冷たい五月雨の続く5月末の金沢、なんとも薄ら寒く春の無いままに冷夏を迎えるのか?と思う日々ですが・・・
そんななかで「私たちの季節だ!」とばかりにしっとりと水面をうずめて咲いています。
花言葉は「幸せを掴む」「信じるものの幸福」など願いのこもる素敵な花言葉です。
ただ「復讐」「消息」という花言葉もあるようです。
そんななかで「私たちの季節だ!」とばかりにしっとりと水面をうずめて咲いています。
花言葉は「幸せを掴む」「信じるものの幸福」など願いのこもる素敵な花言葉です。
ただ「復讐」「消息」という花言葉もあるようです。
5月はじめの連休の後も金沢では天候不順が続いて開花の遅れていた我が家近くにある富樫バラ園の薔薇も月末になって五月雨の中で咲き始めました。
そんなバラ園に何度か通って撮った薔薇の花をスライドショーにして公開しました。どうかご覧ください。
デジブック 『バラのしずく』
そんなバラ園に何度か通って撮った薔薇の花をスライドショーにして公開しました。どうかご覧ください。
デジブック 『バラのしずく』
日本を「戦争できる国」にしようと、当時の政権与党の自民・公明を中心に民主などの改憲派議員が加わって「戦争放棄」を明記した憲法の9条を無くすることが現実味を帯びていたときに、憲法9条を守ろうと大江健三郎・加藤周一・井上ひさし・澤地久枝・小森陽一さんなど9人の著名文化人などの呼びかけで始まった草の根運動としての「9条の会」などと連帯する地域の文化、表現活動に携わる人たちが始めた催しが今年で4年目となりました。
今年も8月29日に第4回目の「いしかわピース9フェスティバル」が金沢市民芸術村で行われます。私の参加する「日本リアリズム写真集団かなざわ支部」も写真の展示を予定しています。
ステージでは、コーラス、ロック、フォーク、踊り、紙芝居、器楽演奏…
展示部門では、写真、絵画、絵手紙、川柳、短歌、詩画、キルト、友禅…
それぞれが自分の出来ることを通じて平和について考えることが大切だと考えています。
フェスティバルの開かれる8月は、日本では平和を考える期間となっています。このブログを読むことを機にあなたにも「平和」「9条」を考えてほしいと思います。
今日の写真は金沢市南部丘陵の夕景です。
今年も8月29日に第4回目の「いしかわピース9フェスティバル」が金沢市民芸術村で行われます。私の参加する「日本リアリズム写真集団かなざわ支部」も写真の展示を予定しています。
ステージでは、コーラス、ロック、フォーク、踊り、紙芝居、器楽演奏…
展示部門では、写真、絵画、絵手紙、川柳、短歌、詩画、キルト、友禅…
それぞれが自分の出来ることを通じて平和について考えることが大切だと考えています。
フェスティバルの開かれる8月は、日本では平和を考える期間となっています。このブログを読むことを機にあなたにも「平和」「9条」を考えてほしいと思います。
今日の写真は金沢市南部丘陵の夕景です。
今年も郭公の声が響く季節が来た。初夏になると近くの造園業者の庭にある木々に宿を構えて「カッコー、カッコー」の声でこの街に夜明けを告げてくれている。
5月下旬になってその声が聞こえてきたがまだその姿を見せてくれない。というよりもこれまで一度もその姿を見たことが無いのです。
ところが今日はその姿を見せてくれました。声が聞こえてきたのでその声を追うと小高い木の梢で歌っているのが見えましたが、カメラに気づいて飛び立ちました。よく見るとこれまで抱いていたイメージとは違ってハヤブサに似た精悍な姿をしていました。
5月下旬になってその声が聞こえてきたがまだその姿を見せてくれない。というよりもこれまで一度もその姿を見たことが無いのです。
ところが今日はその姿を見せてくれました。声が聞こえてきたのでその声を追うと小高い木の梢で歌っているのが見えましたが、カメラに気づいて飛び立ちました。よく見るとこれまで抱いていたイメージとは違ってハヤブサに似た精悍な姿をしていました。
「生物多様性条約締約国会議」の第10回が2010年に名古屋で開かれるという関係からか、「生物多様性」をテーマにした論議が盛んです。
私の住む石川県では里山、里海の保全を中心にした施策を強めるとの広報活動がマスコミなどを通じて強まっている。
県知事は2008年の第9回ボン会議の関連会議に出席して「石川のSATOYAMAを未来の世代へ」との講演をしたそうです。
里山・里海が生物の多様性を守るために大切だということには異論はありませんが・・・、日々里山のようすを見て回っている身としては見過ごしに出来ないことが多々あります。
いま里山・里海の保全を担っている人たちにとってその仕事は生業として成り立っているのでしょうか?この写真のような棚田での米作りを担っている人たちの多くは「この仕事では食べていけないから子どもたちには跡を継がせることは出来ない」といっています。農業だけでなく林業でも同じ言葉が聞こえてきます。おそらく里海の暮らしでも同じことだと思います。
私はここ10年ほど金沢市の南部丘陵を撮り続けていますが、わずか一月ほどでひとつの山が崩され、谷が埋められて産業廃棄物処理場になった現場も見ました。
前年は水田として多くの生物の拠りどころになっていたのに今年は放棄田として荒れた平地になっていることも多々あります。
里山の生きものたちはわずかな溝の位置の変化でも生命の環が途絶えることがあります。そんな微妙なバランスの上に立つほんとの意味の「生物の多様性」を守っている人たちへの支援を断ち切るような政策を続ける行政のトップがどんなに言葉を飾ろうとも里山の保全や生物の多様性が守られるとは思えません。
参議院選挙を前にして各党の政策を見ながらそんな思いが強くなる日々です。
私の住む石川県では里山、里海の保全を中心にした施策を強めるとの広報活動がマスコミなどを通じて強まっている。
県知事は2008年の第9回ボン会議の関連会議に出席して「石川のSATOYAMAを未来の世代へ」との講演をしたそうです。
里山・里海が生物の多様性を守るために大切だということには異論はありませんが・・・、日々里山のようすを見て回っている身としては見過ごしに出来ないことが多々あります。
いま里山・里海の保全を担っている人たちにとってその仕事は生業として成り立っているのでしょうか?この写真のような棚田での米作りを担っている人たちの多くは「この仕事では食べていけないから子どもたちには跡を継がせることは出来ない」といっています。農業だけでなく林業でも同じ言葉が聞こえてきます。おそらく里海の暮らしでも同じことだと思います。
私はここ10年ほど金沢市の南部丘陵を撮り続けていますが、わずか一月ほどでひとつの山が崩され、谷が埋められて産業廃棄物処理場になった現場も見ました。
前年は水田として多くの生物の拠りどころになっていたのに今年は放棄田として荒れた平地になっていることも多々あります。
里山の生きものたちはわずかな溝の位置の変化でも生命の環が途絶えることがあります。そんな微妙なバランスの上に立つほんとの意味の「生物の多様性」を守っている人たちへの支援を断ち切るような政策を続ける行政のトップがどんなに言葉を飾ろうとも里山の保全や生物の多様性が守られるとは思えません。
参議院選挙を前にして各党の政策を見ながらそんな思いが強くなる日々です。
ニホンカモシカについては「人知れず高山地帯に生きる大型動物」というイメージをもつ人がまだ居るかもしれません。
ところが近年は里山にたくさん生息していて、私の撮影フィールドとなっている金沢市南部丘陵でも気をつければ見ることもできるようになっています。
シャッターを押した後に気がついたのですが・・・、この写真のカモシカの向こうの木陰には仔連れの母カモシカがいて警戒音を発した後一瞬で姿を消しました。
ところが近年は里山にたくさん生息していて、私の撮影フィールドとなっている金沢市南部丘陵でも気をつければ見ることもできるようになっています。
シャッターを押した後に気がついたのですが・・・、この写真のカモシカの向こうの木陰には仔連れの母カモシカがいて警戒音を発した後一瞬で姿を消しました。
北陸の田植えは5月のゴールデンウィークを中心に前後一週間ほどで終了します。里山はそれより少し遅れますが・・・、この時期にはほとんどが終了しています。
山里から見る棚田と丘陵の向こうの加賀平野に広がる水鏡のような広い水田。そしてその向こうの日本海に落ちる夕陽がそれらの水田に反射して作り出す風景は見事なものです。
山里から見る棚田と丘陵の向こうの加賀平野に広がる水鏡のような広い水田。そしてその向こうの日本海に落ちる夕陽がそれらの水田に反射して作り出す風景は見事なものです。
[今週の一枚]に書いたが大阪へ行く機会があり、夜の食事は外でということでホテル近くの商店街を何を食べようかとキョロキョロしながら歩いているとそれなりのレストランを見つけてドアを押した。
さっそくなぜかチャイナドレス風に太ももまで裾が割れて綺麗な足の見える衣装を着た女性に迎えられ、こちらの意向を聞くとこれまたなぜかフラメンコダンスのようによく響く拍手を打って案内係の青年に引き渡された。
オーダーを聞いて料理が出て、というのは普通のレストランと変らないのだが食事代金はレジではなくテーブルに係りの青年が来て精算、その後は例の店内に響き渡る拍手で送り出される。
また店の内装は教会をイメージしたものだそうだが・・・、教会というものの時代・宗派・地域が入り混じった、よく言えば庶民的なおおらかさ、もうひとつの表現を使えば猥雑なイメージの大阪らしいもので、客の出入りのたびに店内には拍手が響き渡り「賑やか」というべきか「喧しい」というべきか、不思議な店だった。
私自身の感想では、なんとも不思議で魅力的なイタリアンレストラン??だった。
写真は綺麗な足の女性の許しを得て2階部分から撮らせていただいた店内の様子です。
料金は庶民的で、味はそれなりに美味しいものです。興味のある方は大阪梅田の阪急東通り商店街近くでお探しください。
さっそくなぜかチャイナドレス風に太ももまで裾が割れて綺麗な足の見える衣装を着た女性に迎えられ、こちらの意向を聞くとこれまたなぜかフラメンコダンスのようによく響く拍手を打って案内係の青年に引き渡された。
オーダーを聞いて料理が出て、というのは普通のレストランと変らないのだが食事代金はレジではなくテーブルに係りの青年が来て精算、その後は例の店内に響き渡る拍手で送り出される。
また店の内装は教会をイメージしたものだそうだが・・・、教会というものの時代・宗派・地域が入り混じった、よく言えば庶民的なおおらかさ、もうひとつの表現を使えば猥雑なイメージの大阪らしいもので、客の出入りのたびに店内には拍手が響き渡り「賑やか」というべきか「喧しい」というべきか、不思議な店だった。
私自身の感想では、なんとも不思議で魅力的なイタリアンレストラン??だった。
写真は綺麗な足の女性の許しを得て2階部分から撮らせていただいた店内の様子です。
料金は庶民的で、味はそれなりに美味しいものです。興味のある方は大阪梅田の阪急東通り商店街近くでお探しください。