10/7 183回
【朝顔】の巻】 その(5)
朝顔の君は、知らぬ顔もできそうにありませんし、侍女たちも硯を整えてお返事をと、おすすめ申し上げますので、
「(歌)秋はてて霧のまがきにむすぼほれあるかなきかにうつるあさがほ。
似つかはしき御よそへにつけても、露けく。」
――(歌)秋も暮れてしまって、霧のこめた垣根にまつわりついて、あるかなきかに色あせて咲く朝顔のような私でございます。
朝顔の御例えが、いかにも私に似つかわしいと思いまして、涙にひどく濡れております。――
と、あるだけの、どこといって気のきいた一節があるというわけではありませんのを、源氏は何故か、下にお置きもせず、眺めておいでになります。紙は、服喪中に用いる青鈍色のしなやかなのに、濃く淡く書かれた墨つきがまことに見事です。
源氏は、
「立ち返り、今更に若々しき御文書きなども、似げなきこと思せど、……」
――昔に立ち返って、こと新しく若々しいお文などお書きになるのは、相応しくないことと、思われますが、朝顔の君のご態度が昔から素っ気なく、振り捨てるでもないようでありながら、何事もなく月日の流れたことを思い返しますと、あきらめることがお出来にならず、ますますお気持ちまで若返って、熱心にお文をお上げになります。
源氏は、二条の院の東の対に、人目を避けてお出でになり、朝顔の君付きの女房の宣旨を招いてご相談になります。侍女達の中には、相手がさほどの身分でない者にさえ靡くような者は、間違いを起こすに違いないほど、源氏をお誉めもうしますが、
「宮はこの神だにこよなく思し離れたりしを、今はまして、誰も思ひなかるべき御齢おぼえにて、(……)旧りがたく同じさまなる御心ばへを、世の人にかはり、めづらしくも、妬くも思ひ聞え給ふ。」
――朝顔の宮は、昔でさえもさっぱりと源氏と隔たっておられたものを、今はなおのこと、双方とも重々しい筈の御年齢と御声望で、(ちょっとした四季のご挨拶といって、ご返事をしますのさえ、世の人は軽率だと取りざたされることでしょうと、うち解けようとなさるご様子もありません。)源氏は、依然として昔と変わらぬ朝顔の宮のお気立てを、世の常の人々とは違った方よ、と珍しくも、妬ましくもお思いになるのでした。――
◆一般的に思う人を手に入れるには、まずお側付きの女房を手なずけるのが、常套手段です。ここでは、女房達がこぞって源氏を誉めるので、朝顔の君のご心配は、身内にも向けられています。侍女たちが、どれだけ姫君のお気持ちを大切に思っているかにかかっています。
ではまた。
【朝顔】の巻】 その(5)
朝顔の君は、知らぬ顔もできそうにありませんし、侍女たちも硯を整えてお返事をと、おすすめ申し上げますので、
「(歌)秋はてて霧のまがきにむすぼほれあるかなきかにうつるあさがほ。
似つかはしき御よそへにつけても、露けく。」
――(歌)秋も暮れてしまって、霧のこめた垣根にまつわりついて、あるかなきかに色あせて咲く朝顔のような私でございます。
朝顔の御例えが、いかにも私に似つかわしいと思いまして、涙にひどく濡れております。――
と、あるだけの、どこといって気のきいた一節があるというわけではありませんのを、源氏は何故か、下にお置きもせず、眺めておいでになります。紙は、服喪中に用いる青鈍色のしなやかなのに、濃く淡く書かれた墨つきがまことに見事です。
源氏は、
「立ち返り、今更に若々しき御文書きなども、似げなきこと思せど、……」
――昔に立ち返って、こと新しく若々しいお文などお書きになるのは、相応しくないことと、思われますが、朝顔の君のご態度が昔から素っ気なく、振り捨てるでもないようでありながら、何事もなく月日の流れたことを思い返しますと、あきらめることがお出来にならず、ますますお気持ちまで若返って、熱心にお文をお上げになります。
源氏は、二条の院の東の対に、人目を避けてお出でになり、朝顔の君付きの女房の宣旨を招いてご相談になります。侍女達の中には、相手がさほどの身分でない者にさえ靡くような者は、間違いを起こすに違いないほど、源氏をお誉めもうしますが、
「宮はこの神だにこよなく思し離れたりしを、今はまして、誰も思ひなかるべき御齢おぼえにて、(……)旧りがたく同じさまなる御心ばへを、世の人にかはり、めづらしくも、妬くも思ひ聞え給ふ。」
――朝顔の宮は、昔でさえもさっぱりと源氏と隔たっておられたものを、今はなおのこと、双方とも重々しい筈の御年齢と御声望で、(ちょっとした四季のご挨拶といって、ご返事をしますのさえ、世の人は軽率だと取りざたされることでしょうと、うち解けようとなさるご様子もありません。)源氏は、依然として昔と変わらぬ朝顔の宮のお気立てを、世の常の人々とは違った方よ、と珍しくも、妬ましくもお思いになるのでした。――
◆一般的に思う人を手に入れるには、まずお側付きの女房を手なずけるのが、常套手段です。ここでは、女房達がこぞって源氏を誉めるので、朝顔の君のご心配は、身内にも向けられています。侍女たちが、どれだけ姫君のお気持ちを大切に思っているかにかかっています。
ではまた。