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【須磨】の巻 その(12)
源氏は、また供の人たちと和歌を詠みあいます。
良清
民部の大輔(みんぶのたいふ)惟光
前の右近の将監(さきのうこんのぞう)は伊豫介の子、(今回のため、官職を解かれている。)
この、前(さき)の右近の将監は、父が常陸介になって任地に下りましたのに誘われても行かず、源氏にお供して来たのでした。内心では悩みもあるでしょうが、元気に胸をはって何事もないように振る舞っております。
月がくっきりと上ってきました。源氏は、ああ今夜は十五夜であったと思い出されて、内裏での管弦の遊びなど恋しく思い出され、あちらこちらのご婦人たちもこの月を眺めておいでかと
「『二千里外古人心(にせんりのほかのこじんのこころ)』と誦し給へる、例の涙もとどめられず」
――「三五夜中新月の色、二千里の外故人の心」と白氏文集を口ずさまれますと、人々は、みな例によって涙を留めえません――
源氏は入道の宮(藤壺)が「霧や隔つる」とうたわれたことを思い出されますのは言うまでもなく、折々のことを思い出されて、声を出して泣かれるのでした。
この夜は、朱雀院がお話になったご様子が故桐壺院によく似ていらしたことなども思い出されて、
「『恩賜の御衣は今ここにあり』(菅公の詩)と誦しつつ入り給ひぬ。御衣はまことに身離たず、傍らに置き給へり」
――(菅家後集「九月十日」と題する菅公の詩)を口ずさみながら、寝所にお入りになりました。朱雀院から賜った御衣をまことに身から離さず、お側に置いていらっしゃいます――
さて、
その頃、筑紫太宰の大貳(だいに)が任を終えて京へ上ってきました。一族の人数がおびただしく多く、ことに娘が多くて旅行には不自由ですので、北の方の一行は舟で浦づたいにあちこと見物しながら来ましたところ、須磨に源氏が隠遁なさっておいでだと聞きます。はやり心の若い娘たちは、源氏に見られもせぬ舟の中でさえ、恥ずかしがって胸をときめかせております。
「まして五節の君(ごせちのきみ)は、綱手ひき過ぐるも口惜しきに、……」
――ましてや、源氏が忍んでお通いになったことのある五節の君は、このまま素通りしてしまわれるのが残念でなりません――
◆五節の君:花散里の巻に出てくる君
源氏とのかかわりなど、物語中に詳しい話は出てきません。
◆写真 船旅はこんな船でしょうか。(源氏物語の時代より100年後の船ですが)
ではまた。
【須磨】の巻 その(12)
源氏は、また供の人たちと和歌を詠みあいます。
良清
民部の大輔(みんぶのたいふ)惟光
前の右近の将監(さきのうこんのぞう)は伊豫介の子、(今回のため、官職を解かれている。)
この、前(さき)の右近の将監は、父が常陸介になって任地に下りましたのに誘われても行かず、源氏にお供して来たのでした。内心では悩みもあるでしょうが、元気に胸をはって何事もないように振る舞っております。
月がくっきりと上ってきました。源氏は、ああ今夜は十五夜であったと思い出されて、内裏での管弦の遊びなど恋しく思い出され、あちらこちらのご婦人たちもこの月を眺めておいでかと
「『二千里外古人心(にせんりのほかのこじんのこころ)』と誦し給へる、例の涙もとどめられず」
――「三五夜中新月の色、二千里の外故人の心」と白氏文集を口ずさまれますと、人々は、みな例によって涙を留めえません――
源氏は入道の宮(藤壺)が「霧や隔つる」とうたわれたことを思い出されますのは言うまでもなく、折々のことを思い出されて、声を出して泣かれるのでした。
この夜は、朱雀院がお話になったご様子が故桐壺院によく似ていらしたことなども思い出されて、
「『恩賜の御衣は今ここにあり』(菅公の詩)と誦しつつ入り給ひぬ。御衣はまことに身離たず、傍らに置き給へり」
――(菅家後集「九月十日」と題する菅公の詩)を口ずさみながら、寝所にお入りになりました。朱雀院から賜った御衣をまことに身から離さず、お側に置いていらっしゃいます――
さて、
その頃、筑紫太宰の大貳(だいに)が任を終えて京へ上ってきました。一族の人数がおびただしく多く、ことに娘が多くて旅行には不自由ですので、北の方の一行は舟で浦づたいにあちこと見物しながら来ましたところ、須磨に源氏が隠遁なさっておいでだと聞きます。はやり心の若い娘たちは、源氏に見られもせぬ舟の中でさえ、恥ずかしがって胸をときめかせております。
「まして五節の君(ごせちのきみ)は、綱手ひき過ぐるも口惜しきに、……」
――ましてや、源氏が忍んでお通いになったことのある五節の君は、このまま素通りしてしまわれるのが残念でなりません――
◆五節の君:花散里の巻に出てくる君
源氏とのかかわりなど、物語中に詳しい話は出てきません。
◆写真 船旅はこんな船でしょうか。(源氏物語の時代より100年後の船ですが)
ではまた。