HOTなおちゃタイム

保護猫八匹、21歳のリンをはじめとした楽しい日記をお読みくださいね。

骨(化石)好きみっちゃん恐竜展へ行く

2014-06-03 10:46:24 | 考古学

 

名古屋市の科学館の恐竜展

がもう終わりに近いので、あせっていってきました。

恐竜自体もとても興味をひかれますが、

みっちゃんは骨。。化石好きです。

道端に転がる石、それも地球のマグマがかたまってできたもの、

何十億年か前、地球のなかにあったんです。

有名な鍾乳洞、それは大量の微生物の死骸のカルシュウムが蓄積したもの!

それには地球に生物が誕生し、酸素を大量にではきだすストロボトルライト、シアノバクテリアがはきだした酸素により、

今までのメタンガスの空気から地球の空気の成分が変わって、地球が凍りつき・・死に絶えた。・・・・という一大ロマンがあるのでです。。

これはとっても興味がるので、後日記事にしたいと思っています。

道端の石に地球のロマンを感じることが大好きなんです。

それは人類私達が存在するのでは偶然の産物でなく、長いの歴史の上に綿々と続く地球の営み

ほんの四十八億年分の一の存在であるという事実を突き付けられるんですね。

そこが好きなんです

地球の歴史の中で、恐竜は約2億年君臨し、あるとき絶滅しました、。

人類はせいぜい50年!

たぶんそれは数千年に及ぶ地球の寒冷化と関係があるといわれています。

海の上ですら1000メートルの氷が張った時代もあるようです

これはまだまだ検証の余地のある部分です。

とまれ、モンゴルはせかいの恐竜化石発掘の重要ポイントなのです。

白亜期(1億4500万年前から6600万園前のころ)からの大地がそのままあるからなんです。

そこの発掘研究により

恐竜はアジアで生まれあメリカ大陸のほうに進化していったと、

モンゴルの恐竜たちがまだつながっていたアメリカ大陸のほうに発展していったことがわかるのです。

ですから、アメリカで発見されたティラのサウルスなどのもっと原始的な恐竜も見つかるんですね。

今回の見どころもそこら辺がポイントです

1.アジアのティラサウルス・・といわれるタルボサウルス。

ほかにもサウロロフすほか、いろんな成長過程のものが完全にいい状態で発見なされている

2.戦う2体、恐竜がそのままに化石になってるもの

3、恐竜の幼体

あるいは卵が大量に・

・これは恐竜が群れで子育てをしていて証拠とされています。

 

 

卵だけならニューヨークの自然史博物館でも見ましたが。。

ここには残りにくい卵の中味、胚のはいったものも展示されています!!

4、化石の状態がいいので、細部が残っている。

恐竜の食べたもの(、翼竜の骨、)がお腹の中に残っている化石、あるいおはかまれた後の傷のある化石

5.恐竜化石だけでなく当時の環境がわかる花粉、植物の化石も発見されている

6.原始的な鳥類の化石の新種の発見。白亜紀の巨大カメモンゴロケロスの大量発見

まだまだいろいろ・・

他にも学術的にも素晴らしい意義ある発掘であったことが一杯あります。

この発掘は1991年の林原自然博物館とモンゴル科学アカデミー古生物センターの共同調査から始まり、

20年の研究成果の一部が恐竜展されているのです。

私はこの大きな発掘を長年した林原自然史博物館を知りませんでした。

その道の人には有名なんだそうです。

博物館事態一般に公開されてないんですね。

この企業も知りませんでした、経営難から、岡山市との共同経営になっているようです。

詳しくはこちらからも

http://www.city.okayama.jp/muse

um/dino/index.html

古くはアメリカ、フランス、戦後はドイツポーランドが撤退したなか

モンゴル砂漠のきびいしい自然条件のかなか

この長きにわたり、すばらしい発掘に携わった方々の偉業に感謝して、

日本がかかわることができたのを嬉しく思います。

胸がわくわく踊り何時間でも見ていたい。

そんな恐竜展でした。

今日のヒロちゃん

ママ~ネズミは?

 

あったよ

 

哺乳類の祖先のものが。

まだまだ存在が小さいんだよ

 

 

読んでくださってありがとう

 

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日本の土器は世界最古?

2009-10-03 16:22:22 | 考古学
以前中国に旅行をして殷王朝の銅器、甲骨文字などなど山ほど見た。、
そのとき、素朴に、あれ!日本の縄文時代は確か一万7千年位前なのに、殷王朝はBC2000年くらいからだからの日本のほうが古いじゃん
国家の形態をしていなかったからなあ
  
      <どうしてなんかなあ>
中国文明は世界四大古代文明発祥のひとつとか習った。それは西洋文明中心のはなはだ偏った史観だと思うのだが、、いろいろ発掘が進んで情報がいっぱい出てきても、黄河文明の前期に当たるの殷王朝が古いことは間違いがない。

     <そこで調べてみた。> 


縄文土器の出現はどうやら氷期が終了する前の事であり、世界的にみて非常に古いものだが、大陸側の極東地域には同時期の土器文化の存在が知られ、東アジア一帯で世界最古期の土器が同時並行的に出現したとみられており、相互の関係が注目される。現在までに知られている土器の中で最古の土器は青森県大平山元I遺跡や茨城県後野遺跡などから出土した文様のない無文土器であり、大平山元遺跡から発見された土器の年代測定の算定は16,500年(暦年較正年代法による)とされている|



    今日の新聞に日本の土器世界最古なの?という記事をみた。

ヤッパリ、現在世界最古と見られるのは、青森県大平山元1遺跡の縄文土器だそうだ
これは一万6千年まえのものらしい。

多くの研究者は遅くとも一万5千年前には、日本列島で土器が使われていた。と考えている。 所が他地域の最古の土器を見ると、南アジア西アジア、アフリカが約9000年前、ヨーロッパが約8500年前、学校で習ったいわゆる「四大文明」の故地としても日本は飛びぬけて古い。「でもロシアのグロマトウハ遺跡などでは、一万5千年前と見られる土器が見つかっている。日本だけが古いというより、東アジア全体で古い時期に土器がうまれたと見るべきだ」と東京・池袋のサンシャインシティにある古代オリエント博物館の津本英利さんはかたる.
今、古代オリエント博物館でこんな催し物をやっています。


詳しくはこちらからどうぞ
http://www.sa.il24.net/~aom/
この記事の上が世界最古の文無土器の写真です。その写真の上部は石器です。 ヤッパリみちゃんの思ったとおりです。ナンセ昔のコトはよくわからないので楽しいですね




ナンセ見たことがない世界を実証していくのだから、新しい証拠が出てくると、白が黒に変ることもある。おもしろいですね、 
ウエげナーの大陸移動説も地図を見ていてアフリカと南アメリカの海岸線がくみあわさりそうなのから思いついたという。
当事は相手にされなかったそうだが
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恐竜ティラノサウルスの歴史が変る化石の発見

2009-06-24 18:12:57 | 考古学
土曜日に新聞記事にのりました。



切り抜いておいたところ昨日NHKのニュースでも、同じ報道がされていました。




小さな2本の歯で、長さ18ミリ、幅6ミリ、と、長さ8ミリ幅5ミリ。

歯の大きさから体長約5メートルと推測される。


兵庫県丹波市の前期白亜紀の地層「篠山層群」下部層(約1億4千万年~1億2千万年前)から見つかった

国内最大級のの植物食恐竜(丹波竜)発掘調査の過程で3月に見つかったそうです。

ティラノサウルスは約8400万年前ごろには10メートルを越していた。
ところが、1億2500年前ごろは、1~3メートルという小型であって、約4000万年の間が化石が見つかっていないそうです。
今年の4月に中国の甘粛省で、約1億1200万年前~9900万年前と見られる地層から、大型化が進み始めたティラノサウルスの頭や足の化石が見つかった。

今回の発見はそれ数千万年遡るという。

ニューヨーク自然史博物館の恐竜化石の数や種類には圧倒さえたけれど、
ティラノサウルスのルーツはアジアでは、、といわれだしたそうです。



ほんの30年ぐらい前で、日本は古代は海で、恐竜はいないといわれていた、{

海の恐竜「フタバスズキ竜」が見つけられたとき、化石フアンは胸をときめかしたという。

今回、ティラノサウルスの歴史を変える化石が発見されたなんて、


一重に化石に対する情熱を持ち続ける研究者の方々の努力の結晶もあるとおもう、

この先どんな発見があるのか、、

この地層はこれからも楽しみです。


秋に福井県恐竜博物館に行く予定が、またまた楽しみになってきました。
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ついに化石付月刊誌発売、化石好きの私は、、、

2009-06-10 15:42:22 | 考古学
今日の新聞に、化石付の月刊誌が発売されると広告を見つけました。


「ええ!?化石というのは、古代からのロマンのメッセージ!

苦労して掘り出してこそ、手に入れたときの喜びや価値がますというもの。
お金を出せば手にはいるというようなことをしていいのか、、」と思いました。

でも、ほんとはどんなものなのだろうと、興味しんしんです。

ほぼ買う気です。

だって天下の朝日新聞の系統の朝日新聞出版が、だすものですから、そんないい加減なものではないでしょう!



具体的なプログラム内容



ヤッパリ、1号のアンモナイトの一種ゴニアタイトが興味があります。


でも化石の普通の相場値段からして、1800円だとどんなものがつくのか
デパートではアメリカ産のもので大きさや色や種類によるけれど、そんなお値段で買えない。
中間業者が入らないからお徳か?

でも、この本のためにどれだけの化石が準備されるのかと思うと思いは複雑です。



広告のうたい文句は

「迫力ある三葉虫や美しい琥珀、人気の高いアンモナイトなど希少な化石ばかり。

    冊子では生物の大絶滅や進化の様子を紹介。地球の生命のなぞに迫ります。」

化石というのは取れたところによっても其の価値は違います。
価値が高くても、石ころのように転がっているところ、(中国の雲南省など、)ではもう石ころの隣の値段でした。


アフリカでも貴重な物がもうびっくりする安値の値段、キットそういうところから仕入れるのかな~

このコレクションは、特に珍しい化石ではありません。入門編かな?

一応、物がいいとか、悪いとかのレベルを別にすれば、私が持っているのもばかりということに気がつきました。

飛びついて買いそうになったけれど、必要のない内容だ~~

がっかり!


でもこういう本がきっかけで、古代の浪漫に興味を持つかたたちが増えることは嬉しい。

ブログに書かなければ調べないで買ってました。少しおりこうさんに馴れたかな。うふふふ!


ケースも別売りです。いたせりつくせりでしょう!
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肉食系、マグロ!

2009-05-14 13:32:08 | 考古学
最近、自分は肉食系か、草食系という言葉で表現することががありますね、

ブログの先輩のレイさんのところ「肉食系女度」うらないがあり、

http://blogs.yahoo.co.jp/gcwjj621/57882978.html

やってみました。

なんと私は20%の肉食系でした。

感想は「ふ~ん」
そうかもね、、、です。


さて新聞を読んでましたら,5月9日の魚市場という記事「マグロの歯」についてです。これ「マグロの口」です。、



マグロがこんな歯をしているなんて、しらなかった。
歯は食べ物と関係があります。まぐろのえさは?


肉食系と草食系の話になります。


まずは、<肉食系の歯>についてです。

肉を引きちぎって食べるようにとがってる。

そういえば映画の「ジョーズの歯は大きな口」をあいて迫ってくるシーンなんか、

かまれたら悲惨なことになりそうににとがっていましたよね。

私に好きな考古学の世界では「鮫の歯」は結構ポッピュラーなんです。



化石に歯は残り、たくさんの歯が一個体にあり、はえ変るのです。



鮫(さめ)は、古生代デボン紀(約4~3.5億年前)の中頃に現れ、それまで、繁栄していた甲冑魚類を圧倒し、海中の覇者となりました。

 鮫は、甲冑魚がまとっていた重い鎧(よろい)を無くし、もっと有効なひれと体の筋肉を発達させることで、はるかに活発な遊泳能力を有し、大きくて強力な顎(あご)と補填式の歯の仕組みにより、優れた捕食者となりました。

 鮫の歯は、大きな顎の中に幾列にも並び、最外側の1列だけを使い、使い古されると抜け落ちて内側の歯が反転して出て来る仕組みを持っています。

 鮫は、硬質の骨を持たない軟骨魚類です。脊椎骨と内在骨は強靱な軟骨で出来ているため、骨格の化石は乏しいですが、歯は化石として残りやすく、”鮫の歯”として海成の堆積岩中に多くみられる化石となっています。鮫の歯の化石は、「天狗(てんぐ)の爪」などと俗称されます。



<鮫の歯化石館>もあります。詳しくはこちらでどうぞ!


http://homepage2.nifty.com/megalodon/



ヤッパリ肉食の歯といえば、わたしは、この間いって写真にしたNY自然史博物館のチラノサウルスの歯です。



歯を特に意識してとったわけではありませんが、とがった歯が一杯みえますよね。
肉食ですよね。


次に<草食系動物の歯>

草食動物の代表、かばの口をあいたのを想像してください

草や果物などをすりつぶして食べる為臼状の葉があるのですね。

人間の奥歯がこれに当たりますよね。
人間は何でも食べる雑食性なので其の比率に応じてどちらもある!

恐竜でもステゴザウルス、パロサウルスなどは臼状の葉です。
だから、歯の形で、恐竜にも肉食、草食があったことが分かるのですよね。

この間いったNY自然史博物館の玄関で迎えてくれたアロサウルスは肉食

子ずれのパロサウルスは草食です。映像は。こちらをごらんください。

http://blog.goo.ne.jp/0720micchan/e/b1c2e7520b7a5c140441a3f0157872c6


じゃあ!<マグロは?>

「マグロは肉食。小魚を食べるさば科の魚」
したがって写真のようにとがった歯。

サバの「さ」は小さい,「ば」は歯を意味するそうです

ですから、この写真のようにサバ科の魚は小さい歯が並んでいるそうです。

いや~マグロのも面白いですね。
だから骨好きのみっちゃんはたまりません
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新種の化石《ナツミ》海老発見!小学生が、、

2008-12-11 15:06:04 | 考古学
昨夜のTVニュースでも、このニュースは今日の朝刊にも出ていました。




化石の発見は、宝くじよりも当たる率が低いです。宝くじは誰かが当たります

しかし、化石は当たらないこともあるのです。

宝くじは科学的論証は、当てになりません。

しかし、化石は科学的にこの地層はと、、とき明かされれば、化石発見の確立として高まってきます。

世界的に、化石が、でるところはじゃんじゃん出るのです。

中国のゴビ砂漠に近いところとか、アメリカのユタ州の恐竜とか。カナダのアルバーター州とか、化石マニアなら誰でもあこがれるところです。
中国については私のブログをご覧くださいな。
http://blog.goo.ne.jp/0720micchan/c/d76e33cdf0ee16c0828c06d0ebf040fd
もうひとつ、
http://blog.goo.ne.jp/0720micchan/c/d76e33cdf0ee16c0828c06d0ebf040fd

なかには、一定の手続きを取れば、誰でも掘ることができたり、又イベントで掘ることもできるところが多くなってきました。


今回の化石の発見者の熊谷 菜津美さん(当時小学3年生)もこうした博物館のイベントに去年、父親と参加して、発見に至ったわけです。

詳しいことは和歌山自然博物館のホームページをごらんください。

http://www.shizenhaku.wakayama-c.ed.jp/


彼女の発見した化石です。

ロブスターなどの祖先に当たるアカザ海老科ホプロパリア属の新種の化石で、白亜紀前期(一億3000万年前、この頃甲殻類が出現したと考えられている)


えびの頭の部分





はさみの部分







甲殻類のはさみの部分は比較的残りますが、胴体の部分は残りにくいのです。
私も名古屋港のしゅんせつ現場で、昔それはもうざくざくとはさみの化石が、とれるといったことをけいけんしました。が、胴体はかせきとしてのこりにくいそうです。
勿論私たちが手にしたものはもっと後期のものでこんな珍しい物ではありません。

これについては私のブログをごらんください。


http://blog.goo.ne.jp/0720micchan/e/465b96b64bc3de636dd5d624c9a5ef46


今回の化石の発見されたのは和歌山の湯浅町の有田層で、白亜紀前期、バレンシア階、(一億3000万年前の地層が露出しているところです。

今年9月に発表されたところによると、ココから、この新種を含めて5種の甲殻類新種の化石が認められたそうです。これはすごーいい!

さらに何が珍しいかというと、だいたい、えび化石の産出は非常に珍しく

日本からは3例!

北海道、兵庫県、は白亜紀後期、、群馬県からは白亜紀前期の物がでているだけです。

世界的にもホプロバリア属(hoploparia属)の化石は16例です。

白亜紀後期の報告例は多いが、前期は少ないので、重要なのです。
日本を含めて、北大西洋地域から、中世期も含めても海老の化石の産出は貧弱なんだそうです。


今回の奈津美さんの発見した化石は、前群馬県で、発見されたものより、胴体もとてもよいレベルで残っている化石なんだそうです。


お父様と化石採集に参加して、なかなか見つからなくて、そこらに転がっている石を割ったら

胴体の部分が出てきて、小原正顕学芸員に見せたところから、この化石伝説が始まったということです。


石ころというのは、多分ノジュールといって、化石が芯なって丸いいしころになっているものでないかな~~ともおもわれます。
北海道にアンモナイトの化石を探しに行ったときも、こんなノジュールからアンモナイトの化石が出てきました。
びっくり箱のような石なんですよ。


なんにしろよかったね~~
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恐竜はどれくらい走れたか?

2008-09-16 19:39:36 | 考古学

これは2008年4月11日に発見された恐竜の足跡です。


詳しくはこちらをご覧ください。


http://japanese.china.org.cn/culture/2008-04/11/content_14937258.htm


発見場所はゴビ砂漠の中


ですがトルファン盆地から30キロいったゴビ砂漠の中で発見されました。


主要部分は高さ3メートル長さ100メートル!足跡の密集です!


すごーい


以前ご紹介してているゴビ砂漠とは離れています。こちらを参考にしてください。http://blog.goo.ne.jp/0720micchan/c/d76e33cdf0ee16c0828c06d0ebf040fd



/P>

発見者の一人ドイツのテュービンゲン大学院ヴィエンス博士



/P>

/P>

恐竜の3本の指とつめのあとまで分かります。



/P>

/P>

足跡として日本でも、群馬県の中里が一番最初に発見された所として有名です。


さて彼らはどれくらいの速さで走れたか?


化石を調べて、足の骨格や筋肉を分析して割り出すのです


ゴジラなんかのモデルになったらしいですが、


有名な肉食恐竜ティラノサウルスは全長数十メートル。体重5~6トン


時速18kmくらいで、最高でも40kmくらい


米国で見つかった植物食恐竜ハドロサウルスは間接の靭帯や腱なども化石として残っていたのでその状態から分析して。


全長10メートル体重7トン最高速度を45キロメートルと見積もった。


モウひとつ調べる方法があるのです、


足跡です、


咾離汽ぅ困㎠FONT style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff" color=#000000>体の大きさを推定して脚の長さと歩幅から計算するのです。


今年見つかった恐竜の11頭の群れの足跡は首なが竜脚類のもので時速3キロくらいといわれているそうだ。


最近のコンピューターーによるシュミレーションの進歩で理論的なモデルを作り、それに化石が当てはまるかどうか検証するなど


より科学的な解析ができるようになったそうだ。


すごいですよね!


科学の進歩は只のろまんを実証してしまうのですから。

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モンゴル.ゴビ砂漠の恐竜と哺乳類(フランス自然史博物館フランス語版)

2008-08-12 18:32:15 | 考古学

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、フランス、自然史博物館で出版された


<ゴビ砂漠における恐竜と哺乳類>の表紙絵


フランス語版


/P>


/P>

/P>

2、<1923年のアメリカの探検隊の様子> 



BainDzakとFlaminngCliffの夕焼けの中で


(ここで有名な恐竜の卵が発見された。)


同じ場所の現代の探検隊



/P>

<モンゴルの地図(ウランバートルはピンクの背景のところ)>



/P>

<Khuren Dukで埋没していたオリエンタル.イグアナドンの腕>



久し振りに

あんまり暑いので家の中
にこもりきりですので、
まだ読んでない本なんか引っ張り出しました。

先回パリに行った時、ジャルダン.デ.プラントにある、国立自然史博物館でいろいろな化石を見ていたらこんな本を売っていました。


結構マニアックでアカデミックなので、


日本やアメリカの発掘本と違った写真などがあって、面白いです。


1  は其の表紙,   ,R.Zanettによる絵です。


2   1923年にアメリカの探検隊が発掘に入った時の様子の写真


らくだでも行っているが水不足や物資輸送などで苦労したらしい。


鉄道も開通しておらず、人もほとんど住んでいなくて中国からゴビ砂漠を横断したらしい。


/P>

/FONT>地図の左のBuginTsavが2の写真であり、ここで恐竜の卵が発見された。


戦後はウランバートルからのルートも発見され


主にソ連のアカデミーが中心となって発掘が行われ


哺乳類の祖先と思われるネズミさんのような完全な頭の骨格やあごの骨次々と見つかったのである


次回写真をアップします。とても麗なすばらしい骨格標本が続々と発見されています。

全体で140ページほどの本であるが、普通のフランス語の辞書を引いても考古学用語は単語が出ていない。

おまけにフランス人の頭はまったくバロックであって


(シトロエン、フランスの車、のエンジン部分を見てみんな驚く)

文と写真がとんでもないところに配置されているし、


説明が次のページに飛んでいたりで、読みこなすのが大変でッす!


マア別に出版するわけでもないし


趣味で読んでるだけだから、なるべく正確に読むつもりですが読み間違えていたらごめんなさいね。

日本の書籍には見られない写真を楽しんでくださいな、


続きは又


今日は30ページくらいかな。あらすじでした。


/P>

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王家の紋章女官長”ナフテラ”とエジプト宗教改革イクンアトンその2

2008-07-02 23:03:05 | 考古学
写真の左はイクンアテンベルリン美術館にある。
右はイクンアテンと妻のナフルティティと長女メリタテンが日輪であらわされているアテン神を礼拝している。カイロ博物館にある。
両方ともテル.エル.アマルナで出土した。
伝統的な形式を捨てて、あくまでも写実主義を追求する。
時代は紀元前1400年ごろ、エジプトの暦では、新王国第18王朝にあたる。
アマルナ芸術である。
私たちが見知っている作品と違ってリアリティを感じる。

1887年テーベの北方500キロのテル.エル.アマルナの村はずれで一農婦が楔形文字の粘土板を見つけた。
楔形文字は西アジア特有の文字であり、ベルリン博物館が本物と認めて、1891年からその地は発掘され始めた。
それは有名なアマルナ文書でBC14世紀アメンヘテブ3世と4世あての360通の西南アジアからの公式の外交文書だった。
当時の西南アジアの国際情勢を知る為の第一級の貴重な資料とされている。

その地は宗教改革のためイクンアテンが建設した新都だったのです。
増長するアメン神官団を封じる狙いで太陽を象徴するアテン神の信仰を導入し、
自らもアメンヘテブ(アメンは満足すの意味)から、
イクンアテン又最近は「アクエンアテン」「アケナテン」といわれるが、(アテンによりて輝く者の意)と改め、
テーベからアケトアトンアテンの地平線の意)に遷都したのです。
アテン神は古来からの多神教の頂点に位置するという宗教改革を行ったのです。
結局宗教改革は彼の死とともにおわり、
次女の夫のトゥタンカテン(アテンのいける像の意)改め
トウタンカメンアメンのいける像の意)に改名し、アメン信仰が復帰したのです。
王家の紋章のナフテラのモデルと思われる(?)ナフルティティは王の死後もかの地に残りアテン神を守り続けたそうです。
次にいよいよ、9歳で即位し、18歳でなくなったなぞの王トゥタンカメンについてです。
その3をお楽しみに!
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王家の紋章女官長ナフテラとエジプトの宗教改革イクンアトン王その1

2008-07-01 23:15:42 | 考古学
エジプト紀行を書こうと思ってもぐずぐずしているうちに,hitomiさんが書いてくださってるから、そちらをごらんこださい。http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/24334858.html
王家の紋章をみてるうちに、ナフテラ女官長の名前が気になりました。
主人公のキャサリンが現代と古代を行ったり来たり、その時古代のお母さんといわれる役なのですが、
もう一人の主人公のメンフィス王の乳母の役もしています。
私はナフルティティがモデルではないかと調べたのですが分かりません、
ほかの考古学同様に、エジプト学の進歩も著しく、
この本が書かれだした頃と人の名も表記の仕方が随分違っているのです。
30年前はナフルティティの夫はイクンアトン王と表記していましたが
今はアクエンアテン王と表記されています。
そこに英語読みが加わってごちゃごちゃになって余計に分からなくなります。

写真は、ナフルティティの像。ベルリン美術館にあります。
歴代の妃の中でも特に美しく”やってきた美女”といわれます。
メソポタミアのミタンニ王国の出身だからです。
ミタンニて王家の紋章のイズミル皇子の妹の名ですよね。

この本はベルリン美術館の解説書です。
ドイツ語は不得手なのですが、
BC1355年頃テーベからアケトアトン(今のテル.エル.アマルナ)に遷都した
イクンアトン王が定めたアトン神信仰を反映したアマルナ美術の最高傑作といわれ
写実的な特徴がよくでている。
石灰岩でできていて、右目は象嵌
1912年ドイツオリエント協会が彫刻家の工房跡から発見、彫刻家の手本であったと考えられる。
といった内容が左に書かれていると思います。
後ろはエジプトで売っている彼女の絵皿です

ナフルティティイクンアトン王の次女の夫は、トウトアンクアトン(英語ではツタンカーメン)なのです。
カイロ美術館などエジプト考古学の展示物のあるとこへ行くと
エジプトの表現様式が一定なのに気がつかれるでしょう。
顔をもスタイルも一定の決まりがあるのです
処がイクンアトン王は、顔が長くて唇の厚い細めのすごい像なのです。
次の王ツタンカーメン王は元に戻り形式を踏んでいます。美しい顔ですよね。
そこには一種の宗教改革があったのです。続きは又ね
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