写真師の「新カメラ日記」

JRP会員の橘が日々の事、撮影日記などを記録していきます。

原爆忌 哀しみと希望を

2017年08月06日 | 写真日記
    [原爆詩集]

爆心地から3000メートルで被爆した峠三吉さんが「・・・略・・・広島の私たちから全世界の人々、人々の中にどんな場合にでもひさやかにまばたいている生得の瞳への、人間としてふとしたとき自他への思いやりとしてさしのべされざるを得ぬ優しい手の中へのせい一ぱいの贈り物である。どうかこの心を受け取っていただきたい。・・・略・・・この詩集はすべての人間を愛する人たちへの贈り物であると共に、そうした人々への警告の書でもある。一九五二,五,一〇 峠三吉」とあとがきに記している青木文庫版の「原爆詩集」です。
最初は1951年の広島平和大会のために造られたガリ版刷り本としてつくられ瞬くうちに無くなり、その翌年に青木書店から文庫版として出版されたものです。
  序
ちちをかえせ ははをかえせ/としよりをかえせ/こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる/にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり/くずれぬへいわを/へいわをかえせ

あまりにも知られている詩集の最初の作品ですが・・・、詩集を読み進むと彼の絶望と怒りと希望が深く深く読む人の胸に沁みこんできます。
原爆詩集は現在岩波文庫、合同出版などから発売されているので是非ご一読を。

    [平和詩集]
1965年の「第11回原水爆禁止世界大会」(東京大会)に向けて広島市人会議グループが被爆20周年事業として制作した詩集です。
「・・・略・・・広島市人会議が今回企てた『平和詩集』の編集の仕事は峠三吉の遺した仕事を承け継ぎ、それを世界の平和が危険に曝されている今日の緊迫した内外の情勢のなかで発展させようとする重要な意義をもつ・・・略・・・」と戦後の民主的な詩運動をすすめた壺井繁治(故人)が「平和詩集のために」として書いています。
私はこの世界大会に参加し会場で買い求めた一冊です。

  「八月の残酷 あるいは平和について」 壺井繁治
八月にだけ/残酷だったというか、彼らは?/ヒロシマと/ナガサキの/上空でだけ/残酷だったというのか、彼らは
・・・後略・・・

約90人の有名無名の詩人が60年代の平和を巡る新展開に危機感と平和への希望をないまぜて創った詩の数々は今日でも読むに値する作品が集まっています。

    [ヒロシマへ 平和行進]

  「平和ボケ」の世こそ永久にと原爆忌

今年も我が家の前をヒロシマへ向かう「平和行進」が通り過ぎて行きました。
そのときの写真と組み合わせての私のフォト俳句です。

  「原爆許すまじ」の声に飛び出す孫愛し灯りかざして隊列を送る
こちらはフォト短歌として創った短歌です。

今年の原爆忌は国連で可決された被爆者と日本国民の悲願ともいえる「核兵器禁止条約」が可決されそのための被爆者の努力が国際的に高く評価されました。
ところが安倍内閣の日本政府はこの条約交渉をボイコットし、この条約の批准も条約への協力もしないと公言しています。
国民の思いを明らかにするためには来たるべき総選挙で核兵器推進を否定できない安倍自公内閣にレッドカードをつきつけなければならないですね。

今日は原爆忌にちなんだ写真二枚をアップして文字の多くなったブログ[写真師の新カメラ日記]更新です。



当ブログの親サイトは[ぎゃらりーたちばな]です。
ブログで公開した写真はフォトチャンネルでアルバムになっています。どうか時間があればそちらもご覧ください。
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