10/20 196回
【乙女(おとめ)】の巻】 その(6)
「例のあやしき者どもの立ち交じりつつ来居たる座の末を辛しと思すぞ、いと道理なるや。(……)」
――いつものように、みすぼらしい風采の儒者たちが来ては並んでいる席の、末に座ることを、夕霧が辛いと思われる、それも尤もなことでありましょう。(ここでも、作法に違う者を蔑み叱る儒者たちが居て、不愉快ではありますが、夕霧は少しも臆せず、読み終えたのでした。寮試をすらすらと及第されましたので、師も弟子も一層励みが増して、源氏邸でも作詩の会が度々催されるのでした。)――
「かくて、后居給ふべきを、『斎宮の女御をこそは、母宮も、御後見と譲り聞こえ給ひしかば』と、大臣もことづけ給ふ。源氏のうちしきり后に居給はむこと、世の人許し聞こえず。」
――さて、話は変わって、内裏では立后の儀がもうある筈の時期でありました。「斎宮の女御(梅壺女御)こそ、藤壺の宮も、帝のお世話役にとお頼み申しておかれましたので」と、源氏は主張なさいます。しきりに申し上げますが、皇族出の源氏から引き続いて后がお立ちになることを、世間はよく思わないのでした。――
先に入内なさった弘徽殿女御を差し置いては、と人々は内内に気をもんでいます上に、紫の上の父君の兵部卿の宮の御女(おんむすめ)も目的どおり入内されました。それぞれに肩を持っての争いがありましたが、やはり梅壺女御が后に立たれたのでした。
「御幸の、かく引きかへすぐれ給へりけるを、世の人驚き聞こゆ。」
――亡き母君の六条御息所がご不幸でいらしたのに引き換え、なんとご幸運に恵まれた方よ、と世の人は驚き入っております。――
源氏は太政大臣(だじょうだいじん)に昇進され、大将(もと頭中将・葵の上の兄君)も、内大臣になられました。源氏は天下の政務をこの大将にお譲りになります。お若いころは、源氏といろいろ競争なさっては、負けることが多かったようですが、この方は、お人柄はおおらかで、分別にも優れ、学問もしっかりなさっておられるので、まつりごとについては、賢くていらっしゃいます。また、正妻の他にも女君に十余人もの御子をもうけられて、源氏の御家に劣らず栄えていらっしゃる御一族です。
◆写真:六位の浅黄(浅葱)色
蓼藍で染めた薄い藍色。葱という名称からしてやや緑がかった色の方がこの色名には妥当との説も。もう少し緑がかっている。
ではまた。
【乙女(おとめ)】の巻】 その(6)
「例のあやしき者どもの立ち交じりつつ来居たる座の末を辛しと思すぞ、いと道理なるや。(……)」
――いつものように、みすぼらしい風采の儒者たちが来ては並んでいる席の、末に座ることを、夕霧が辛いと思われる、それも尤もなことでありましょう。(ここでも、作法に違う者を蔑み叱る儒者たちが居て、不愉快ではありますが、夕霧は少しも臆せず、読み終えたのでした。寮試をすらすらと及第されましたので、師も弟子も一層励みが増して、源氏邸でも作詩の会が度々催されるのでした。)――
「かくて、后居給ふべきを、『斎宮の女御をこそは、母宮も、御後見と譲り聞こえ給ひしかば』と、大臣もことづけ給ふ。源氏のうちしきり后に居給はむこと、世の人許し聞こえず。」
――さて、話は変わって、内裏では立后の儀がもうある筈の時期でありました。「斎宮の女御(梅壺女御)こそ、藤壺の宮も、帝のお世話役にとお頼み申しておかれましたので」と、源氏は主張なさいます。しきりに申し上げますが、皇族出の源氏から引き続いて后がお立ちになることを、世間はよく思わないのでした。――
先に入内なさった弘徽殿女御を差し置いては、と人々は内内に気をもんでいます上に、紫の上の父君の兵部卿の宮の御女(おんむすめ)も目的どおり入内されました。それぞれに肩を持っての争いがありましたが、やはり梅壺女御が后に立たれたのでした。
「御幸の、かく引きかへすぐれ給へりけるを、世の人驚き聞こゆ。」
――亡き母君の六条御息所がご不幸でいらしたのに引き換え、なんとご幸運に恵まれた方よ、と世の人は驚き入っております。――
源氏は太政大臣(だじょうだいじん)に昇進され、大将(もと頭中将・葵の上の兄君)も、内大臣になられました。源氏は天下の政務をこの大将にお譲りになります。お若いころは、源氏といろいろ競争なさっては、負けることが多かったようですが、この方は、お人柄はおおらかで、分別にも優れ、学問もしっかりなさっておられるので、まつりごとについては、賢くていらっしゃいます。また、正妻の他にも女君に十余人もの御子をもうけられて、源氏の御家に劣らず栄えていらっしゃる御一族です。
◆写真:六位の浅黄(浅葱)色
蓼藍で染めた薄い藍色。葱という名称からしてやや緑がかった色の方がこの色名には妥当との説も。もう少し緑がかっている。
ではまた。