6/19
【須磨】の巻 その(13)
師(そち)の大貳が源氏にご挨拶をということで、子の筑前守を遣わせます。源氏が以前、蔵人に推挙なされて、目をかけておやりになった人ですが、ご挨拶に参ったことを見ている人が居り、噂をすることを憚って長居もできません。
源氏は
「『京離れて後、昔親しかりし人々あひ見ること難うのみなりにたるに、かくわざと立ち寄りものしたる』と宣ふ」
――京を遠く離れて、以前から親しくしていました方々とお逢いすることが難しくなっております昨今に、このようにお出でくださって、と話されます――
五節の君も、あれこれ無理をしてお文だけはお届けしました。
さて、
都では、月日の過ぎていきますにつれて、帝をはじめとして、春宮も、春宮の御母の藤壺の宮も困ったことと思い嘆いていらっしゃいます。
初めのうちは、源氏のご兄弟の親王方や上達部からご消息されてもおいででしたが、源氏のそのお文が世に賞賛されるのを大后(弘徴殿大后)がお聞きになって、
「『公の勘事なる人は、心に任せてこの世のあぢはいをだに知ること難うこそあなれ。面白き家居して、世の中を謗りもどきて、かの鹿を馬といひけむ人のひがめるやうに追従する』など、悪しき事ども聞えければ、わづらはしとて、絶へて消息聞え給ふ人なし」
――大后が、「朝廷からお咎めを蒙った人は、自由に日々の食事さへ取りがたいものなのです。それなのに、風流な家を造って住み、ご時勢を誹謗非難なさるとは、かの鹿を馬と言った人がいましたように、源氏に追従する人がいるとは、」と仰っていらっしゃるとか、ご機嫌の悪い様子が聞えてきますので、身に覚えのある方々からは面倒なことになりそうだと、ぱったりとお伺いの文も途絶えてしましました――
二條院では、
「東の対に侍ひし人々も、みな渡り参りし初めは、などかさしもあらむと思ひしかど……」
――東の対での源氏付の女房たちもみな、西の対に渡って、紫の上に仕えた当初は、紫の上はなんのたいした方ではないと思っていましたが、(慣れるにしたがって、紫の上のおやさしくご立派な様子、細やかで思いやり深く上品でいらっしゃるので、誰一人お屋敷を去る人はおりません。あまたのご婦人の中で源氏の愛情が特に深いのも、もっともとお見上げ申し上げるのでした)――
◆「鹿を馬に…」=史記にある秦の趙高が、鹿を指して馬と言ったところ、群臣はその権勢をおそれて、これに追従したという故事。
ではまた。
【須磨】の巻 その(13)
師(そち)の大貳が源氏にご挨拶をということで、子の筑前守を遣わせます。源氏が以前、蔵人に推挙なされて、目をかけておやりになった人ですが、ご挨拶に参ったことを見ている人が居り、噂をすることを憚って長居もできません。
源氏は
「『京離れて後、昔親しかりし人々あひ見ること難うのみなりにたるに、かくわざと立ち寄りものしたる』と宣ふ」
――京を遠く離れて、以前から親しくしていました方々とお逢いすることが難しくなっております昨今に、このようにお出でくださって、と話されます――
五節の君も、あれこれ無理をしてお文だけはお届けしました。
さて、
都では、月日の過ぎていきますにつれて、帝をはじめとして、春宮も、春宮の御母の藤壺の宮も困ったことと思い嘆いていらっしゃいます。
初めのうちは、源氏のご兄弟の親王方や上達部からご消息されてもおいででしたが、源氏のそのお文が世に賞賛されるのを大后(弘徴殿大后)がお聞きになって、
「『公の勘事なる人は、心に任せてこの世のあぢはいをだに知ること難うこそあなれ。面白き家居して、世の中を謗りもどきて、かの鹿を馬といひけむ人のひがめるやうに追従する』など、悪しき事ども聞えければ、わづらはしとて、絶へて消息聞え給ふ人なし」
――大后が、「朝廷からお咎めを蒙った人は、自由に日々の食事さへ取りがたいものなのです。それなのに、風流な家を造って住み、ご時勢を誹謗非難なさるとは、かの鹿を馬と言った人がいましたように、源氏に追従する人がいるとは、」と仰っていらっしゃるとか、ご機嫌の悪い様子が聞えてきますので、身に覚えのある方々からは面倒なことになりそうだと、ぱったりとお伺いの文も途絶えてしましました――
二條院では、
「東の対に侍ひし人々も、みな渡り参りし初めは、などかさしもあらむと思ひしかど……」
――東の対での源氏付の女房たちもみな、西の対に渡って、紫の上に仕えた当初は、紫の上はなんのたいした方ではないと思っていましたが、(慣れるにしたがって、紫の上のおやさしくご立派な様子、細やかで思いやり深く上品でいらっしゃるので、誰一人お屋敷を去る人はおりません。あまたのご婦人の中で源氏の愛情が特に深いのも、もっともとお見上げ申し上げるのでした)――
◆「鹿を馬に…」=史記にある秦の趙高が、鹿を指して馬と言ったところ、群臣はその権勢をおそれて、これに追従したという故事。
ではまた。