永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(86)

2008年06月22日 | Weblog
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【須磨】の巻  その(16)

 須磨の源氏のお住いでは、年が代わって日中の日差しも延び、つれづれなうちに、植えた桜の若木がちらほら咲き始めて空の気色もうららかな、このようななかで、源氏はいろいろなことを思い出されては涙ぐむことが多いのでした。

 源氏が、毎日なすこともなく居られたある日、左大臣家の三位中将(故葵の上の兄君で、頭中将であった)が訪ねておいでになりました。今は宰相の位に上られて、人物もご立派で世の人望もめでたくいらっしゃいましたが、

「世の中あはれにあぢきなく、物の折りごとに恋しく覚え給へば、事の聞えありて罪にあたるともいかがはせむ、と思しなして」
――世の中がつまらなく、何かの折々には源氏をなつかしく思われますので、この事が悪い評判になって罪を蒙ろうとも、ままよと決心なされて――お出でになったのでした。

二人は
「ひとつ涙ぞこぼれける」
――思いがひとつになって涙をおこぼしになりました――

 源氏のお住いは、唐風に設えて趣があり、源氏のご様子は
「山がつめきて、ゆるし色の黄がちなるに、青鈍(あおにび)の狩衣指貫うちやつれて、……」
――源氏は里人めいて、だれもが着る質素なお召し物ながら、大層きれいでいらっしゃる。
――

 調度類は当座の物として、碁、双六の盤、弾ぎの具(たぎのぐ)、念誦の具が見えます。

「海士ども漁りして、かひつ物持て参れるを、召し出でて御覧ず。……」
――漁師に貝類を持って来させ、ごらんになります。(この海辺に久しく暮らしている様子などお訪ねになりますと、いろいろと生活の苦しさを、聞き慣れない言葉でとりとめもなくさえずっています。なるほどと
「心の行くへは同じ事、何か異なると、あはれに見給ふ……」
――人の心の行方は、身分の上下に異なることがあろうか、とあわれ深くお思いになって(御衣裳をわたされます)――

 お二人は、この月頃の京のことなど、泣いたり笑ったりなさりながら語り合います。
若君のこと(夕霧)、左大臣のお嘆きは言うまでもなく、あまりにもあれこれたくさんありますので、片端から書き置くわけにも参りません。夜もすがら詩をお作りになるのでした。

 「さ言ひながらも、物の聞こえをつつみて、いそぎ帰り給ふ。いとなかなかなり」
――あのようには仰ってはいらしても、世間を憚って急いでお帰りになるのでした。本当になまじっかお逢いしたばかりに、悲しみはおおきいのでした――

◆鈍色(にびいろ)写真
 青鈍(あおにび)色は、鈍色よりもやや軽い凶服の色とされます。

◆弾ぎの具(たぎのぐ)=碁石をはじいて勝負を争う遊技

◆ゆるし色=禁色の深紅と深紫に対し、薄紅と薄紫をゆるし色という。ここでは黄味の勝った薄紅色の下着。

源氏物語を読んできて(禁色)

2008年06月22日 | Weblog
◆禁色(きんじき)


狩衣や女房装束の色は自由に選んだカラフルなものでしたが、特に使用が制限された色があります。それが禁色と忌色です。

 禁色は皇族や高位の公卿のみに許された色で、この色を服色に用いるのには「禁色勅許」が必要でした。この許可が得られることは一つのステータスとして扱われ、「色許されたる人」として殿上人の中でも羨望の対象でした。
 蔵人の年功者は天皇の袍色である「青色」を「麹塵色」と称して着用することが出来ました。
 禁色には3つの意味がありました。
(1)位袍の当色(とうしき)が位階不相応である色は使えない。自分より下位の色は使用可。
(2)有文の綾織り物は許可なくして使えない。
(3)禁色七色の使用不可 
<支木(くちなし・黄丹に似る)、黄色、赤色、青色、深紫、深緋、深蘇芳>
 明治以降、装束界で禁色とされるのは「黄櫨染」と「黄丹」の二色です。

◆写真  禁色例:天皇の袍色「黄櫨染」