今僕の親父は自宅でヨーグルトを作っている。僕も、妻も子供達も美味しく食べている。 おかげで響生などは市販のヨーグルトを一切食べない(美味しく無いらしい)。 きめが細かく、ゼラチンで固めてもいないがとてもクリーミーで、砂糖を入れなくてもそのまま食べられる。 いつか親父にヨーグルト作りを教えてもらおうと思っている。 その時はきっと数十年ぶりに『だめだ、それじゃ。真面目にやれ、真面目に!!』 と怒られるんだろうな・・・ 

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