写真師の「新カメラ日記」

JRP会員の橘が日々の事、撮影日記などを記録していきます。

山里に秋 長詩「十五円五十銭」

2017年08月29日 | 写真日記
    [山里に秋]

「光のシャワー」
金沢市南部の山里の谷を下って川床近くの用水の取水口近く。
川向の林の木々の合間から朝陽がシャワーのように降りかかっていました。

「蜘蛛の巣繕い」

前日の強風と大雨ですっかり壊された蜘蛛の巣。
朝からせっせと巣作りが始まっていました。
この小さな体から絶え間なく出てくる細い糸が放射状の縦糸をくぐりながら円形の巣を作りだしていました。

    [十五円五十銭]

小池百合子都知事の動向で改めてクローズアップされた関東大震災に乗じて軍や警察、「自警団」によって起こされた朝鮮人虐殺や社会主義者・自由主義者の虐殺。
私と同郷の詩人壺井繁治(小説家 壺井栄のご主人)はその時のことを後に臨場感と危機感あふれる約200行に及ぶ長詩として発表しています。
次は詩の中の、自らも震災の混乱から避難の途中危うく朝鮮人と間違われるところを免れて乗った避難列車のなかの殺気立った兵士と自警団が朝鮮人を見つけ出そうとする場面を描いた一節です。

あれは、いったいどこの駅だったろう
僕らの列車があるちいさな駅にとまると
例の通り剣付鉄砲の兵隊が車内検索にやって来た
彼は牛のように大きな眼をしていた
その大きな眼で車内をじろじろ見まわしていたが
突然、僕の隣りにしゃがんでいる印半纏の男を指して怒鳴った
 十五円五十銭いってみろ!
指されたその男は
兵隊の訊問があまりに突飛なので
その意味がなかなかつかめず
しばらく間、ぼんやりしていたが
やがて立派な日本語で答えた
  ジュウゴエンゴジッセン
  よし!
剣付鉄砲のたちさった後で
僕は隣りの男の顔を横目で見ながら
  ジュウゴエンゴジッセン
  ジュウゴエンゴジッセン
と何度もこころの中でくりかえしてみた
そしてその訊問の意味がようやくのみこめた
ああ、若しその印半纏が朝鮮人だったら
そして「ジュウゴエンゴジッセン」を
「チュウコエンコチッセン」と発言したならば
彼はその場からすぐ引き立てられていったであろう

国を奪われ
言葉を奪われ
最後に生命まで奪われた朝鮮の犠牲者よ
僕はその数を数えることはできぬ

この長詩の最後は犠牲となった朝鮮人に向かってこう呼びかけています
「君たち自身が生身にうけた残虐を語れぬならば/君たちに代わって語るものに語らせよう/いまこそ/押しつけられた日本語の代わりに/奪いかえした/親譲りの/純粋の朝鮮語で(1947.08作)

今日は早朝から北朝鮮のミサイル発射との関連で、テレビはまるで戦争前夜のような大騒ぎ。
総理大臣や官房長官、そして閣僚たちは奇妙に高揚してテレビカメラの前に立ち盛んに北朝鮮による「危機」なるものを語り続けています。
もちろん私も北朝鮮の好戦的なやり方を容認できませんし、断固抗議したいと思います。
ただ日本政府がやらなければならないことは日本国民が戦争やミサイル誤爆の危険に合わないように軍事的な対抗手段でなくて、文字通り政治的・外交的な努力を続けるべきだと思います。

今日は南部丘陵の朝写真二枚と壺井繁治の長詩「十五円五十銭」を紹介してブログ[写真師の新カメラ日記]更新です。



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